2004年4月 - へびあし。


_ 訃報 2004-04-15

作家・鷺沢萠が亡くなった。

出勤し、立ち上げたヤフーのニュースで知った。

思わず手が震えるほど、驚いた。

直接の知り合いでも何でもない。

私は彼女の一読者だけれど、ネット上で公開されている日記に垣間見る人柄がとても好感を持っていた。

昼のニュースでは、自殺となっていた。

とてもショック。

ショックを受けている自分自身にもショックです。

ご冥福をお祈りしております。

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今日、査定の話もあった。

勝手に過去の話まで持ち出され、頭にきた。

聞かせるのは今の上司の出した査定結果だけでいい。

査定基準も明確になっていない会社で、ほぼ個人の独断と言われても仕方のない査定を行っている会社なのに、何の権限があって貴方がオープンにするのか、私にはまったくわからない。

まして、最低限の当たり前の社会人としての決まり事すら守れていない人に査定される事の不愉快さ!

父は昔から、査定の時期になると憂鬱な顔をしていた。

時にはこどもの私たちのいる前でも「人が人を評価することは出来ない」と漏らしたりしていた。

父は「仕事が出来る・出来ない」という判断は、部下個人個人にしていたけれど、だからといって、それを会社という場所に評価として出すことに、点数化することに抵抗を持っていた。

必要があれば、父も部下にその評価を下した理由を説明する事は出来ただろう。

でもそれを個人の判断でしたりはしない人だと思っている。

そういうある種の「言い訳」をしない人だと思っている。

「評価」を「オープンにする」事で人を成長させることがマネージメントなのか、という事だ。

それでよくなるならば、中高生でみんな驚くほど成長しているだろう。

「評価」の段階で、指摘し、変化を促すのならば、誰でも出来る。

大切なのは、業務の途中に必要な注意を促せる気配りを持ち、時に気づきの機会を与え、時に褒め、時に叱る事だ。

理想論だけれど、私は一時期そうした上司に恵まれたので、とても幸せだったと思う。

だからこそ、仕事に創意工夫が出来た。

まだ若い上司にそういうものを求めるのも酷というものだろうと思いつつ、どうしても辛口の評価をしてしまう。

でも、それも上司の立場にあってこそで、常に部下に評価される存在なのだともっと自覚して欲しいものだ。

こんな事を本人に言ったら、今度は誰も話しかけられないような雰囲気で仕事をするのだろうという事も安易に予想がつくので、私以外の人の迷惑を考慮し、言ったりはしないけどね。

_ 落ちていく中で思い知らされること 2004-04-17

大揉めに、揉めて。

ルールを守らない人のお尻を拭ってあげるために、出勤する。

しかも、朝から発熱している。

私の体って、本当に正直。

それでも私は私の仕事を意地で守らねばならず、またこの仕事で知り合った大切な人達のことを思ったりしながら、悲鳴を上げている体を押さえつける。

この社内的な阿呆な揉め事に巻き込まれたお二人はとても大人で尊敬できる人達だったので、本当に申し訳ないと思うと同時に、こういう出会いをもたらしてくれる仕事でもあるのだ、と再認識する。

自分がやっていることを見失いそうになる時に、こうした事が起きる。

まだ、ここにいなさいと、誰かに言われているようだ。

すべてを受け入れる事は出来ない。

でも、それはすべてを否定するという事と同義語ではないのだ。

上を向きなさい、私。

_ 心の洗濯 2004-04-18

朝、早起きして、上野に絵を観に行く。

人の多いこと!

東京はどこに行っても人が多い。

これを観た。

思ったほどではなかったけれど、なんだかリフレッシュはする。

動物の理髪店の絵は面白かったし、理髪店の副業が外科だというのは、衝撃的だったりした。

その後は、ぶらぶらと秋葉原まで歩く。

アメ横は何度来ても、わけがわからん。

しかも、食事をしようという気にさせないオーラがガンガン出ている。

これだったら、マックがマシ、といつも思う。

それでいつも食事し損ねる。

どうも東京に来てから食事の楽しみが激減して、そのせいで生きるエネルギーも激減している気がする。

高くて、まずくて、接客が最悪。

これが東京での外食。

慣れなければといつも思うのだけれど、どうしても納得できない自分がいる。

それでも、好きな人達と一緒なら、食事はいつも楽しい。

それがせめてもの救い。

東京まで電車で移動し、駅そばでお寿司を食べる。

思ったよりもおいしい。

暑い中歩いたので、昼間からビールを飲む。

あー、駄目な感じ。

いい気分になって、中央線でビュンと帰る。

久しぶりにいい休日だった。

_ 足元を見よ! 2004-04-19

夜、スペシャルオリンピックの絡みで、お客様に会う。

外国の方。

もちろん、ちゃんと通訳付。

もちろん、仕事。

笑っちゃったのは、日本人の人がしゃべる英語は聞き取れないんだけど、外国の人がしゃべる英語は聞き取れちゃうって事。

聞き取れると理解できる、は別の次元の事だけれど。

英語の学習から離れて随分と時間が経つし、学生時代だって、出来るだけ英語に触れないようにして過ごしてきたんだけど(それなのに英語も中国語も単位落として再履修とかしちゃうあたりがまた駄目な感じで)それでも自分の中で何らかの形で残っていたりはするのね、とちょっとありがたく感じたりする。

今まで自分が経験してきたことは、自分自身の捉え方とその後の自分自身の人生によって左右されるのだな、と最近は感じることが多い。

実生活に何が直結する事だけでは、人生は豊かにはならないし、実生活に直結しないものばかりでは、生きていく事が困難になる。

私を最大限に活かせるのは、他でもない私自身なのだ。

他人のせいにしてはいけない。

今回の案件については、うちが先方にとって魅力的ではなかった様子。

・・・というか、どう聞いていても(話す人はたくさんいたので、始終黙っていたが)自分の会社について語れない人の多いこと!

私は以前の業務で面接していた立場上、端的に、かつ魅力的に自社について語らねばならず、随分と法螺吹き気分を味わったものだが、なるほど、そういう事をやってきていないとこういう風に話すのね、と驚いたりもした。

あ、毒吐き過ぎ、私。

ボランティアにどっぷり嵌っている風の通訳の方などは、まぁ、何となく目が覚めるような思いで見てしまったりした。

自分がやろうとしている事との差に驚かされた、といったところか。

今回の仕事での私のメリットは、あったような、なかったような。

こういう考え方があり、こういうものが受け入れられている世界があり、そこから見ると自国がどれだけ遅れているか、という事は分かったので、よしとしよう。

大きな規模で物事を考えるのは非常に大事なことだけれど、自分の力を過大評価しては足元をすくわれるし、机上の空論で終わってしまうことも多い。

私は私のやり方で、信じる道を行くしかないと思ったりした。

例え、どんなに微力でも。

_ こんな夜もある。 2004-04-20

飲みに行く。

元々は部内の人と行くはずだったのだが、会社を出る寸前に、エライ人から電話がかかってきて誘われる。

立場とか考えても断るわけにも行かず、そっちを優先する事に。

まぁ、断ったからと言って、どうこう言われる方でもないとは思ったけど。

せっかくの機会だから、と派遣さんも連れて行く。

エライ人は着いた時点でかなり出来上がっており、こちらも遠慮なく飲んだり食べたりする。

あー、うまうま。

福岡にいる時には考えられない事だが、これが本社で顔を合わせてるって事になると違うわけだ。

そう思うと、やっぱりラッキーだったのか、私?と思う。

随分と仕事も楽になったかもしれない。

いや、大変さも増してはいるのだけれど。

そんな事を思いながら、それなりに楽しい思いで飲んだ。

酒が飲めたから楽しかったってわけじゃないのですよ、別に。

_ 知ってしまうことは本当に幸福なのか。 2004-04-21

先日から、右足が痛い。

時々、ほんっとうに時々しか痛まないので、憂鬱。

「病気の宝庫だねぇ」なんてしみじみ言われてしまって、ちょっとシュンとする。

もちろん、心配して言ってるって分かるけど。

よく考えれば、二月は原因不明の咳で悩まされ(どんな検査をしても原因らしきものは見つからず)、その後は歯が歩く振動で痛んで苦しみ(これも時間が経てば勝手に治った)、顎関節症だし、目も悪いし(先日ついにコンタクトを流して失った)、皮膚炎を患っているし、偏頭痛持ちだし、口も悪いし。

いいところがない。

でも、会社に行って迷惑かけたりはしてないと思うのね。

突然倒れたりは絶対しないし、前日に朝まで飲んでも出勤するし、遅刻もしないし。

だから、私としては「いいんじゃない?」って思って生きてるんだけど、本当に健康な人から見ると、ひどく不自由にみえるらしい。

当然といえば当然か。

「我慢とかしなくていいからね」なんて言われてしまい、なんだか突然に昔の事を思い出した。

小学校に入ったばかりのピアノの発表会でのこと。

私はそれまでに何度も発表会に出ていたし、発表曲も特に難しいことはなかった。

ただ、当たり前に緊張していて、そんな自分中にあったのは「絶対に間違ってはいけない」という束縛。

誰に言われたわけではなくて、何となく、でも「絶対」という強さでそう思っていた。

それって、当時の先生がとっても怖かったせいもあると思うけど。

それなのに。

私の前の子が、間違った。

私の中で「大ショック!」

「いいの?いいわけないよね?」幼な心で自問自答してみたり。

半泣きで戻ってくる彼女。

目の前で待ち構える先生(私のとって鬼婆のような先生だった。正直言って)

「絶対に怒られるだろう」そう思っていた。

でも、目の前に起こったのは、半泣きの彼女を優しく慰める先生の声。

「大丈夫だよ、間違ってもいいんだから」

今でもその声をはっきりと覚えている。

今でもその時のショックをはっきり覚えている。

そして、その後舞台に立った私。

暗譜していたものなんて、全部飛んでいた。

自分が何をしにここに立っているのかなんて事も忘れていた。

「間違っちゃいけない」は、私にとって束縛だったけど、同時に支えでもあったのだ。

今になってそう思う。

その後の事はよく覚えていない。

でも、とても怒られたのは覚えている。

とても怒られた。

いろんな人に。

以来、無意識のうちに自分を束縛して、その束縛を支えにして生きているように思う。

いつも苦しくて、苦しいのは当たり前だと思っていた。

「無理しなくていいよ」というのはとても甘く、魅惑的な言葉だ。

ただ、「無理」をしなくなった私がどっちに倒れるのか、という事を考えた時、私は私を手放す事が出来ない。

そうじゃない生き方もきっとあるし、そういう風にシフトしていかないと、私の糸はどっかで切れてしまいそうな気もする。

そうは思っている。

そんな自分だからこそ、鷺沢の件がショックだったのだと突然に分かった。

_ もみじ饅頭をもらったり。 2004-04-22

先日、前の前の部署で(短期間で移動が多すぎ、私)一緒だった中四国エリアの人が二人辞めた。

ひとりは旦那さんの転勤で東京に来た。

もうひとりは、辞めてから東京に遊びに来ると言っていた。

そして、本当に遊びに来たので、東京で一緒の人と四人で飲む。

二人は辞めたばかりだし、本当に結構ヘタレな会社なので、不満が爆発するのは仕方ないなと覚悟はしていたが、かなりすごい毒吐き大会となる。

うーむ、すごい。

私はもう会社の体制には大して期待をしていないし(最低限、自分の絡んでいるところでそこそこ納得できればいい。でもそれもたまに困難だったり)、まぁ、四人の中では一番長く勤めているので割とあきらめていて、ネタとして笑いをとる感じで話したりするのだけど、まー、他の二人のすごい事、すごい事!

いや、本当にどこまでいっても救いようのない感じがして、なんだかエライ人達に聞かせてあげたい気がした。

だって、ここまで会社に期待してるって事だと思うから。

「出来るはずなのに、なぜ?」ってところに期待があるから。

とても真摯に仕事をしていたのだな、と思い、そういう人が辞める決断に至り、それを誰も引き止めもしなかった事実の方が私は何だか悲しかった。

上の人が少しでもその気持ちを汲んであげられてれば、今ここでこんな事を言ったりしなかっただろうに、と思うと彼女に対しても切なかった。

私が去っていく時はどうだろうか、なんて頭の片隅で思ったりもする。

それでもどうしても言わずにはいれなくて「今度会う時は、仕事の話なんてしないで、もっと建設的な話をしましょうね。じゃないとお互いに会う度に苦しい関係になっちゃうから」とつい言ってしまう。

全員が大人だったので、私の言いたい事をわかってくれて、とても嬉しかった。

中にはこれを言えない人達もいるし、言ってもわからないぐらいに会社を呪っている人もいたりするので。

本当にそういう人とは二度と会いたくない気持ちにさせられる。

そういう時はその人に対しても、そう思う自分に対しても、とても悲しい。

だから、今日は悲しくならなくてよかったので、ホッとした。

また近いうちに会えるといいな、と思う。

そして、違う一面を見せ合えるような、そんな話が出来たらいいな、と思う。

_ ココロはお留守。 2004-04-23

部署内で、派遣さんの歓迎会をする。

ちなみに彼女、うちに派遣されて1年経つんだけど。

「私は歓迎会もされていない!」といつも言うので、ついに実施することになった。

いや、私も歓迎会なんてされてないんだけどね。

会場は、コジャレた寿司屋だった。

つーか、寿司屋ってわかんないし、これ。

しかもコースだとすっごい後にしか寿司出てこないし。

それでも、お構いなしにガンガン飲む。

どのくらい飲んだかは不明。

ビンビールが10本以上はきているはず。

それ以外に酎ハイが5杯以上はきているはず。

焼酎も5杯以上はきているはず。

それ以外ももっと飲んでるはず。

そんな感じ。

でも、全然素面で家に帰る。

始終どうでもいい話ばかりしていた。

私はきっと違うところにいたのだろう。

_ 4月なのに寒いお休みの一日 2004-04-24

予定を一切入れないで、休み。

とりあえず、朝はいつも通りに朝食を作り、簡単に片付けて。

ぼんやりと土曜の朝を楽しむ。。。つもりだったけど、洗濯に追われていたりする。

主婦か、私は。

出かけようかと思っていたけれど、その気はなくなり、一日家で本を読んで過ごす。

4月下旬とは思えないような寒さ。

東京は毎年こんな変な天候なのだろうか?

あまりに寒いので、夕方に買い物に出て、夜はシチューにする。

いや、真冬ですか?って感じです。

ビールを飲みながら、気持ちよくほろ酔いになって、眠る。

押さえつけるようにして、眠る。

_ お天気はよかったのだろうか、とすら考えたり。 2004-04-25

遅めの朝食を取り、洗濯をし、ちょっとパソの前に座っただけのつもりが、三時間も座っていた。

がーん。

気が付けば、夕方になっていて、何もしていない一日にショックを受ける。

お掃除とかはちゃんとしたけど。

何だか冴えない感じだったので、夕食は牛角に行って、もりもりと食べてみる。

元気になる(単純)。

夜はジョニー・イングリッシュを観て、笑い転げる。

何もしていないつもりだったけど、割と盛りだくさんな休みとなった。

_ 月曜日ですが。 2004-04-26

仕事で、大切な研修を入れていたのに、エライ(感じ?雰囲気?な)奴らにTV会議システムを取られる。

ジャイアンかね、君達は。

でも、権力に屈してしまう駄目なオレ。

のび太な感じ?

ドラえもんがいたら、いい案があっただろうか。

むむ。

とにかく、色々試みたけど、結局は研修は中止を決断せねばならず、あっちこっちに謝る事に。

謝る事が多すぎないか?と思ってみたり。

まぁ、ゴーインに丸く収め、事なきを得る。

しかし、心は収まらないので、始終、ジャイアンを呪う。

覚えてろー。

珍しく、朝から仕事を一生懸命してしまったりしたので、とても疲れる。

なのに、残業してみたり。

会社で違う仕事まで片付けちゃったり。

晩御飯はおうちでラーメンだった。

いい歳をして、こんなことでいいのかしら。

とほほ。

_ めまいと共に。 2004-04-27

朝、家を出る時はそんなに調子が悪いと感じなかったのだけれど、電車に乗るぐらいから、ちょー調子が悪くなる。

血が下っていく感じ。

結局、出社してすぐ、帰宅する事に。

えー、意味ないじゃん。

帰る途中で行き倒れになりそうなところを会社の人に拾われて、一息ついてから帰宅する。

死ぬかと思った。

帰り着いてから、昏々と眠る。

薬でも盛られたかの如くに、昏々と。

起きたら、夜だったので、ビックリした。

身体のどこかが、何かを負担に感じているのだろうと思う。

それは、きっと私だけではないので、ひどくズルをしたような気分になった。

こんなに自分をすり減らしてまでやらなければならない事とは一体なんだろう?

そこに意味は本当にあるのだろうか?

人生は決して長くない。

私は今のこの時間を後悔しないのか?

自問せずにはいられない。

何を選択してもいい。

私の責任は私が取るという事を忘れさえしなければ。

_ ショッピング~ 2004-04-28

靴が欲しいと思っている。

二足ぐらい。

でも、旅に出るので、ぐっと我慢をする。

それでも、月末の大阪打ち合わせは参加出来そうにないし。

金遣い荒すぎですよ、私。

ただ、見るのはタダよね、なんて伊勢丹に見に行ってみる。

ぐっとくるものがなくて、ホッとする。

あったら買ってしまいそうだから。

しかし残業しないで、ウィンドーショッピングしてる場合か?

明日は、休日を返上して、仕事に勤しむとしよう。

そういうスタイルが間違っているわけですが。

しかし、最近の靴ってどうしてあんなに魔女みたいなの?