突然に 2009-08-19 - へびあし。


_ 突然に 2009-08-19

人生って変わるものだなぁと思います。
恋愛や結婚も、妊娠、出産もそうだけど、病気ってのも絶対人生を変えてしまうと思う。

父が今月初めに緊急入院し、緊急手術となったから、余計にそう思うのですが。
以下、覚書のような長い文章ですので、長文が苦手な方は飛ばしてください。

父はその緊急入院になる日まで、まったくいつも通りでした。
庭の手入れを暑い中、しっかりやり、たくさん食べ、更にオットと焼酎を飲みました。
それまでは、全くいつもの土曜日。
食後、しばらくはゆっくりし、子どもたちとひとふざけして、横になっていました。
「おや?」と思ったのは、私たちが家に帰る頃。
息苦しそうに咳をして、喉を押さえ、見送りには出て来ませんでした。
それまで、そういう事は一度もなかったような気がしました。
甥っ子のことか何かで手をとられているとか、何らかの作業をしているとかでなければ、大体は見送りに玄関までは出て来ていたのです。
でも、その時は私も「飲みすぎたのかな」と思っていただけでした。
帰って(実家は徒歩十分圏内!)オットが娘とお風呂に入ってしばらくしてからでした。

母からの電話。
父が具合が悪いので、急患センターに連れて行きたいが、父が起き上げれないので、オットの手を貸して欲しいとの事。
本当に、珍しい事でした。母はオットをかわいがっていてはくれたものの、やはり他人ではありますから、そうそう何かを手伝って欲しいとは言わないのです。その母が電話してきた事で事の重大さがわかりました。しかも、そう言いながら「あぁ、でも救急車とか呼ぼうかな、呼んでもいいのかな」と独り言のように言い出す始末。
救急車!
とにかく、オットをお風呂から出し、弟と一緒に父の付き添いで急患センターに行ってもらいました。
同行したオットによると、父は車中で一度嘔吐し、その後、びっくりするほど回復したように見えるとのメール。
ただの飲みすぎだったのだろうか、と思いつつ「よく診てもらってくれ」と返信。
長い夜でした。
心電図の後、精密検査の必要ありとの事、とメールしてきた頃には23時を回ろうとしていました。
約一時間近くかけて、大きな病院へ弟の車で再度運び込み、CT検査の後、「心筋梗塞の発作が二三日前におきており、安静が必要。緊急入院」と診断。
そのまま、病院に入ることになってしまいました。
家族の誰も考えていない事態になりました。

それでも、家族の誰もが造影検査で、そのまま簡単なバルーン処置(詰まっている血管を見つけ、そこを膨らませて、血流をよくする)で終わるだろう。最悪、一週間程度の入院で済むだろうと疑ってはいませんでした。多分、病院の先生方でさえ、そう思われていたのではないでしょうか。なぜなら、父はその時はまだ一般病棟への入院だったからです。
しかし、のん気な緊急入院後の日曜日の一日の後、事態は一変しました。

月曜日、急患のせいで、父の午前中開始の検査は午後になり、やきもきしてやっと迎えた検査開始。開始後、30分ほどでなぜか看護士さんに呼ばれ、検査されている父が見える部屋へ連れて行かれました。
検査をしている最中での医師からの説明でした。
その時でさえ、私はバルーン処置の為の説明だろうと微塵も疑ってはいませんでした。
医師の第一声は、二週間以上たった今でもはっきりと覚えています。
「はっきり言って、最悪の状態です。何で生きているのかわからないぐらい詰まっています」

父の血管は、びっくりするぐらい詰まっていました。
やっと、微量の血液が流れている状態で、危険な状態だったのです。
でも、そう聞いてさえ、でも今生きてるんだし、今入院してるんだから大丈夫、不思議と私はそう思っていました。もちろん、そう思うこと事態は間違ってはいなかったのでしょうが、あまりの事に理解がついていかなかったのも事実で、とにかく「大変な事になってしまったようだ」とだけ、考えていました。
検査医は、外科と相談し、どう処置するか考えたいとその日は病院を後にしました。
父にも同じ説明がされ、父はHCU(ICUと一般病棟の中間)へ移されました。

フラフラと家に帰り、日常に戻ろうと家事をこなしていると帰宅して一時間もたったぐらいに母から電話が。なんと、状態がよくないと病院から連絡があり、明日手術するとの事。
どう手術されるのか、何の説明もなされず、全ての話は手術当日の朝にという事になりました。

以下、また明日にでも。(・・・続く??)