信じるという事 2005-07-10 - へびあし。


_ 信じるという事 2005-07-10

信じるという事は本当に難しいな、と思う。

疑う事は容易い。容易いが、何も生み出さない。

疑い続けるという事は、失い続けるという事とイコールだと思う。

でも、一度でも欠けた「信頼」を再度、同じ重みで置いておく事が出来るか、と問われれば、難しいと言わざるを得ない。

再度置いた「信頼」が、一度受けた傷で疼く。そして、そこから、スルリと流れ込んでくる「疑い」を拒否するのには恐ろしいエネルギーが必要だ。

これ以上、痛い想いをしたくないという自己防衛だと思う。

信じて傷ついた時に悲しいのは、相手に対して落胆するというのもあるが、つまりは全て「自分への同情」と言うちっぽけで、ヒロイックなものなのだ。

信じていた瞬間の自分を思い、その自分に同情するのだ。

「私って可哀想」というのが、その痛みの正体だ。

そして、その醜さに気付き、また痛みを抱く。「疑い」を受け入れてしまいそうになる。

私はとても偏狭で、いつも誰かを追い詰めてしまうのだと言われた。

それはその通りだと思う。それを否定する言葉を私は持たない。

ずっと、頑張ればいいと思って生きてきた。頑張らなければ、生きている意味などないのだと思ってきた。

頑張っている間だけ、自分を許す事が出来た。ここにいてもいいよ、と思えた。

だから、許されるためだけに頑張ってきたようにも思う。体も心もボロボロだ。30年もそんな事しているのだから。

でも、自分だけ頑張っているのではないと思う。こんなにきついのは自分だけではないと思う。

だから、誰かにもそれを求めてしまう。自分と他人の境界線を見失ってしまう。

そして、それは誰かを追い詰める。そして、私は偏狭だと言われる。自分でもそう思う。

ただ、一つだけ、分かって欲しいと思う。

追い詰めてしまうのと同じだけの力で、もしくはそれ以上の力で、私は私を徹底的に殴る。刺す。絞める。自分自身だからと手を抜いたりしない。

でももちろん、相手を追い詰める事を正当化したりはしない。開き直ったりしない。

ただ、分かって欲しいだけだ。知っていて欲しいだけだ。

私は「許したい」し、「許されたい」。本当は。

ただ、今はどうしたらいいか、本当にわからない。

くだらないと笑って欲しい。

暗い部屋で眠れなくなってしまった。また。