2008年12月 - へびあし。


_ おっとー 2008-12-22

気がつけば、今年もわずか。

月初にぶっ倒れて、急患センターに行ったり、内科に行ったり、整形外科に行ったり、大変でした。
結局のところ、首の骨のつくりが悪いそうです。
この、吐き気まで伴う、頭痛の原因。。。。
治らないのであれば、悪化しないように努めるしかない毎日。
娘がもう少し大きくなれば、ぶっ倒れることも、リハビリに通うことも出来るようになるでしょう。
もう少しの我慢我慢。

今年は色々なことがあった年でした。
後厄だったけど、(今日現在までで言えば)ありがたいことに大した悪いこともなく、過ごせました。
体調は、めちゃめちゃ崩したけど。
娘は、どんどん大きくなり、何でもかんでも本気でやりあう事が多くなってきました。
でも、やれることを精一杯やって、あとはごめんというしかないような気もします。
かといって、そう割り切って、その事に甘えることもないようにしたいとも思っています。

気がかりと言えば、甥っ子のこと。
少しずつ、自分に母親がいないと言うことを実感し、対処しきれないところが出てきている様子。自分で、自分の寂しさや悲しさをどう処理していいかわからないのでしょう。
男の子は、本当に不器用で、悲しくても悔しくても力を使ったりして、ただの乱暴者のように思われがち。どうしたら、彼がこのことを受け入れて、乗り越えるのに手を貸してやっていいかを考えています。甘やかしすぎず、ただ「仕方ない」というだけにせず、どうしたらいいのかと考えています。
そして、この世にもっといるであろう、甥っ子のような境遇の子、そういった子どもたちに何か出来ないだろうか、そんなことも頭の片隅で考えています。
もっと、自分の環境が落ち着かないと出来ないけれど、昔の人脈も少しはあるし、もう少ししたら何か考えたいと思っています。考えるだけは自由だものね。
まずは、この動けない期間に出来る勉強をしようと思っています。

そんなさなかに、11月の連休に来てくれたさとなさんの気遣いには(去年もそうだったけれど)本当に感謝しても感謝仕切れない気持ちになりました。
娘だけでなく、甥っ子にも「同じもの」をおみやげにくれた事です。
物をもらった事が嬉しかったのではなく、甥っ子にも身内だけでなく、「気にかけてくれる誰かがいる」、その事に嬉しかったのです。
大げさに言えば、母親に存在を否定された彼を、誰かに、一人でも多くの人に、「認めてもらえる・気にかけてもらえる」その事が嬉しかったのでした。
「どんなものを喜ぶだろうか」そう、会った事もない、何の関係もない、甥っ子のことをさとなさんが遠い東京にいて考えてくれた、その事が本当に嬉しかったのです。

彼に少しでも多くの「OK」を体で感じさせてあげたいと思うのです。
「ここにいて、いいんだよ」
「そのままでいいんだよ」
「大丈夫だからね」
そういうことが、彼に少しでも伝わればいい。
そう思っている私にとって、この気遣いは昨年に増して嬉しいものでした。
何故かと言うと、彼が自分と娘を比較し始めているからです。
そして、そのさとなさんに甥っ子を会わせる事が出来てよかったです。

私も(特に観光に連れて行けませんでしたが)たくさん、たくさん、思っていることをただただべらべらと話し、聞いてもらえたので、リラックスできた大切な時間になりました。
来年は、もう少し勉強もして、気の利いた話題を出来るようにしたいです。。。。
阿呆すぎる私。。。

一番の今年の収穫は、娘の成長に伴う、私の心境の変化でした。
娘が成長したように、私も母親として、少しだけステップを上がれたのかもしれません。
かも、ですが。