一年を振り返って 2004-12-31 - へびあし。


_ 一年を振り返って 2004-12-31

お節を順調に作り進める。

栗きんとんを作る作業は本当に面倒で、でもとても楽しい作業だ。

くちなしで黄金色になった様子は、魔法みたいで心が弾む。

今は驚くほど大量のおせち料理がきれいに売られていて、それはそれでとても魅力的なのだけれど、でもこうしてきんとんを作る瞬間の魔法や一つ一つの食材に込められた意味、そしておばあちゃんのそのまたおばあちゃんも作ったであろう料理を一緒に作る事や習う事は出来なくても、時を越えて作る事が出来るのはとても幸せな事だと思う。

家族の幸せを祈る気持ちがこもった料理なのだ、おせち料理は。

その幸せが、祈りが詰まった料理を時間をかけて作る事が出来る幸せを感じながら作る。

くちなし

今年は年の初めから大事な人と別れる一年でもあった。

別れには色々な種類があって、「会えない」と「会わない」は大きな違いがある。

今年はどちらの別れもあった。

二度と会えないのは、本当に辛かった。

覚悟はしてきたつもりだったけれど、それが一体何の役に立ったというのだろう。

今はもう感謝をするしかないのだ。

そして、「会わない」別れもあった。救いは、「会えない」とは違うと言ってもらえた事だと思っている。

今年の私には、「会えない」は辛すぎる言葉だったから。

また、勝手に「会わない」事にした人もいる。

これは他に選択肢がなかった。これ以上、その人に私の領域に土足で入られる事を私は良しとしなかった。

どちらにせよ、別れは辛い。自らが選び取ったものでさえ。

そこに付属していた思い出たちを切り刻むような気分になるのだ。全てが偽りになってしまう事だってある。

ただ、そこばかり見ていても仕方が無い。「仕方が無い」という決心をした年でもあった。

同時に、出会いもあった。

出会いは私に様々なものをもたらした。別れと同じく。

でも、別れと出会いはきっと同列ではない。

別れないと得られない出会いなどあるとは思いたくもない。

人一人の中に詰められるものに制限などあってたまるものか。

この制限の多い世の中で、これ以上我慢する必要などあるものか。

だから、別れが多かったので、出会いがあったのだとは思っていない。

どれも大事な出会いで、全く新しい出会いばかりでなく、付き合いが深まったために生まれた出会いだってあった。

良い意味にも悪い意味にも。

大事なのは、そこで「何か」をきちんと感じ、受け止める事だと思う。

生活の中では、自分以外の人と暮らす事を決め、仕事を辞め、結婚を決心した年でもあった。

それについては、きっと今年より来年の方が変化に富んだ年になるだろう。

日常というものの大事さを忘れないで過ごせば、困難は少ないと思っている。

変化は変化で楽しめばよいという事を彼から学んだ。

日常を支えるためには、マイナスイメージではない「努力」というものが欠かせないという事を知っている人なので、一緒に歩んでいけさえすればいい。

時折一緒に振り返り、足跡が確認できれば、毎日はちゃんと積み重ねていける。

あとは、感謝をする事。

宗教とかではなく、今年は本当に「感謝」について学ぶ年でもあった。

これはきっと、おじいちゃんが最後に私に残してくれたものだ。

だから、大切にしよう。

そういう一年だった。

締め括りは、年越しそば。

ちゃんとした年越しそばは、久しぶりだとQちゃんは言う。

ずっとこうして年越しそばを食べて、その年のお互いの存在に感謝できたら良いと思う。

また、取りとめも無い日記に足を運んできてくれる心優しき友たちに、本当に感謝している。

私は相変わらずだけれど、その相変わらずでいれるのは、私を受け入れてくれる人達がいるからだと思っている。

感謝。

皆に幸多からん事を。

どうか、よいお年を。

年越しそば