2002年1月 - へびあし。


_ ご挨拶! 2002-01-01

明けましておめでとうございます

今年も無事に、新しい年を迎えることが出来ました。

ハムを連れて、帰省しております。

久しぶりの実家は、悪くはないんですが・・・・・。

ハムの身が、かなり危険です!

おもしろがって、父と母がハムの姿を見たがっているのですが、こんなに騒いでて、出てくるわけないじゃん!

でも、聞き入れてもらえません><

勝手な呼び名で呼ばれてます。

「ボンレス~!」

「スモーク~♪」

「ねず~♪」

最終的に

「甚八」に決定しました。

本年も、強く・正しく生きていこうと思います。

皆様、本年もあたたかく見守っていただき、ご助力いただきますよう、よろしくお願いいたします!

_ 恒例行事 2002-01-02

母の実家に行きました。

お正月と言えば、「お雑煮」ですね。

我が家は、「博多雑煮」です。

だしをあごと昆布でとり、具は、かまぼこ・かつお菜・あら・しいたけです。

ところで、お餅って、一般家庭でどのぐらい食べられるんでしょうか?

うちは、祖母曰く「歳の数、食べなさい!」でした(実話)

ですので、私が小学校の頃まで、叔父達は最高一回で20個。

三日間で80個近く食べておりました。

本当に。

生まれた時から、私はその環境で育っておりましたので、それが「普通」だと思ってました。

「普通」じゃない、と知った時は、ショックでした。

うちは、親戚がそろうと最大20人近くです。

そして、大人が多くて20個、少なくても5個の餅を食べると考えた時、どのくらいの餅がお正月の三が日の間で消費されたかが想像がつくと思います。

少なくとも100個は、食されてましたから。

恐ろしい量です。

それが、お正月の恒例行事でした。

大量の餅を消費することが。

また、父の実家では、今でも石臼と杵で大量の餅をつきます。

これも、恐ろしい量です。

ついているのを待っている時間を含めますが、4時間は餅を丸め続けます。

はっきり言って、私は餅丸めのプロです。

幼い時から、こなしてきた数が違います。ふふふン。

それがお正月前の恒例行事でした。

恐ろしい量の餅を丸めることが。

年々、時間が経っているのを痛感します。

段々と、恒例行事に関わる人間が変わり、交わされる会話が変わっていきます。

台所を仕切っていた祖母は、動かなくなり、嫁である叔母が台所に立っていたり、生まれた時から知っている『小さないとこ』は、もう大学受験間近だったり。

そんなのを見ると、何かを失ったような気持ちになります。

時間は、奪っていくだけだとは、思いたくはないのだけれど。

こうした家族の行事は、出来るだけ次の世代に繋げていきたいなぁ、と思います。

そうすることで、時間が奪うだけではないことを感じることが出来るような気がするのです。

少なくとも、祖父母が元気でいる間は、そういったものを大切にしたいと思います。

彼らが創ってきたもの、受け継いできたものですから。

今年も、(多少の様変わりはあったものの)いつもと同じお正月を迎えられたことに感謝します。

_ 帰ってきました♪ 2002-01-03

自分の部屋に帰ってきました。

極楽♪

実家にいるのは、悪くはないんだけど、年々何か違和感を感じます。

まぁ、部屋は物置のようになっているし(愚弟の荷物で)。

私の物がほとんどないので、旅館に来ているように気持ちになるのは、仕方のないことなのでしょう。

普段は、贅沢ではないにせよ、自分のペースで自分の食べたいものを食べたい味で食べ、自分のリズムで好きなように生活している私にとって、家族とのペースを二三日で取り戻せ、というのは、土台無理な話のように思います。

何せ、始終テレビが点いているので、それがまた、私を落ち着かなくさせるのです。

そういう意味で、実家はうるさ過ぎて、ちょっと疲れてしまいます。

もっとも、これと言ってすることもないので、テレビを見るしかなかったりするのだけれど。

ここにいて、することがないというのは、まずありませんから。

「何もする気が起こらない」ことは、あったとしても。

そういう意味では、やはりここが小さいながら私の”お城”なのでしょう。

そういうわけで、明日からが私の本当にお正月休み!

満喫するぞ~!

明日から、お仕事の方、ゴメンナサイ。

お仕事、がんばってくださいませネ^^

_ 初詣 2002-01-04

太宰府天満宮、と言えば、初詣のメッカ(あるのか?そんな単語)でございます。

私はその近郊に住んでいるので、道路が迷惑なぐらい、混みます。

何で、公共交通機関を使わないんでしょうねぇ。

私は、もっと落ち着いてから行こうかと思っていたのですが、小さいいとこが19日からセンター試験らしいので、合格祈願に歩いて行って来ました。

歩いたのは行程の半分ほどですが。

時間にして、約一時間。

風が冷たすぎず、気持ちよく歩けました。

そして、また(最近、ちょっと嫌かも)声を掛けられました。

「二日市温泉、どこ?」

「二日市温泉ですか?」

「そうだよ」(この時点で、この返答にむっときた私)

「(にっこり、笑顔で)この道をユーターンしてあの角を曲がれば、大通りです。

 左手側が二日市になりますから、下ってください」(ばりばり、アバウトな返答)

いい大人が、人にものを尋ねる時の口の利き方を知らないとは、恥ずかしいことです。

例え、目下のものであっても、尋ねる時は、きちんと尋ねましょう。

間違った道を教えるほど、根性は曲がっていませんが、あまりきちんと教えたくなくなるのは、事実だったりします。

まぁ、大通りを行けば、看板は出てるはずですけどね。

太宰府天満宮は、大変な混み様でした。

あれは、菅原道真公も願いを聞き入れるのは、難儀かも知れない・・・。

ここまで読まれた方、皆さんお気づきでしょうが、ワタクシ、ひとりで行って参りました。

初詣、という自覚はなくとも、初詣。

ひとりで行ってていいんでしょうか。

今年もいい年になりそうだなぁ><

_ 私の彼氏♪ 2002-01-05

なかなか会えません。

わりと色白です。

ちょっと、動きが鈍いです。

常に自分のペースで行動します。

かなりの変わり者です。

最近は、ちょっと太り気味かも知れません。

私に興味はないように見えます。

実は、ちょっと女性に人気があります。

特に、年少者には、かなりの人気です。

本当は、優しいはずです。

名前は

パール

ハムスターです。

ちょっと、ドキドキした?

_ 寝込んでました。 2002-01-06

二三日前から、調子が悪いな、と思っていたけれど、案の定、風邪をひいてしまいました。

休みの終わりになって・・・・、トホホ。

夕方まで、本当に身動きできないような気がしていたけれど、友人からの訳の分からない電話で、たたき起こされ、起きたついでにシャワーを浴び、ご飯を炊き、片づけをしたら、何とか気持ちも回復しました。

自分の風邪のひき方を知っているので、咳だけは出ないように気をつけて、のどの痛みがひどくなった時のために、大根の蜂蜜漬けを作り、おじやを作りました。

結構、元気じゃないか(笑)

こんな風に、弱っている時もそれなりにこなしてしまう自分が、時折嫌になります。

「う~、死にそう~。誰か助けてぇ~」

と、言える性格だったらいいなぁ、と心の底から、思います。

でも、そんな風だったら、自分の生活を守っていけないかもしれません。

むむむ。

まだ、完全に治ったわけではないので、今夜は早めに休みます。

皆様も、風邪にはお気を付けて。

オヤスミナサイ。

_ タイムリーな行事 2002-01-07

体の調子が悪かったので、今日は「七草粥」がタイムリーでした。

そういうわけで、七草粥を食べました。

ちゃんと、爪も切りました。

ちょこっとだけ(^^;

これで、病知らずのはずっ

・・・って、すでに風邪ひいてるんですけどね。

無理をせずに、休みます。

ご心配してくださった方、ありがとうございます。

お見舞いは、桃缶でお願いします(笑)

なーんて。

オヤスミナサイ。

ありがとう(^ー^)

_ 私が好きな話 2002-01-08

ある小学校の理科の時間の出来事です。

「氷が溶けると何になる?」と先生が聞きました。

「水」「水という、液体になる」生徒達が答えます。

理科の授業としては、これが正解でしょう。

ある生徒がポツリと言いました。

「春が来る」

_ もうひとつの「氷」 2002-01-09

気持ちの中にも、「氷」がある。

不安・戸惑い・迷い。

そうしたものは、気持ちの中で、冷たく固まって、凍ってしまう。

その強張りで、気持ちがうまく動かなくなる。

ギシギシと、音を立てたりする。

でも、氷はいつか必ず溶ける。

温められれば、溶けていく。

「ありがとう」という言葉をもらったり、返したりすることで、温まる人もいる。

誰かの笑顔で、温まる人もいる。誰かの泣き顔で温まる人もいる。

きれいな星空で温まる人もいれば、となりにいる人を温めることで温まる人もいる。

物欲が満たされることで、温まる人もいる。

温まり方は違っても、いずれ温まり、氷が溶けることは、皆同じ。

そして、誰の元にも、春が来る。

必ず、春が来る。

だから、大丈夫。

気付かないだけで、春はもうすぐそこまで来ている。

その気になって、耳を澄ませば、その足音が聴こえるはずだから。

_ 私が気に入っている話 2002-01-10

樹の体温の計り方。

雪や氷を、ぐっと握って、手の平で溶かす。

その後、そっと樹に触れてごらん。

ほら、温かく感じるだろう?

樹の体温を感じるだろう?

_ あぁ、また(T_T) 2002-01-11

病院に行きました。

私、あまり病院に行きません。

たぶん、一年に一回ぐらい。

病院に行くと、いい事がないので、行きません。

ですから、行きつけの病院もありません。

家の近くの病院にかかりました。

ひどかったのではなくて、私の身近な人がきちんと治療していらっしゃるのに、私がきちんと治さないままにしていたら、何だか迷惑だろうなぁ、と思ったりして。

おじいちゃん先生でした。

私、あまり病院に行きません(くどいようですが)。

でも。

おかしいよね?

洋服の上から、聴診器を当てていらっしゃるんですけど

驚いて、キョロキョロしても、看護婦さん達普通でした。

聴診器って、私が病院に行かない間に、そんな風に使うものになったんでしょうか?

先生、全然お話されません。

私、看護婦さんの指示で深呼吸したり、後ろを向いたり。

それで、いいんですかねぇ?

のども見られました。

口をあけて、ペンライトを当てただけ。

遠くから、そおっと><

舌は邪魔じゃなかったですか?

しかも、カルテをみると、処方・・・・カタカナ

お薬は、八日分。

名医なんでしょうか。

迷医なんでしょうか。

_ 回復に向かって 2002-01-12

朝起きたら、二日間私を苦しめた鼻詰まり(色気のない話しだ)が、治ってました。

「やはり、名医だったのか!?」と思っていたら、午後から再発しました(爆)

調子のいい間に、布団を干し、部屋の空気を入れ替え、カーテンを洗いました。

まだまだ、やりたいことはいっぱいあったけど、頭痛がしてきたので、止めました。

考えなきゃいけないことと、考えたくないことがありました。

やらなきゃいけないことと、やりたくないことがありました。

全部、放り投げて、爆睡しました。

九時過ぎに目を覚まし、夜になっていたので、安心しました。

なんとなく。

「次に目が覚めた時は、明日になってる」

何もなくても、明日が恋しかったのです。

明日には、元気になっていると思います。

_ お片付け! 2002-01-13

かなり、回復しました。

ほぼ、何の支障もないくらいに。

皆様、お気遣い、ありがとうございました<(_ _)>

ただ、もう少し完全に治るまでは・・・と思い、お部屋でおとなしく過ごしました。

・・・・おとなしく?

引っ越してきて以来の、「大掃除」を行いました(笑)

何せ、この狭い部屋に26年間の私の荷物が全て納まっています。

引越しを(勝手に)決めた私に、母から「何ひとつ残らず持って、出て行きなさい(▼▼メ)」命令をいただいたものですから^^;

しかも私、物持ちがいい方。

なんと言うか、何でも取っておくタイプ。

特に、手紙類。

きちんと封筒に入ったものから、中学・高校・大学時代に、授業中にやり取りしたノートの切れ端まで!!

年賀状なんかも、当然小学生に上がる前の分からあります。

さすがに、一部今回、泣く泣く処分いたしました。

(ほんのちょっとだけ)

しかし、そんなところから片付けているもんですから、懐かしいものに手が止まり、作業が進まない(涙)

やっと、今日中に何とか片付けることが出来ました。

ただし私の部屋には、本来タンス等はありません。

三段ボックスが二つあるだけ。

ですから外見的には、ほとんど変わらなかったりして(爆)

苦労したわりには、報われないような気がしました。

それでも機能的には、使いやすくなったので、これで、勉強も(気分的には)仕事も、はかどる事でしょう。

はははー(^▽^;)

非常に、有意義なお休みとなりました!!

_ 成人式にまつわる思い出 2002-01-14

ハッピーマンデーの導入により、本日は成人式でしたね。

自分の成人式を振り返ると、出てないので、振り返れないと言う(笑)

講義で、何人か論文を書いて発表して欲しい、と言われたので、それに積極的参加をしていましたので、成人式どころではなかったんです。

・・・・というのは言い訳で、何か参加する意義が見出せずに「学生の本分は勉強でしょう」と、両親には言い切りまして、不参加でした。

おかげさまで、論文はかなり高い評価をしていただきましたが、実は、白紙原稿を広げ、資料だけで発表したという記憶が・・・・。

不参加にしても、文章化する時間が足りなかったんです。

今思うと、我ながらたいした度胸^^;

成人式には、友達に会えるから行くという人もいるようです。

でも転勤族だったせいか(回数はたいしたことないんですが、卒業を挟んだりしたので多く感じてしまうんでしょう)、そういう懐かしい顔ぶれが集まるところって、苦手でした。

今でも、苦手かもしれない。

そこそこで、小・中・高の友達っているんですけどね。

地区がバラバラってだけで。

しかし、この成人式不参加の件で、大学の卒業式まで、母に文句を言われ続けました。

私にしてみれば、親孝行な娘だと思っていたのです。

だって、お金がかかってないんですよ。

何もしてもらってないし、してもらうほうがおかしいと思ってましたから。

でも、母にしてみれば「きれいに着飾った娘の姿が見たかった」というわけです。

「何の為に娘を育ててきたかわからない。確か娘を育ててきたはずだったんだけど」ともいってましたね。

おかげで、卒業式は大変な力の入れようで、写真館で写真を撮られたりしました。

「親孝行・・・・・親孝行・・・・・・親孝行・・・・」と呟いてましたけど、出来ればあんなこっぱずかしいことは、もう二度としたくないです。

ちなみに、親戚の皆様からいただいたお祝いのお金は、お礼の食事会代とその直後に、ぶつけた父の車の修理代金に消えました。

「ゴン!ギギギー!」

で、ドア一枚おじゃん。

忘れもしない、八万円><

以上がワタクシの成人式の思い出にまつわる思い出です(笑)

愚弟も成人式に不参加で、その時に発覚した事実によると、我が家で成人式に参加した人間はいなかったのでした。

つまりは、両親も参加してないわけです。

どこまでも、かえるの子はかえるってことですよね。

_ 流れ 2002-01-15

時の流れについていけないことがある。

以前に比べ、随分と自分の時間がとれる仕事をしているにも関わらず。

時間が足りない、というのとは、ちょっと違う。

上手くついていけないのだ。

その流れに。

体が。頭が。思想が。思考が。

エスカレーターのような時の流れに、足を乗せるタイミングを逸して、立ち止まっている。

前へ、前へ。

すいすいと時間は流れていく。

私はそれを見つめながら、右足を先に出せばいいのか、左足から出せばいいのか、ずっと悩んでいるのだ。

事の始まりは、先日のことだ。

右足を先にしようとしたら、左足から異議が出たのだ。

幼稚園のお遊戯会のダンスも右足が先だった、というのである。

それで左足を先にしようとすると、左足の意見をいつも優先して左足には甘すぎると右足が言うのだ。

どちらも私のかわいい足である。

平等に扱いたいと思うのだが、どっちを先にしても角が立つ。

ちょっというと、そんな感じだ。

折り合いが難しい。

そうして、座り込んでいる。

前の方で「以前の自分」が、過ぎ去った流れに『無駄に過ごした時間』とラベルを貼っている。

せっせと、せっせと貼っている。

きっと彼女は、すこぶる怒っているので、そのうち私に伝書鳩を飛ばしてくるかもしれない。

「バッカジャナイノ?トビノレバイイジャナイ!」(名案だ。左右の足も納得するに違いない!)

電報でも打ってくるかもしれない。

「ナニガシタイノ?」(結婚式の引き出物のような的確で無駄のない質問!)

糸電話もひいてくれるかもしれない。

「イイカゲンニシロ!」(ピカピカに磨き上げられたファミリーレストランのナイフのような実用的で鋭利な文句!)

最後には、きっと空き缶を投げつけられるだろう。

私はわりとコントロールはいい方だったから。

いや、地球に優しく賢明な彼女ならきっと、空き缶は投げない。

豆腐を投げてくれるだろう。

「トウフノカドニデモアタマヲブツケテオキナサイ」

_ 階段 2002-01-16

無駄な話をしたい夜がある。

何の計算もいらない人と、何の利害関係もない人と。

ただただ、何でもない話がしたい夜がある。

人の声が聴きたくなる。私の本当の声を確認したくなる。

そうしたくてたまらない自分に気付くと、形容しがたい感情が私をとらえる。

声を聴かせてください。声を聴いてください。

話の内容はなんだっていいのです。

何でもない話をしたいのです。

そうすれば、私は声を聴くために、もう一歩階段を上がれる気がする。

そうすれば、私は声を届けるために、もう一歩階段を上がれる気がする。

階下に広がる闇が深すぎる、そんな夜。

_ 22歳の私 2002-01-17

『疑問に思うところから、始まる。

 疑問に思うから、気にかかる。

 そうやって自分の中の疑問点を把握し、その疑問を解消する手段を手に入れていく。

 亀の歩みだといつも思う。

 だけど、時折振り返ってみて、自分の足跡を見つける事が出来る。

 満足はしていない。

 同時に、不安はあるが、不満はない。

 手を抜かず、力まず。

 私は私の歩調で。私の歩幅で。

 前向きに頑張ろうと思う。

 私の環境がぬるま湯だと言われるならば、いつか

 「ぬるま湯だから、熱さも寒さもわかるのだ」

 と言えるように、今はただ、真っ直ぐに頑張っていく。

 そう、心がけたい。

 そういう、自分でありたい。』

_ 偉大なる母 2002-01-18

フォントが変わらない文章が増えると、ご心配をおかけするようです^^;

元気ですので、ご心配なく!ありがとうございます<(_ _)>

さて、久々の母ネタ。

<その一 バカ夫婦の会話>

父がテレビを見ながら母に聞きました。

「な~、『トラウマ』ってどんな意味なんだ?」

母、しばし考えて。

「ぜんぜん違うこと、って意味なんじゃないの?」

「どうして?」

「だって『トラ』と『ウマ』って、全然違う顔をしてるじゃない~」

「なるほどな~。」

・・・・・父よ。

本当にそれでいいのか?!

・・・・・母よ。

父が納得すれば正解ってわけではないです(涙)

<その二 あなたにぴったり!>

私の部屋には、何故かサボテンが多いです。

その話を母にしました。

「おねぇちゃん(母は私を時折こう呼ぶ)には、ぴったりね」

「なんで?」

「世話をしなくていいでしょ?」

「でも、種から育ててるのは、手がかかったよ」

「だって『”サボ”テン』じゃない~」(とっても、嬉しそう♪)

・・・・・母よ。

偉大なる母よ。

全然面白くないっス(滝汗)

_ 干支? 2002-01-19

髪を切りました。

一週間ぐらい経つんですが。

例によって、例のごとく、仕事中に。

社長公認。

私、髪を切っていただくときに、必ずお願いすることがあります。

「朝、セットする必要のある髪型はやめて下さい」

「可能ならば、くしを入れれば出勤出来るぐらいでお願いします」

だって、朝セットするのに30分?!という方々がいるじゃないですか。

あれは、すごいと思います。

私には無理。

その時間で朝ご飯作って食べた方が、絶対体にいいと思ってますから。

まぁ、そんなこんなで、一週間。

落ち着いてくればくるほど、「腕がよかった!」と思ってます。

仕事の関連で、毎回違うところでカットしていただいてるんですけどね。

今回はすばらしかった!

「どんな風にします?」

「『山から下りてきたサル』っぽく」

「(ー'`ー;)ムムッ」

スゴイ。

後ろから見ると、サルだそうです。

前から見ても、サルです。

母親は、「人間の子を産んだのに・・・><」と泣いてました♪

ちなみに、友人も髪型が変わってました。

「打ちあげられた水死体みたいな髪型になってるね」と言ったら、

「コンセプトは『ウマ年なので、ウマっぽく』なのよ」との事。

なんだか、干支な私達。

街中で見かけても、餌は与えないでください。

_ 朝日新聞っ! 2002-01-21

密やかに、私の中で続いていた「マクドナルド論争」。

ついに、その決定的瞬間がきましたね!

動かしがたい事実!!

本日付けの「朝日新聞の朝刊」に『「携帯チラシ」でマックへどうぞ』のタイトル文字が!!

私は大体、ここ最近は「日経派」だったんですよ。

でも何故か、今日は「朝日でなければ」と妙に思ってて。

いや~、神の啓示ですね、これは。

朝日新聞ですよ。

天下の朝日!

大学受験の出題率トップの朝日!

その朝日新聞で、堂々と「マック」の文字が躍っているではありませんか!!

ふふふ。

決まりですね。

ちなみに、レシートは「マクドナルド」と正式表記でした。

あぁ~、いい気分♪

やっぱり、新聞は朝日新聞に決まりですっ!

_ 帰る場所 2002-01-22

寒い夜。

人は足早に家路を歩く。

家にはきっと、心配顔の家族が待っている。

暖かくして、帰りを待っている。

人は帰る。

待っている人の所へ。

人の心の中に帰る。

お疲れ様。

おかえりなさい。

_ 今日という日 2002-01-23

むかし、むかしのこと。

ある朝、少女は目が覚めて、戸惑いを覚えた。

何かを夢の中に置き忘れたような、そんな喪失感。

はじめは、それだけだった。

でも、時を重ねるにつれ、彼女は多くのことに不安を感じるようになった。

私は、靴下をどちらから履いていたんだっけ?

ドアは右手で開けていたか、左手で開けていたか。

眠る時に口はどうしていただろう。

そんな、些細なことだ。

でも、彼女は確かに自分の中にあった「何か」を失っていた。

少しずつ、少しずつ、彼女は日常から遠ざかっていった。

「毎日」が、彼女を怯えさせた。

「昨日」が、彼女を戸惑わせた。

「明日」が、彼女を不安にした。

多くの雑音が、彼女の耳に入ってもおかしくはなかった。

だが、彼女がそれを聞くことはなかった。

庇われていたのだと、彼女が気付くのはもっと時間が経ってから。

彼女の母は、何も言わなかった。

いつものように、「日常」を編み続けた。

彼女の母がしたことは、彼女に本を、その世界を与えたことだけだった。

スポンジが水を吸うように、彼女はその世界を吸い上げた。

その世界で、彼女は言葉を覚え、感情を波立たせた。

そして、ある朝少女は自分に呟いた。

「今から、また始めよう」

失ったものは戻らなかったけれど、彼女は新しいものを手に入れていた。

それから、十年以上の月日が経った。

今になって、彼女は思う。

あの時に、彼女の母が喪失した世界へ彼女を引き戻していたら、どんな「今」だっただろうか、と。

私は「ここ」にたどり着くことが出来ただろうか、と。

時折、その深さに飲み込まれそうになるけれど、その愛情に感謝する。

今後、何がしかの訣別が私達を別つ時がきたとしても、私はこのときの感謝を忘れない。

深い感謝と尊敬を込めて。

お誕生日、おめでとう。

_ チューリップと帰る 2002-01-24

相変わらず寒さが厳しい一日でした。

そんな日にも関わらず、会社帰りに、ちょっと足を伸ばして、「福岡アジア美術館」へ行ってきました。

「女性美の500年~描かれたイメージ:西洋と日本」が今月の26日まででしたので。

かなりの数を見たと思っていたら、200点近くあったようです。

大変疲れました。

帰り道、まるでひまわりのような、真っ黄色のガーベラを七本買いました。

それから、遅ればせながら、チューリップの球根を買いました。

チューリップは、咲かせられるかわかりませんが(何せ時期が時期なので)育ててみます。

「チューリップ喜びだけを持ってゐる」細見綾子

まだ球根のチューリップに春への思いを馳せつつ、明るい月を見ながら帰宅しました。

_ 病の床で・・・。 2002-01-26

病の床で、恋しかったもの。

・桃缶

・レモンを絞って、炭酸水と蜂蜜をいれたもの

めちゃめちゃ、恋しかったです。

思わず、高村光太郎の『レモン哀歌』を病の床で暗唱しちゃうほど、恋しかったです(笑)

思いが通じたのでしょうか。

26日の明け方、嘘のように、熱は引いていきました。

油断せずに、養生いたします。

みなさまも、病にはお気を付けて。

_ 足元がすくわれたりする認識 2002-01-27

実はずっと、「障害者」(その言い方の賛否も棚上げする・・・って、一々断り始めるとキリがない。今回は本題以外は目をつぶって頂きたい)と呼ばれる人々は、ある意味ひとくくりだと、漠然と思っていた。

もちろん、障害に違いはあるし、だから障害者は必ず助け合うものだと思っていたというわけではない。

だた、「障害者」の中では、彼らは平等であるかもしれないと思っていた。

自覚して、愕然としたりもするが。

本日、福岡市聴力障害者福祉協会が主催の「新春のつどい2002」に参加してきた。

参加といっても、報告会という感じだったので、聞く(いや、見るか)のが主だったのだけれど。

そこで、「第19回デフリンピック(世界ろう者競技大会)」の報告があった。

障害者の競技大会といえば、(最近は知名度も上がっているので)思い浮かべていただける大会名があると思う。

そう「パラリンピック」である。

報告では、「パラリンピック」の名を上げ「デフリンピック」の知名度の低さを嘆いておられた。

いや、待て、である。

私の記憶に間違いがなければ「パラリンピック」は「障害者競技大会」なのではなかったか。

調べたら、「日本ろう者スポーツ協会」の名が、日本パラリンピック委員会加盟競技団体名簿の中にちゃんとあった。

よくわからない。

よく分からないのは、その場で解決したい性質である。

いつも手話を教わっているYさんに聞いてみた。

「なぜ、『デフリンピック』なるものをやるの?

 パラリンピックと同じじゃいけないの?」

「障害が違うんだよ」

(言葉は違うかもしれない。言葉のニュアンスで受け止めないで欲しい。

Yさんはろうあ者だ。あくまでも私がそう訳したということ。)

しかし、彼の返答としては、そういうことだ。

考えもしないことだった。

その時に初めて、「障害者は障害者の中で平等だ」と勝手に思い込んでいた自分に思い当たった。

そこに存在しているのは、重・軽の違いではないと思う。

障害の種類が違う。

そのことが、大きな意味を持っていた。

世間一般的に『ボランティア』に分類されることに関わり始めて、6年以上が経つ。

今改めて、思う。

『ボランティア』ってなんなんだろう。

『バリアフリー』ってなんなんだろう。

_ 模索 2002-01-28

私の昨日の日記を読み、メモライズ仲間のぷよさんが『知らない世界に住む人との価値観の違い。』という文章を書いてくれた。

自分の書いたもの、特にこういった話題に、リアクションがあるのはとても嬉しい。

それで、それを受けて、私の思うことを書こうと思う。

今、健聴者である私の身近にろうあ者がいる。

私達は、時に友人であり、飲み仲間であり、先生と生徒であったりもする。

私達は「音」を共有出来ない。

でも、空間を、そこに起きる出来事を、共有することは出来る。

それで、十分じゃないかと思うのだ。

私達の世界はひとつだ。

健聴者同士の全てが、一緒に過ごした時間の全てにおいて、互いを十分に理解できているだろうか。

そんなことはありえない。

それと同じ事だ。

音声言語を主体とする健聴者と手話言語を主体とするろうあ者はコミュニケーションをとることが難しい。

だから、私は手話を学ぶ。

地面から雨が降ることがないように、ろうあ者が音声言語を取得し、使いこなすことは困難だ。

だから、私は手話を学ぶ。

例えば、

 外国人に英語で道を聞かれた。

 私は答える術を持たなかった。

 となりにいた友人が代わりに答えてくれた。

 骨折をした。

 荷物と松葉杖を持っては、階段を上がれなかった。

 通りかかった人が荷物を持ってくれた。

これらのことがどれだけの意味を持つだろう。

私がしようとしていることは、こういうことだ。

健聴者が手話を覚えることを、「歩み寄り」と言う人がいる。

「歩み寄り」などではない。

上下などない。格差などない。

あるのは、ただ世の中が健聴者を中心とした作りになっているということだけだ。

「たまたま」健聴者の数が多かったということだけだ。

それが、認識の誤りによって、上下や格差を錯覚させることがあるだけだ。

綺麗ごとで言っているのではない。

本当にそう思っている。

手話を学ぶということは、ろうの方々と話をする手段を身につけることであり、時と場合によっては、彼らの「声」を代弁することが出来るようになるということだ。

私にとってそれは、道を聞かれたときに代わりに答えることであり、階段で荷物を持つことでしかない。

奉仕ではない。

犠牲などはない。

ろうの方々の中に、自分達の世界に、文化に、誇りを持っている人は多くいる。

ただ、それが私達の関係を隔てるものではないと思っている。

知らないものは、知ればいい。

ただ、私が憂うのは「知る機会の少なさ」だ。

健聴者有利の生活環境で、ろうあ者がそのことを「思い知らされ」合わせる事を強要されているかのごとくの現状の中で、私達はなんと知る機会が少ないことだろう。

それは、ろうあ者だけでなく、高齢者や身体障害者とも置き換えがきく事実だ。

私自身、そのことで幾度となく、戸惑ってきた。

どのくらいやれば、全てを知ることが出来るかなど、わからない。計れない。

ただ、どんな関わり方であれ、私は一生涯学び、知ろうとする人間でありたい。

そして、可能な限り「知る機会」を増やす活動を支援し続けていくつもりだ。

解答など、ないのかもしれない。

終わりだって、ないのかもしれない。

でも、変わる事はある。

時間はきっと味方であると信じている。

等身大の私で、決して無理も、背伸びもせず、続けていこうと思う。

願わくば、この文章を読んだ方の気持ちの片隅にでも、何かが残りますよう。

出来れば、感じたことをカキコいただけると、幸いです。

ひと言でもいい。何かお願いします<(_ _)>

_ 君の名は。 2002-01-29

彼は、無口で、クールだ。

働きものなのだけれど、その活躍の場を与えられることは、非常に少ない。

彼の仕事には無駄はない。

自分が出来ることを声高に謳ったりはしないけれど、実は多才だったりもする。

私をさりげなくサポートしてくれたりして、かなり助かっている。

友人は少ないのか、その存在はあまり知られていない。

先日、実に一年ぶりに彼の仕事振りをみた。

相変わらず、素敵だった。

彼の名はFAX。

彼のこなした仕事の多くは、方向音痴の私のために書かれた地図を受け取ること。

いや~、友人の中でも私がFAXを所有していることを知っている人は少ないでしょうね~^^;

結構好きなんですけどね。

ただ、意外と少ないんですよね。

FAXを持ってる人って。

誰か私のFAX友達になってくれないかしら・・・・(笑)

_ 元気なんだけど。 2002-01-30

また、病院に行ってきました。

朝早くから、頭痛で目覚めて、吐くし。

電車に乗れば、人酔いするし。

「歩く胃袋」の異名を持つ私が、食欲がないし。

(38度以上を出して以来、取っている食事の9割がおじやである。)

「いや~ん、やっば~い><」と私でなくとも思われるであろう。

幸い、発熱していないので、動くことは出来る。

動くとすぐ疲れて、歩く振動で吐き気が誘発されることを除けば、至って「普通」だ。

(今日ぐらい頭痛が酷ければ、普通ではないか・・・)

でも、上司に「その状態はすでに「普通」ではない」ので、「頼むから、病院に行って休んでくれ。治るまで、出勤しないでくれ」と言われる始末。

そういうことで、「ちゃんとした」病院に行きました。

きちんと診ていただき、きちんと説明していただき、なんだか治りそうな気持ちになりました。

「急性胃腸炎」と言われました。

それで、常時吐き気がするんだろうって。

あと喉も炎症を起しているので、それで頭痛がするのだとのこと。

頭痛は酷ければ・・・・・・って事で、処方されちゃいました。

座薬!(爆)

頭痛薬を飲みすぎで、実はバ○ァリンも効かない今日この頃。

やばいっス。

頭痛がなければ、吐くこと以外は問題ないんだけどね~。

う~ん。

_ 小さな幸せ 2002-01-31

日常買わないものって、買い物に行っても、ついうっかり忘れてしまうことが多い。

そのついうっかりを一週間続けて、毎晩暗いお風呂に入り続けた。

お風呂場の電球が切れていたのである。

うちは洗面台が独立しているタイプの造りなので、顔を洗う時に困ったりはしなかったので、必要性をあまり感じていなかったのかもしれない。

第一、元々視力が激しく悪い私にとって、眼鏡を外してはいるお風呂場は、「まったく見えていない状態」なのである。

それに今更、少々暗いからと言って、何の不自由があるというのだ。

買い忘れ二日目ぐらいまで、己の記憶力の悪さを呪っていたが、三日目になると、開き直り、四日目に至っては「むしろない方が地球に優しいかもしれない」と思うようになった。

いいかげんなものである。

五日目になって、本当に心底どうでもよくなってきた頃、ハタ、と実家の母を思い出した。

彼女には、電気を消したお風呂に入る習慣がある。

実家に住んでいた頃、真っ暗な風呂場から、奇妙なリズムの水音が聴こえてきて、奇妙な気分になったものだ。

「何で、電気を消してはいるのよ?」

と言った私に、母はケロリとしていった。

「何で、電気をつけてはいるのよ?」

よく分からない人である。

その人と同じ事をしているのだと思うと、嫌な気分になった。

調子が悪くて、買い物のままならなかったが、本日買い物に出た折に忘れずに買ってきた。

母と私は違うのである。

<o( ̄^ ̄)o> エッヘン!!

明々と照らされたお風呂場を見て、妙に贅沢な気分になった。

そんな些細なことで幸せになれたりする私は、まったく頭の中が春だなぁと思った冬の一日でした。