知ってしまうことは本当に幸福なのか。 2004-04-21 - へびあし。


_ 知ってしまうことは本当に幸福なのか。 2004-04-21

先日から、右足が痛い。

時々、ほんっとうに時々しか痛まないので、憂鬱。

「病気の宝庫だねぇ」なんてしみじみ言われてしまって、ちょっとシュンとする。

もちろん、心配して言ってるって分かるけど。

よく考えれば、二月は原因不明の咳で悩まされ(どんな検査をしても原因らしきものは見つからず)、その後は歯が歩く振動で痛んで苦しみ(これも時間が経てば勝手に治った)、顎関節症だし、目も悪いし(先日ついにコンタクトを流して失った)、皮膚炎を患っているし、偏頭痛持ちだし、口も悪いし。

いいところがない。

でも、会社に行って迷惑かけたりはしてないと思うのね。

突然倒れたりは絶対しないし、前日に朝まで飲んでも出勤するし、遅刻もしないし。

だから、私としては「いいんじゃない?」って思って生きてるんだけど、本当に健康な人から見ると、ひどく不自由にみえるらしい。

当然といえば当然か。

「我慢とかしなくていいからね」なんて言われてしまい、なんだか突然に昔の事を思い出した。

小学校に入ったばかりのピアノの発表会でのこと。

私はそれまでに何度も発表会に出ていたし、発表曲も特に難しいことはなかった。

ただ、当たり前に緊張していて、そんな自分中にあったのは「絶対に間違ってはいけない」という束縛。

誰に言われたわけではなくて、何となく、でも「絶対」という強さでそう思っていた。

それって、当時の先生がとっても怖かったせいもあると思うけど。

それなのに。

私の前の子が、間違った。

私の中で「大ショック!」

「いいの?いいわけないよね?」幼な心で自問自答してみたり。

半泣きで戻ってくる彼女。

目の前で待ち構える先生(私のとって鬼婆のような先生だった。正直言って)

「絶対に怒られるだろう」そう思っていた。

でも、目の前に起こったのは、半泣きの彼女を優しく慰める先生の声。

「大丈夫だよ、間違ってもいいんだから」

今でもその声をはっきりと覚えている。

今でもその時のショックをはっきり覚えている。

そして、その後舞台に立った私。

暗譜していたものなんて、全部飛んでいた。

自分が何をしにここに立っているのかなんて事も忘れていた。

「間違っちゃいけない」は、私にとって束縛だったけど、同時に支えでもあったのだ。

今になってそう思う。

その後の事はよく覚えていない。

でも、とても怒られたのは覚えている。

とても怒られた。

いろんな人に。

以来、無意識のうちに自分を束縛して、その束縛を支えにして生きているように思う。

いつも苦しくて、苦しいのは当たり前だと思っていた。

「無理しなくていいよ」というのはとても甘く、魅惑的な言葉だ。

ただ、「無理」をしなくなった私がどっちに倒れるのか、という事を考えた時、私は私を手放す事が出来ない。

そうじゃない生き方もきっとあるし、そういう風にシフトしていかないと、私の糸はどっかで切れてしまいそうな気もする。

そうは思っている。

そんな自分だからこそ、鷺沢の件がショックだったのだと突然に分かった。