2005年10月 - へびあし。


_ 星の王子さま 2005-10-14

書店で、星の王子さまを見る。

持っているのに、手にとってしまう。

そして、いつも同じフレーズを思い出す。

思い出す、というのは、なんと都合のいい作業だろう。

それぐらいの事は、許してもらえるだろうか、と自問する。

「大切なこと」

そのものを私はまだ探しているのかもしれない。

目に見えないものを、私は愚かにも得ようとしているのかもしれない。

過去に戒められる今日。

_ 気が付いたら 2005-10-16

たくさん、体重が減っていた。

3号の服さえ、満足に着れなくなった。

まるで、鶏がらみたいだ。

医者には会社を辞めた方がいいとまで言われた。

私は、本当にストレスに弱くなったのかもしれない。

胸なんて、えぐれてる気がする。

春までの我慢、と勝手に決めて言い聞かせる。

私は、そんなに大層な事を望んでいるだろうか。

手に入れたいものは、本当に平凡なもの。

本当に、平凡なものと信じているもの。

でも、私にとっては、それは大層なものなのかもしれない。

それでも、他の選択肢はない。

私が選び取った道。私が決めた道。

母が言った。

「あなたは、諦めるという事を知らない」

そう、そんな事は習わなかった。

叶うまで、血を吐いても、倒れても、強く願い、追いかけ続ける事しか習わなかった。

そうして、私は何かを手に入れてきた。

恵まれている、と私を言う人がいる。

でも、偶然で手に入れたものなど、なかったのだ。多分。

それでも恵まれているのだろうか。

でも、そんな事をしても、叶わない事もあるのだと、30歳になって知る。

酷な事だ。

_ 便利さ。 2005-10-18

外に出て、周りを見ると、いつも誰かが携帯でメールしている。

本当に、よく、している。

私自身も、時折携帯ばかり見ている時がある。

そうして、思う。

便利だな、と思うのと、中高生たちに対して、もったいないなーっと。

私が中学生の時は、携帯なんて、もちろんなかった。

ポケベルすらなかった。

好きな男の子と話をしたければ、家の電話しかなかった。

帰り際に電話をかける時間を決めて、やらなければならない事(食事、お風呂、宿題)を全て超特急で終らせて、ジッと電話の前で待っていたものだ。

時計を見ながら、ジッと電話機を見つめるのは、とてもいい気分だった。

本人に会うよりもドキドキする事すらあった。

固定電話の彼の声は学校とはちょっと違って、いつもよりグッと近いようで素敵だったし、お互いが家の人間の存在を意識しながら話すなんて、健全にエロティックではないか、と今、改めて思う。

そのとっておきの時間の為にやる宿題は苦ではなかったし、お風呂ではにやけたりしたものだ。

でも、きっと今なら携帯のやりとりで済まされてしまう。いつでも、好きな時に掛けられる。

電話以外で、今でも思い出すのは、手紙だ。

中学生の頃、まだお互い探り合っている、でもとても仲の良い男の子が、塾の休み時間に私の教室に来て、そっとノートを置いて行った。

何も言わずにさっと出て行った彼の行動に首をかしげながら、ノートを開くと、乱暴に折りたたまれたメモが挟まっていて、「元気がないよ、大丈夫?」とだけ殴り書きされてあった。

もう、一気に恋に落ちそうな気分になったものだ。

気の利いた方法だし、とっても秘密めいていて、私はこの方法が大好きになり、彼とは何度かこの方法でやり取りをした。

きっと今なら、メールで済まされてしまう事。

多分、携帯でも違うときめきをするのだろうと思う。

でも、何でも「簡単」になってしまった。

電話をすることもメールをする事も。情報が氾濫し、セックスも簡単になってしまった。

自分が確立されないまま、依存と恋の合間を泳いでいる子どもたちを見るとちょっと切なくなる。

何もかもを手に入れた子ども達は、ちっとも幸福そうには見えない。

いつも不安定で、曖昧な、満たされない姿に見える。

依存や便利さは、大人の特権でよかったのではないだろうか。

手に入れたいものをヤキモキする瞬間を知っているのと知らないのとでは大きな違いがある。

ヤキモキを知らない子ども達は、手を簡単に離してしまうように見える。

自分自身を守る手も、他人と繋がっている手も。

Qちゃんと手を繋ぐ時、初めて遠い昔に好きだった男の子と手を繋いだ瞬間を思い出すことがある。

そして、今、手を繋いでいる相手がQちゃんである事が嬉しいと感じる。

だから、しっかり繋いでおこうといつも思う。

目の前を歩く中高生を見ながら、不便さの幸福を知らない事を、学ぶ場のない事を、本当に勿体無い事だと思った。