2002年5月 - へびあし。


_ 夜中になるまで 2002-05-01

今日は、ずっと二日だと思っていた。

時間に騙された気分。

余分にもらった一日を私はどう過ごせばいいのだろう。

でも、一日を二日と思って過ごしても、何の支障もない日々ってのもどうかと思う。

時間は浪費することは出来ても、貯金することは出来ない。

ちっ。

私の財政と同じってことか、と自分で突っ込んだりして。

_ 言われて気が付き、がががが~ん(涙) 2002-05-02

自覚がないというのは、恐ろしいことである。

実は、人様に指摘されて気が付きました。

「お前、行動する時に「よいしょ」って言ってるよ」

いえ、私の家では代々伝わるお祈りの言葉なんです。

先祖代々、みんな行動する前に「よいしょ」って言うように、義務付けられているのです。

幼い時から、そういう風に言うようにしつけられてきているのです。

守らないと、ご先祖様に合わせる顔がありません。

・・・・・・・・・・・とかって、言ってもダメですよね?

一人暮らしの弊害です。

壁に話し掛けないかわりに、自分に話し掛けてるんです><

指摘された以上、どうやってか直します。

いや~、マジでやばいっスよ、それは。

_ ご存知ですか? 2002-05-03

本日より、『博多どんたく』が始まりました。

祭り好きの博多っ子たちが街を練り歩きます。

この時期に博多に来られる方は、絶対に「しゃもじ」を持参で来て下さい。

それを持っていないと、博多の街は歩けないようになっています。

駅でJRの方が切符と一緒にチェックしてるんですよ。

当然、私も出かける前に、ポケットに「どんたく用のしゃもじ」を差して出かけます。

バリバリの博多っ子ですから、当然です。

どんたくパレードの練習に出るって言えば、会社の残業なんてしなくていいですよ。

博多では、仕事よりどんたくが優先です。

お客様にも「いや~、すみません。ちょっとパレードの練習に行かなくちゃいけないんで」と言えば、呼び出しなんて、うちゃったっていいんです。

どんたくで見事なパレードをやり終えることができれば、ボーナスアップだって考えられます。

例え、仕事はあんまり出来なくても!!

信じてないでしょう?

でも、話の半分以上は10~15年ぐらい前では、実話だったんですよ。

ちなみに「どんたく」の語源は「休日」と言う意味の「どんたーく」(オランダ語)からきてます。

これ、本当。

でも、結局大雨でパレードなし。

毎年、どんたくは雨。

不思議だなぁ。

_ ここにいる事実 2002-05-04

「いつか」は、今ではないと思っていて。

その「いつか」が、勝手に「今」だったり「今日」だったりすることはないと信じてる。

「いつか」っていうのは、遠くにあると無邪気に信じている。

でも、ふとした拍子に「いつか」を目の前に突きつけられた時、その強大さに恐怖する。

_ 子どもの日ですが。 2002-05-05

友人、ごつんの誕生日。

一緒に祝ってあげられなかったけど、新しい一年がいい一年であるように祈ってるよ。

この一年は、何にチャレンジして遊ぼうかねぇ。

社会人になって、何となく学生時代のような友人関係を作れなくなった。

どこか、みんな済ました顔して「大人の付き合い」。

踏み込ませない、踏み込まない。

正直言って、そういう付き合いも嫌いじゃない。

そんな中、本気で怒り、怒らせ、お互いにいい歳になってるのに、未だに本気で言い争ったりする。

そんな友人、ごつんの誕生日。

本当に、おめでとう。

_ 心は豊かに暮らしてます 2002-05-07

久しぶりに、夜ゆっくり家にいるので、簡単に食事の作り置きをした。

あと、一度に使い切れない野菜を加工して、冷凍保存したり。

(お前は主婦か!と言われそう・・・・)

そのついでに健康に気をつかって、「ゴーヤ茶」を作ってみた。

おいしいのか?とお思いでしょう。

意外とおいしいです。

少し、ゴーヤの香りが残りますけど、食べれない人でも飲めると思います。

友達が一人暮らしで、あんまり自炊しなくて、でも健康に気をつかっているので飲ませてみようかな、と思って作ってみたんだけど。

ゴーヤは大嫌いな人なんですが。

作り方は簡単です。

ゴーヤの中の種とかを取って、3mmぐらいに切ります。

それをフライパンで一時間ぐらい炒るだけ。

一度作ってしまえば、飲む時に手間は省けるので、おすすめです。

あ~、沖縄に行きたい・・・・。

_ 笑顔の裏で 2002-05-08

初めて社会に出た時から、ずっと営業という仕事をしていたので、会社の「長」が付く方に会うことが多かった。

社長、部長、課長・・・まぁ、いろいろ。

そういった方々から見れば、私なんか本当に「小娘」で相手によっては「孫ぐらい」ってこともあったりする。

それでも、こちらが誠意を見せて、きちんと真剣に向き合えば、行き届いていなくても、大半の方が真面目に対応してくださる。

そういった態度に、感謝しつつ、多くのことを学ばせていただいた。

仕事だけでなく、社会人としての常識とか、マナーとか。

恵まれた環境だったのかもしれない。

今日、久々に「かなり」失礼な方とお話した。

先方様も私の何かがお気に召さなかったのかもしれないが、いかんせん、人の話を聞くのにあの態度は、どうよ?って感じ。

社外の人と話す時は、その人が会社の代表だと思う。

社内でどのぐらい偉いのか知らないけれど、久々に本当に頭に来た。

営業スマイルを貼り付けたまま、退散してきた。

かなり、女優だったと思う。

でも。

「夜道を歩く時には気をつけろ(▼▼メ)」

と言いたい。

_ ちょっと、待て!! 2002-05-09

初めて会った人に「何年生まれなの?干支は何?」と矢継ぎ早に聞かれ、

「昭和50年のウサギです」と答えると、

「よく暗記しているねぇ」と言われた。

あははははは~

・・・・・・・・それって、どういう意味?

_ またもや、お天気はご機嫌ななめ 2002-05-10

毎日、毎日、雨続き。

こうも雨ばかりだと、洗濯物が乾かない。

・・・と、所帯じみた発言をしてしまう私。

夜も細い雨が降ってた。

歩きながら、「やっぱり雨は憂鬱になるな~」と思っていたけど、よくよく考えたら『雨だから出来ない』ことがあるように『雨だから出来る』こともあると思う。

それで、考えてみた。

一、水溜りに入ってみる(でも、靴はダメになる)

二、傘もささずに、濡れてみる(こうも寒かったら、風邪をひくだろう)

三、雨音を聞きながら、ウトウト(これは結構贅沢だと思う)

でも、どれもイマイチ。

せめて、お気に入りの傘でもさして、出掛けよう。

出来れば。

大切な人と一つの傘で街中を歩けたら、それはそれで雨の日の楽しみかもしれない。

ねぇ?

_ 口は災いの元 2002-05-11

「ミズキさんさぁ、HPのことってわかる?」

そう聞かれれば、一応(どんなものであれ)自分のHPを持っているんだし、やっぱり当然のように、「まぁ、一通りは・・」と答えてしまう。

でも答える前によく考えればよかったんだ、と気付くのはいつも事が起こってから。

気が付けば、とあるところのHPを作ることになっていた。

いや~、やばいっス。

マジで。

どうするんだ、私・・・・・・・・・・・!

あぁ、この口を縫ってしまいたい。

いや、それよりもいつも私を上手く言いくるめるあの人の口を縫ってしまいたい。

_ 『手話が愛の扉を開いた』 2002-05-12

福岡手話の会の創立30周年記念講演がありました。

NHK手話ニュースなんかを担当されている、

那須英彰氏を講師にお招きして公演をしていただきました。

私自身は、テレビのない生活をしていますので、那須さんの手話を拝見するのは初めてだったのですが、友人が大ファンで「とにかく手話がキレイ」と聞いていて、実際に拝見し、確かに非常にキレイな手話をされる方だと感じました。

公演の内容は、生活の中でお感じになられていることが多かったんですが、印象的だったエピソードがいくつかありました。

例えば、道を聞かれた時。

筆談であれば、ろうあ者の方でももちろん道を説明する事は可能です。

でも、尋ねた相手がろうあ者だとわかると「もう結構です」と言われてしまったという話。

「ろうあ者だって、人の役に立ちたいし、役に立てると嬉しい」

那須さんのこの言葉が印象的でした。

聞いていて、障害があるというだけで、出来ることを奪われている現実があるような気がしました。

また、外国人の方の対応と日本人の対応。

那須さんのお子さんも聴覚に障害があるんですが、お子さんに障害があるとわかった時の対応が違うとの事。

国内では「かわいそうに」と言われる。

国外では「そうなの、(気が付かなくて話し掛けて)ごめんなさいね」と言われる。

それだけで、あとは「普通に」接してくれる。

「構えないで欲しい」

そう、おっしゃられました。

でも、頭で理解することと実際に体験するのは違います。

そして、気軽に体験出来る機会は非常に少ないと言わねばなりません。

那須さんはこうもおっしゃいました。

「障害者も、もっと外に出て、いろいろな人と接しましょう」

ただ、彼らが安心して外に出て行ける環境は整っているでしょうか?

私たちが普段利用している公共交通機関は、肢体障害者にとって利用しやすいものでしょうか?

私たちが歩いている道は、視覚障害者にとって歩きやすい道でしょうか?

健常者だけで判断できないところも多くあるでしょう。

障害者、高齢者の方々も「不便」を訴えていく活動をして欲しいと思います。

多くの人が本当の意味での「バリアフリー」の社会で安心して生活できるように、私は私の出来ることを続けていきたいと思います。

さて今回は、最近、手話の会の例会もお休みしているので、久々の手話イベントとなりました。

手話で話すことの楽しさを再確認した時間にもなりました。

早く、もっと上手く話せるようになりたいなぁ。

_ バタバタバタバタ・・・ 2002-05-13

そんなに忙しくは無かったはずなのに、気が付けばバタバタしているうちに一日が終わってしまった。

夜、アラを分けていただいた。

お刺身も食べた。

幸せ。

_ ささやかな野望 2002-05-14

ほぼ、毎日JRの駅を利用する。

自動改札なんだけど、毎回駅長さんが立っていらっしゃる。

かといって、何かおっしゃるのかと思えば、何もおっしゃらない。

ただ立っていらしゃるだけである。

(まぁ、切符が引っかかれば、対応してくださるわけだが)

そして、通り抜ける方々も、何もおっしゃらない。

無言で人が流れていく駅。

ちょっと、恐い。

「お疲れ様ですぅ~」と言いながら通り抜けると、ちゃんと返してくださる。

目論みとしては、駅長さんのハートを射止めて、彼から挨拶してもらうこと。

今日もダメでした。

明日こそは!!

_ もの思う一日。 2002-05-15

高校生が五、六人座り込んで、マックを食べていた。

すごく、普通に。

駅のホームで。

駅のホームですよ?

人が乗り降りする場所ですよ?

花見の会場でもなければ、誰でも利用できる公園でもない。

ごくごく普通の駅の、ごくごく普通のホームで。

しかも。

ごくごく普通そうな高校生が。

最近の若い方々の常識や良識ってどうなってるんでしょうねぇ。

何だか、情けない気持ちになりました。

でも、こんなこともありました。

私の唯一の情報源「ラジオ」から、流れてくるメッセージ。

「妊娠八ヶ月の主婦です。

お腹の中の子どもに病気があり、生まれてきてすぐに手術をしなければならないそうです。

手術をすれば、問題はないとのこと。

しっかりしなければと思うのですが、気持ちが晴れません」

これに対し、多くのメッセージが寄せられました。

つい最近、流産されたという方。

自分の子どもも同じ状態だったという方。

自分自身が同じ状態だったという方。

それ以外の、様々なリスナーの方々。

DJは私のご贔屓の女性で、普段は毒舌トークなんですけど、寄せられた励ましのメッセージを読まれながら、声を詰まらせていらっしゃいました。

ラジオの身近さを感じつつ、私も胸が詰まる思いで、その彼女とお腹の中のお子さんにエールを送りたい気持ちで一杯になりました。

中には、こんなメッセージがありました。

「私は産婦人科の医師です。

赤ちゃんは皆さんが思っていらっしゃる以上に、強く逞しいものです。

生きようという力に溢れています。

生まれてすぐ手術というのは大変かも知れませんが、病気が分からない状態で生まれてくるより、分かっていて万全の状態で迎え入れられる事は幸運だと思うべきです。

お母さんは、医師を信じ、赤ちゃんの生命力を信じて、出産までの時間をゆっくりと満ち足りた気分で過ごし、赤ちゃんを迎え入れる準備をしてください。

秋には、赤ちゃんの世話に手を焼く、幸せな日々を送っていることになると思います。

大丈夫ですよ。」

おそらく、このメッセージに勇気付けられたのは、メッセージを送られた方だけではなかったと思います。

負けないで。

頑張って欲しいと心から祈り、願っています。

_ 境界線 2002-05-16

暑くなってくれば別だろうけど、普段あまりアルコールを摂取したいと思わない。

まったくと言っていいぐらい。

それなのにどうしたことか、無性にお酒が飲みたくなった。

たくさんじゃなくていいのだ。

ほんのちょっとだけ。

口を湿らす程度でも満足しそうな気がする。

それで、家に帰って、お酒を小さなグラス一杯分だけ飲んだ。

喉元をアルコールが流れていくのを感じる。

それと一緒に、自分の気持ちも流し込んだ。

少しだけ早くなった鼓動を聞きながら、眠りにつこう。

幸の狭間でまどろもう。

眠りさえすれば、朝はやってくる。

_ 自分の人生を何かに例えるなら、何だと思いますか? 2002-05-17

私は、自分の人生をまるでジェットコースターのようだと思ったりします。

上がったと思ったら、下って。

下ったと思ったら、思いっきり横揺れして、振り落とされそうになったり。

息つく暇もにような気になります。

もしくは、コーヒーカップ。

回りまくりで、とどまるところを知らず、テンテコマイマイな感じです。

一体、幾つになるまでこんな人生を送らねばならないんだろうと、たまにトホホな気分になったりもします。

同じ、上ったり下ったり、回ったりするものなら、観覧車ぐらいにならないものでしょうか。

私は、平穏と平凡と平安を心から愛し、欲しているのです。

何はともあれ、こじれていたひとつの事が片付きました。

それにより、新たな問題も発覚してしまったりするのですが、まぁ何とかするしかないのでしょう。

トホホ。

口は災いの元。

私はこの言葉をいつになったら、身につけることが出来るんでしょうか!

_ 立ち止まり、振り返る 2002-05-18

ぼんやりとしていると、毎日が気が付けば終わっている。

昨日と今日と明日の境目はなく、ただただ時間だけが規則的に流れていく。

幼い頃は、毎日がお祭りのようで、明日は何をしようかとワクワクしながら眠っていたような気がする。

今は、こなしていかねばならない事で、毎日お祭り騒ぎだったりはするのだけれど。

そんな中で何でもない今日が、自分にとって小さな「記念日」だったりすると、自分の足跡を振り返って確認することになる。

時間の流れを見ることが出来る。

時間は流れていくものだけれど、「今」という時間までに重ねてきたものでもあると思い直す、小さな記念日。

_ のほほんな休日 2002-05-19

六時過ぎに寝て、朝、七時半に起きる休日。

平日だと、なかなか布団から出られないのだけど、休日になると目が覚めるから不思議だ。

休日の遅起きは、一日を損した気分になる。

そういう貧乏臭い根性で、早起きする。

特別に予定もなかったので、急に思い立って、田舎に帰った。

気持ちのよい空の下、畑に行き、土に触る。

「畑に出ると、解放された気分になるねぇ」という祖母の言葉に相槌を打つ。

柿畑の中を歩きながら、もそもそと動き回る蛇を見たり、騒がしげに飛び回る蝶を目で追ったりして、時間を過ごす。

梅の実を梅酒用に採ったり、庭に咲いている花を鉢に植え替えたり。

ぐんぐん伸びている苗を見て、田植えの近いのを感じたり。

祖母は、根本的にはとても大雑把な人なのだけれど、漬物を作ったり、味噌を作ったりといった作業はこまめにする。

祖父は、農業しか知らない人だけれど、だからこそ勤め人の苦労を計ってくれる。

年齢のわりに何事にも積極的に取り組もうとする。

私は、彼らのそういったところがとても好きだ。

ここに帰ってくると、旬のものが当り前に食卓に並び、季節の移り変わりを気負うことなく感じることが出来る。

素直な今ここにいる自分を「お帰りなさい」と迎え入れてくれることを感じる。

「お前はこうあるべき」だとか「こうなりなさい」とか「こうあって欲しい」という思惑や重圧がここにはない。

私がただ、私でいればいい。

そのあたたかい空気を体の奥底まで吸い込んで、私はまた現実に戻っていく。

「米のとぎ汁を花に与えている」という話を祖母にしたら、「お前にかかったら、何一つ無駄なく使い切られてしまうねぇ。何でも捨てられないねぇ」と言われ、「おばあちゃんより、おばあちゃんのよう」と評価されてしまいました。

でも、自然環境にもその方がいいんです。

決して、貧しいからというだけでそういう生活をしているわけではないんです!!

・・・・・た、多分。

_ 悩んでます 2002-05-20

仕事が六月から新しくなるので、非常に悩んでいる。

試験を受けるかどうか・・・( ̄~ ̄;)

追い込みをかけることが出来ないような気がする。

そんなこともあろうかと、実はまだ受験料を振り込んでいない。

でも、ダメ元でも受けたい気持ちもある。

あぁぁぁ~><

どうしよう。

_ 梅酒の季節ですよ 2002-05-21

夜中に梅酒を漬ける。

日付が変わる頃に、二キロ分の梅を洗い、ヘタをとり、水気をふき取るという作業を黙々とひとりでこなす。

ちょっと、引きこもりっぽい気分になる。

いや、引きこもりとかそんな問題ではなくて、なんで夜中にそんな作業をしてるのかってことが問題なわけだけれど。

それ以外の時間は、HPを作ったり(自分のHPの更新は出来ないまま)仕事をしているわけで、実はかなりの多忙な日々を過ごしているわけだ。

なのに、お金にはなっていない。

貧乏暇なし。

体感中。

_ 自転車の思い出 2002-05-22

夕方、ついに雨が降り出した。

憂鬱な気分で傘をさして歩いていると、自転車に乗った母と子が走っていく。

母親は小雨に打たれながら、自転車をこぐ。

前に二、三歳の子が乗っている。

母親はタオルでその子を庇いながら、時折顔を拭いてあげたりしながら、自転車をこぐ。

後ろにも五歳ぐらいの子が乗っている。

その子にも雨よけに頭にタオルが載っている。

その子はタオルを自分で、押さえる事もせずに、無造作に頭に載せている。

その姿は、妙に昔の自分を彷彿とさせる。

母もよく、あんなふうにして私たちを買い物に連れて行ってくれた。

弟は前に。

私は後ろに。

前の位置だと否応無に母の目に止まる。

幼心に、私にはそれが不満だった。

母が弟ばかりをかまっているような気がしたものだ。

だから、今日見かけた子と同じように、雨でタオルをかぶせられたりしても、かまってもらいたくてわざと、自分で自分をかまったりしなかった。

そんな事を思い出して、後ろの子に「頑張れよ」と声をかけたくなった。

昔の自分が走り抜けたような気分になった。

自転車に思い出話には、こんな話もある。

母は、坂道になると必ず私を自転車から下ろした。

私は母の「お姉ちゃん、下りて~」という声で自転車を下りる。

ある時、私は下りている途中で、足をもつれさせ、自転車から転げ落ちた。

ただ、落ちただけなら良かったのだけれど、近くの草むらに落ちてしまった。

運悪く、枯れ木が頭に刺さり、頭に三針を縫う大怪我になった。

あとで母が語ったところによると、病院で痛がる私を見ていられずに目をそらした母にお医者様は(キズの深さを測るのに、私の頭に針金のようなものを刺したままの状態で)「あなたの不注意でお子さんが怪我をしたんだから、目をそらしたらいけないでしょう」とおっしゃったそうである。

走っていく自転車を眺めながら、「お姉ちゃん」にエールを送りつつ、思わず頭に手をやってしまった。

私の知能とこの怪我の関連性は、・・・・ないんだろうなぁ。

_ 恋文 2002-05-23

今日は、語呂合わせで「恋文」の日だそうです。

「ラブレター」と聞いてもドキドキしますけど、「恋文」となるともっとドキドキします。

「恋文」という「音」の中に、日本語の美しさや秘めやかなものを感じてしまいます。

行間に相手への想いを詰めながら書き綴る、手紙にはメールとは違った力があるような気がします。

それは、決して「恋文」に限らず、全ての手紙に感じることです。

私は非常に怠け者な性質ですので、ついつい便利なメールに頼りがちです。

だからこそ、折に触れ、季節の便りだけは、疎遠になっている方には出させていただくようには心がけています。

そんな時には、その方を思い浮かべながら、便箋や封筒を選び、ペンを取ります。

その方との共通の話題や思い出に触れながら文章を書き、封をし、住所を書く時にはその方の住んでいる町に思いを馳せたりします。

そうやってしたためた手紙は、大きな意味での「恋文」と言えるかもしれません。

手紙は、時間を超えていきます。

常に未来へと送るものです。

書き手の「今」と受け取り手の「今」は違うからです。

リアルタイムで届くメールが普及した今だからこそ、それもまた、手紙の一つの魅力ではないでしょうか。

「恋文」を書いた経験って、皆さん一度はお持ちなのでしょうか?

また、受けとられた経験は?

今時の小中学生って、その辺はどうなんでしょうね。

そういうやり取りがなくなっていってたりしたら、ちょっと悲しい気がします。

そういう経験って、そのぐらいの世代にしか味わえないものだと思うので。

「恋文」ではないけれど、久しぶりに手紙でも書いてみようかな。

_ 濁りある大人の私 2002-05-24

こんな歌詞が、ラジオで流れてきた。

『澄んだ水が濁るように大人になる』

書いた方がどういった意図で書かれたかは分からないけれど、大人になることがよくないことのように歌われているように感じてしまった。

『澄んだ水』というのが、「純粋だ」ということだとしたら、大人になることは「純粋でなくなる」ということだろうか?

もし大人になることが『濁って』いく事だとして、果たしてそれは悪い事なのだろうか?

中学生の頃、賢くなりたくないと思っていた。

思惑を巡らし、気持ちを押さえつけ、自分を曲げたりしたくないと思っていた。

そんなことをして、それを「仕方がない」と自分に納得させたりしたくないと思っていた。

でも実際に社会に出て、一応「大人」と分類される歳になった今を考えてみてどうだろう?

ひとりで生きていけるのならば、自分のことだけを考えていればいい。

でもそうじゃないから、人に気を配る。

たまには、自分の意見も曲げたりもする。

でもそれは、中学生の頃の自分が思っていたような、苦痛が伴うだけのものではなかった。

何故なら、私は多くの人に助けてもらい、指導をしてもらい、毎日を過ごしている。

決して、私一人の力で毎日を生きているのではない。

しかしそれは「自分」という「個」を持たないことではない。

「個」しか知らなくて「個」であることに、あまり意味はないように思う。

あくまでも「個」とは「集団」の中にあって、成立する。

「集団」の中に身を置き、歳を重ねるにつれ、様々な「妥協」をし、たまには自分や他人を偽ることを覚えていく。

そのことを否定するとすれば、確かに大人になるのは「不純物」を身につけていくことなのかもしれない。

ある種の「ずる賢さ」を覚えていくことかもしれない。

しかしそれは、「集団」の中で生活する為に必要不可欠な「不純物」ではないだろうか?

「仕方ない」は、ただの「諦め」の言葉ではないと思っている。

「仕方ない」状況を受け止め、「仕方ない」事実に対して責任を負う決心もそこには含まれている。

もし今の自分を「濁っている」と言われたら、私はその言葉を誇らしく受け止めようと思う。

その「濁り」は私が今まで歩んだ中で、良くも悪くも「学んできたこと」そのものなのだ。

この「濁り」は時と共に熟成され、やがて「生きていく知恵」と姿を変えていくはずだ。

私が自分に誠実である限り。

私が自分以外の人に誠実である限り。

_ 「地球に優しい生活」 2002-05-25

ここひと月くらい、「地球に優しい生活」を送っている。

この生活を世に広めるべく「地球に優しい生活推進委員会」を作ってしまおうかとすら思う。

でもそんなことすると、小泉内閣の存続を危機にさらしてしまうかもしれない。

「地球に優しい生活」。

それは「浪費」を省いた生活。

世の中の不況を更に推進してしまうような暮らしぶりだ。

・・・つまり、貧乏ってこと?などという突っ込みはしないでもらいたい。

あくまでも「地球に優しい生活」。

離れて暮らしているお父様、お母様、ご安心ください。

あなた様方の娘は、身も心も豊かすぎるぐらい、豊かに毎日を過ごしております。

せめて、この身ぐらいはやせ細ったっていいんじゃないかと思うんですが、何せやりくり上手なものですから(T^T)

_ ご報告 2002-05-27

友人・武丸によると『吉田兼好が「迷う事はやらない方がいい」と言っていた』そうである。

よって、結局悩んだ挙句、六月の試験は諦めることにいたしました。

それよりも優先しなければいけない事があるにはあるので。

欲張らずとも、必要となれば、自然と受けれるような環境になるものです。

今はまだよい、と神が言っているのでしょう。

そういうことで、先人の教えに従って今回の受験を見送りました。

でも、受けること事体を諦めたわけではないので、十一月の試験までまたコツコツと頑張りたいと思います。

新たなる決心の月曜日。

_ 流れ行く時間 2002-05-28

毎日、動き回っている時間がポッカリと空いた。

正確には、それなりに用事があって空けたのだけれど。

いつもと違うことをして、時間を過ごすと、時の流れ方が妙にゆるやかになったように感じた。

もちろん、そう感じているのは私だけなのだけれど、どうしてこうも時間というやつは、掴みにくく捉えにくいのだろうか。

楽しい時は、特に時間の流れが早く感じる。

忙しい時も、同じように早く流れるように感じる。

一人暮らしになって、最初に感じたのはこの時間の流れだ。

まったくの一人になってみて、なんて夜は長いんだろうと感じた。

予定のない休日なんて、一人でいれば、持て余すぐらいの時間があるようだった。

一人暮らしを始めた時に苦労したのは、この時間との付き合い方だったかもしれない。

時間と上手く付き合えるようになっていくにつれ、私は自分との付き合いが上手くなっていくような気がする。

私は、私の持っている時間を自分の満足の行くように使えこなせて始めて「自立」するのかもしれない。

長いか、短いかではなく、満ち足りているか、そうでないかが問題なのだけれど。

あなたの今は長いですか。短いですか。

あなたの今は充実していますか。

_ 側面と全面 2002-05-29

私は、私の全てを知っていると思う。

私という管理下の元で行動しているのだから、当然といえば当然なのだが。

でも、どんなに身近な人でも私の全ての顔を知っている人はいないだろう。

意識しているかどうかはともかくとして、私たちは普段、様々な顔を使い分けている。

プライベートの顔、仕事での顔。

プライベートの中でも、付き合う友人によって見せる顔は違うはずだし、仕事だって向き合う相手によって、見せている顔は違うはずだ。

何かのきっかけがあって、違う顔を見せる時、とんでもない緊張感を強いられたり、気恥ずかしさが伴ったりもする。

また、親しい人の違う顔を垣間見れる瞬間に立ち会った時、好奇心とちょっとした感動が気持ちの中に湧き上がる。

皆、誰にでも、様々な顔を見せるわけではないだろう。

見せないことが、互いにとっていい関係を保つ基盤になったりすることだってあると思う。

でも相手によっては、「見せたい。知って欲しい」と思う事だってある。

少しの戸惑いと緊張感を連れ歩きながら。

この人には知って欲しい、と思う私がいる。

この人の事を知りたい、と思う私がいる。

そういった気持ちに裏打ちされた行動が見れた時、気持ちは温かく満ち足りた気分になる。

それは、ほろ酔い気分の高揚感と酷似している。

_ 食べるという事 2002-05-30

「人間って、何でも食べるよなぁ」

食事中に同席者が呟いた。

そういわれればその通りで、地球全体の規模で考えれば、人間が食べないものはないんじゃないかという気がする。

「でも、人間自体は美味しくないって、理不尽ですよねぇ」

思わず、食べたこともないのに、口にしていた。

そう、人間が唯一食べないものがあるとすれば、それは「人間自身」だけであろう。

私の何気ないひと言から、倫理的なことは置いておくとしたら、果たして人間は美味しい食べ物であろうか、と話は流れていった。

結論。

魚のような泳ぎも出来ず、鳥のように飛ぶことも出来ず、犬猫のように俊敏な動きも出来ない人間の肉が「美味しいわけがない」。

話を聞きながら、他の生物を食べるという犠牲の上で成り立っている人間が、誰にも食べられず、(推測ではあるが)人間自身の舌にも合わないという事実は何だか納得いかない話しだと思う。

自然の力に飲み込まれるという事もあるにはあるが、それは人間以外の生物にもあり得るので。

だからといって、別に「人間も食べられるべし!」ということが言いたいわけではない。

ただ人間は、地球上で一番賢い動物のように考えがちだが、他の生物なしでは本当に生きてはいけないのだな、と痛感したりしたのである。

まぁ、人肉の味について語りながら食事をする環境ってどうかと思ったりするわけだが。

_ 電波の謎 2002-05-31

北九州市を拠点とするラジオ局の番組を聞いていた。

「もうすぐ中国地方に引越しをするので聞けなくなります」

そういうメッセージが読まれた。

ナビゲーターの返答。

♂『何としてでも聞けるようにして欲しいです。おっきなアンテナを立てるとかして』

♀『そうですね~。私たちも大きな声で話すようにします』

ボケているような感じではなかったのですけど、ラジオの電波ってそんなもんなんですか?