2005年1月 - へびあし。


_ 本年も宜しく。 2005-01-01

明けまして、ピー(自主規制)ございます(喪中)。

本年も宜しくお願いします。

テーブル全体

メイン

雑煮

お煮しめ

<献立>

・手綱かまぼこ

・紅白なます

・昆布巻き

・えびの甘酢漬け

・イカのウニ焼き

・栗きんとん

・数の子

・イクラのしょうゆ漬け

・お煮しめ

・博多雑煮

・手まり寿司

_ いかがお過ごしですか? 2005-01-02

お正月二日目です。

昨日はお天気がよかったので、おせち料理を食べた後徒歩で30分以上かけて、近くの神社まで「参拝者の列」を観に行きました。

感じ悪い。

だって、2人とも喪中。

すごい人でした。

すっごい小さな神社に、神社周辺にまで伸びる長蛇の列。

神様も手が足りないのでは、と心配になります。

その足でDVD(やビデオ)を借りて、昨日は「アガサクリスティーのABC殺人事件」を観ました。

やっぱりクリスティは偉大だ。

決して新しくも無いのに、最後まで楽しめました。

ポワロのちょび髭は、相変わらずキュートだったし。

そして、今日は朝から「シュレック2」を。

かっこいいよ、長靴をはいた猫。

この技術もすごいと思う。

本当に面白い作品だった。

あの、外国作品の微妙なテンポの台詞ってどうしてあんなにセンスが良いのだろう。

その後はまた2人ともそれぞれ無言でPCに向かう。

いつものお休みと同じ。

幸せな事だ。

12月中のお弁当写真を年末年始を使ってUP。

一部追加更新。

写真部分、作成中。

_ あああ、そういうつもりでは。 2005-01-03

今日は、〆切の迫った仕事をしているQちゃんの横で、またPCで遊んだり、お昼寝したりして過ごす。

しかし、今回の〆切は余裕があったはずなのに、どうして迫られているのだろう。

不思議だ。

ちなみにうちは2人とも、夏休みの宿題は「夏休みが明けてから友達のを写した」派。

あと、携帯で写真が見れるようにする事にチャレンジしていたが、敗れていた。

私の日記の12月29日分を読んで、気に病んでいた。

別に責めようと思って書いたわけではないのだけれど。

夕方になって、のんびりとスーパーに買い物に行く。

すごくのっていたのに、ちゃんと付き合ってくれる。

一人で行くよりも、二人で行くと、スーパーも楽しい。

夜は鶏肉を蒸して、ニンニクがふんだんに入ったトマトソースをたっぷりかけて食べる。

いいなぁ、こういう楽チンで、一見手が込んだ感じの料理。

食後は、手荒れがひどくなった私を労わって、米を磨いでくれた。

この休み中に、二回も食器を洗ってもらった!

ぐふふ。

あと、この休みで一番よかったのは、料理をしている時に本を読んでもらう事。

これは江國香織の本にも書かれているお手伝いなのだけれど、これはすごくよかった。

ラジオも時にはうるさくて、落語とかラジオドラマとか聴いて過ごす事もあるのだけれど、好きな人の声で好きな本を読んでもらうというのは、すっごい贅沢な事がわかった。

でも、Qちゃんはすぐに飽きるらしく、二回ぐらいしかしてくれなかった。

これは、どうやったらやってくれるようになるだろう。

考えよう。

こどもとかいたら、きっとこどもにお願いするといいのだろうなぁ。

小学校の本に載っている物語とかを読んでもらうのって楽しいだろうな、と考えてみたりした。

素敵なお手伝いだ、これは。

お休みもこれで終わり。

病気したりしたけれど、概ねのんびり出来てよかったと思う。

初めて一緒に年を越して、新しい年を一緒に迎える事が出来たので、私はとても幸せだった。

色々と心痛む事も年始早々あったけど、でも大した問題でもないだろう。

私の心の持ち方一つなのだ。

それを本当に忘れないようにしようと思う。

_ 突然の訪問者 2005-01-04

お昼ごろ、

「あー、もしもし、今、東京着いたから」

と、突然に福岡にいるはずの19歳/専門学校生の従妹から電話がかかってきました。

ああ、そういえば、冬休みに旅行をすると言っていたような。

どこかに泊めてと言っていたような。

外と同じような気温でもよければ、うちに来いと言ったような。

そんな感じで、従妹が来ました。

うちには孫だけで結成されている「孫の会」(そのまんま)というものがございまして、MLなんぞがあったりします。

それでお互いの近況を語ったりしているのですが、まぁ、こういう事もあるわけですね。

千葉に彼女の兄がいるので、泊まりは兄の家にしたようですが、今夜か明日にうちに来るというではないですか!

嫌ではないが、しかし突然過ぎる。

Qちゃんがこの展開について行けるか心配だ。

そう思いながらも、とにかく「では、今夜来い」と言い捨て、Qちゃんにメール。

ああ、本当にそういう血筋でごめんよ。

暫く後に、今度は「兄ちゃんが外で飯でも!と言っている」と電話してきた。

いや、だから、計画とか予定とかそういうのはないのか?(あ、自分に言ってるみたいで嫌だ)

ないよな、と思いつつ、結局、従兄(兄)と話す。

「田舎者は高い所に連れて行けば喜ぶから、高い場所にある店に予約を!」という指令を受けて、高い場所のお店をセレクト。

しかし、当の本人は「焼き鳥が食べたいよー」なんぞのたまわっておったが、柔らかく無視。

(高い場所にお前が好むような親父焼き鳥屋があるものか!)

結局、新宿のNSビル29Fで、帝都を見下ろしながら酒を飲みました。

そうそう、私を除く、「孫の会」面子は酒豪ばかりでして。

飲むわ、飲むわ、19歳が。ガンガンと。

ジュースじゃないぞ、酒は。

カクテルとか焼酎とか色々飲んでました。

ちなみに、兄と私とQちゃんは、ビール派。

「ピッチャー?」とQちゃん。

「そのぐらいは飲むけど」と兄。

「ぬるくなるから、やだ」と私。

「友達は生ビールでも最後はぬるいから嫌だというよ」と妹。

(その瞬間誰もが、自分ならぬるくなる前に飲む、と思ったはず。)

「だから、瓶ビールは意外といいんだよ」と兄。

「あー、じゃあ、瓶ビールの形をしたピッチャーがあるといいんですね!」と名案を思いついたとばかりに得意げなQちゃん。

「特許取れるかも」と駄目押し。

ああ、本当だね。すごいよ、君は。

もう、十分だよ。

私は彼らに、君がどんな人かを話さなくてもよくなったようだよ。

あの兄の私に向ける微妙な眼差し。

兄よ、何も言わないでおくれ。ワタクシ、もう決めちゃったからさ。

そういう感じで夜は更けていきました。

じいちゃんが残してくれたもの、それはこの従兄妹たちとの再会でした。

私は本当に感謝しています。

こんな関係って少ないと思うから。

憂鬱な行事も一気に楽しみになるんだから。

_ 本日より、旅立ちます(歩数計が) 2005-01-05

Qちゃんに歩数計を買ってもらいました!

おくのほそ道です!

ずっとご愛用だったミスターマックス999円の歩数計は正確に測れず、最近非常に調子が悪くなり、歩数計を探していました。

本当はポケットピカチュウが欲しくて仕方がなかったのですが、如何せん、発売からあまりにも年数が経ちすぎていて、手に入れる事が出来そうになかったのです。

しかもどうも人気がなかったようなのですよ。

そりゃ、こどもには不要だよなぁ、歩数計。

笑ってしまうのは、あるサイトによると「この「ポケットピカチュウ」、最終的には「100万歩」達成でエンディングを迎えるようになっていました。しかし、電池が持つ期間は約2週間。この間に100万歩というのは、かなり頑張らないと達成できないペースだったようで、100万歩を目前にして電池切れし、地団駄を踏むユーザーが続出したらしいです。」

これは、すごい。

さすが、任●堂だ。

欲しかったなぁ、手に入らないかなぁ。

そういうわけで、色々調べて、結局「おくのほそ道」に決定。

松尾芭蕉気分で歩くわけです。

今日のお昼に深川(東京都江東区常盤)を出発。千住に向かって歩きます、歩数計が。

千住ってどこよ?て思うでしょ。私も思う。調べたら、東京都足立区千住という住所があり、どうやらその近辺らしいです(曖昧)。

まぁ、私の(歩数計の)旅は、急ぐものでもないので、のんびりと行きましょう。

何せこの寒さですから、歩数は一時期に比べると、ものすごく落ちています。

歩数計がある事が、少しでも運動不足解消になるといいのだけれど。

でも仕事を辞めてから、ストレスがなくなったので、特にダイエットらしきものはせずに3キロ以上減りました。

お陰で健康体です。

これを維持する事を習慣付けるために、歩きますよー。

そうそう。

私が結婚するというタイミングで、どんな嫌がらせか知りませんが、色々と問題が勃発しております。

そんな話をQちゃんとしていたのですが、Qちゃんがこんな事を言いました。

「自分のやる事が<正しい>と信じているから、その<正しい事>が通らない時のダメージが大き過ぎてこんな事態になってるんだと思う」と言った私に「正しい事が悪いわけじゃないんだ。ただ、人間の数だけ正しい事が存在するって事だと思うんだけど」。

これは本当にその通りで、でもその分、ものすごく実践する事が難しい考え方です。

<あなたもOK><私もOK>が実践できていると言いきれますか?

私と私、私とあなた、これらの距離が近すぎず遠すぎずのお付き合いなんて、なかなか出来るものではありません。

そういう意味では、確かにQちゃんにはそういう考え方が基本にあるような気がします。

だから、瞬間沸騰湯沸し器みたいな私と一緒に生活できるのでしょう。

こんな時に、自分とは異なった方向性、視野を持つ人をパートナーに出来てよかったな、と思います。

どれもこれも受け入れようと私が溺れそうになった時、どれもこれも拒否しようと私が躓いた時、いつだって諭してくれるのは、Qちゃんなのです。

しかし、23歳の頃の私に聞かせたい話です。

『人間の数だけ正しい事が存在する』

譲るのでも妥協するわけでもない道。

それがあの時示されていたなら、私はもっと違う私になっていた事でしょう。

でも、今だからそう思えるのかもしれません。それが時間が経ったという事だし、その意味が分かるようになってQちゃんと出会ったという事も意味のある事なのでしょう。

今日の歩数。

5293歩。

_ 歩み寄り 2005-01-06

夜、Qちゃんと、ちょっとした意見の食い違いがありました。

言いながら、これは感性の問題で話をしてどうにかなるものではないのでは?と思い始めました。

何だか話しながら、色々なそれに関連する事項を思い出して、悲しくなって気が重くなってきた事もそう思わせたのでしょう。

「もういいや」言いながら、私はそう締め括りました。

自分で何とかすればいい、どうにか自分で考えて、後でOKしてもらえばいい。

一人で考えるのは憂鬱だけれど、今のこの状態に比べれば、その方がいいような気がしました。

「いいやっていうのは、何?もう一度、ゆっくり思っている事をきちんと話してみて」

粘り強く、Qちゃんはそう言いました。

怒っていうのでもなく、丁寧に、慎重にそう言ってくれたので、もう一度だけ思っている事を出来るだけ冷静に話しました。

話しながら、いくつかの質問や確認や時に私の考えに反した意見も述べられましたが、とにかく最後まで話しました。

話し終えると「よくわかった。そう話してくれれば言いたいことはわかるし、やりたい事もわかる。そうしよう」と頷いてくれました。

こんな時に、私はいつも自分の至らなさに気付きます。

言いながら、意見が違う事が、説得しようとしている自分が、悲しくなってきて「もういいや」という選択肢を選んでしまうのです。

「出来るだけ、話し合おう」これは私たちの基本方針です。

それを自分で逸脱しようとしているのでした。なんと、大馬鹿者でしょう、私は。

相手に伝える事を「投げ出し」、そこで起こる事項を自分一人で片付ける事で「自分の言った事に責任を取った」と辻褄あわせをしているのです。

人は全てが分かり合えるわけではありません。でも歩みよりは出来るはずです。

問題は「どちらが先に歩み寄るか」なのです。

いつもQちゃんは私に歩み寄ってくれます。意地っ張りの私が一番歩み寄りやすい状況を作ってくれます。

私はたくさんの反省をし、自分を振り返り、学びます。

これからもきっと多くの問題が私たちの前にやってくるでしょう。

それでもこの人となら、やっていけるとこういう時に確信します。

毎日は積み重ねだと、毎日気付きます。

無駄な時間など何一つない。

のんびりしていてはいけないけれど、気持ちさえあれば、毎日どこかで学び、成長できるのかもしれません。

そういう事に今気付けて本当によかったです。

12月から年が明けるまで、アドベントカレンダーを使っていました。

毎日、毎日ドキドキして扉を開けました。

今、アドベントカレンダーはないけれど、毎日をドキドキして迎えられるといいなと、思います。

また、毎日を感謝して過ごせるように。

アドベントカレンダー

アドベントカレンダー2

今日のお弁当。

1/6お弁当

_ 一行目。 2005-01-07

いつも何気なく書いているような日記ではあるが、実は一行目に非常に気を配っている。

というのも、本の虫の私が書店で本を物色する時に基準とするのは、その一行目にきた文章出来だからだ。

「デパートの垂れ幕の上で踊るバザール、バーゲンという文字の前に、枕詞の《秋の》が付けられる頃、透き通った風が悪戯小僧のように街を駆け抜け、私達学生は長い休みと学園祭の間の落ち着かない授業を受ける」

これは大好きな作家、北村薫の「秋の花」の一行目。

これだけで、十分に秋の中にいる自分が想像できる気がする。自分が学生時代の学際直前の落ち着かないフワフワした気持ちをとても的確に、でも柔らかく書いているので、物語に入りやすいと感じるのかもしれない。

本は、大事な空想世界である。昔あったネバーエンディングストーリのバスチアンのように、私は本を読みながら物語の住人になるのが好きなので、すぐに物語に入れる書き出しを好むのだろう。

「くまにさそわれて散歩に出る。川原に行くのである。歩いて二十分ほどのところにある川原である」

これは、川上弘美の「神様」。うまい。

いきなり、突然にこの文章が来る。別に児童書でもないのだ、これは。

この一行で、「え、何なの?くまって?」とその先を読みたくなる。その世界に足を踏み入れたくなる。

そして、実際非常に面白いのだから、脱帽。この人の世界は、一見ファンタジーなのだが、キャラクターはいつもシビアだ。

このように、私にとって読み物は一行目で決まる。

だから自分の文章も、そこに気を配っている。もちろん、毎日そういうわけにもいかないのだけれど、週に一日ぐらいの割合で。

そうでなければ、私の日常なんぞ読んでいても面白くないのでは?と思ったりするからだ。

でも基本は自分のための記録なので、あまり読んでくれる人を意識して脚色するのはどうかとも思っているので、肩の力はぐっと抜いている。

たまにこの日の日記を読んで、こう思ったよ、とメールをもらえたりするのは、本当に嬉しい。

自分の日常で、直接接する事が出来ない人に何らかの影響を与えられたり、感想を持ってくれたりするのはすごい事だと思っている。

そんなのネットの世界を知るまでは、プロじゃないと、お金になるものを書かないと出来なかった事だと思う。

それが、こんなに簡単に手に入る。夢のような事だ、それは。

だから私は、今あなたがこの一行を読んでくれている事に本当に感謝をしている。

あなたが読んでくれている、という形で私を受容してくれている事が、今の私を支えている。

今日の歩数。

19478歩。

_ 可能と不可能の間で 2005-01-08

口にしてしまってから、その言葉の意味に気付く事がたまにある。

口にしてしまった後で「あぁ、その事について、私はそう思っていたのか」と気付く。

人に対して出してしまった言葉も取り返しはつかないが、それは自分に対しても同じ事だと知った。

認知してしまえば、事実は重く自分に圧し掛かる。

「知らなければよかった事」「気付かなければよかった事」そういうものが、日常にも溢れている。

自分では傷つかないつもりで、普段は押し殺して埋めてしまっている自分のうめき声を聴く。

部屋の片隅で泣いている幼い自分の声を聴く。

時間は取り戻せない。

もう、あの時に抱きしめて欲しかった人との距離は取り戻せない。

だから、傷つかないふりをするのではなく、自分で自分を抱え込むしかないのだ。

同じ事を自分が大切な誰かにしてしまわない為にもそうして乗り越えなければいけない事だってある。

そういうわけで、そこはかとなく、落ち込んでいる。

時間と仲良くするしかない。時が経つ事でうやむやにするのではなく、自己受容する。

そうしないと私は大切な一歩を間違えてしまうかもしれない。

今でよかったとそう思おう。気付いたのが、今でよかった。

大事な人がそばにいて、根気よく私の歩みを見守ってくれているのだから。

私は私の人生を歩きます。それしか、出来ない。

_ 新年会。 2005-01-09

関西人の家庭には必ず「たこ焼き器」があり、どこの家庭でもみんなプロ並みにたこ焼きが作れる、と信じていた。

そういうわけで、「新年会と称して集まり、たこ焼きを作ろう!」という事になった。

QちゃんとQちゃんの友達の「関西人度」を計ろうという試み。

ちなみに、材料を買いそろえている間に、二人とも「エセ関西人」である事が発覚し、早くも計画倒れの臭いがする。

でも絶対手を貸さないことにして、私とS嬢はメインメニューになるであろうサイドメニューの焼きそばをせっせと作る。

たこ焼きを作る予定だったが、どうせだったら(どうせって、どんなどうせ?)明石焼きがいいと言い出し、ネットで作り方を見つけてきて、怪しい手つきで作り始める。

数分後、黒っぽい、過去に丸かったと思われる物体が皿に盛られる。

知らなかったが、明石焼きとはこういうものだったのか?

いくらなんでも、これは違うと認識するのだが。

それでも食べられない事はなかったので、その怪しい物体を食べ、サイドメニューであるはずの焼きそばをおいしく食べる。

二度目は、軽く暖めたタコに、着ぐるみのように生地を着せてやりながら食べる「着ぐるみ式明石焼き」を食べる事になった。

一度目より色白なので、抵抗感激減。

まるで、成功したかのような盛り上がりをみせる。Qちゃんだけが。

「おおすっげー、明石焼きっぽい!」

「っぽい」って何だ?それを作っていたのではないのか?

いつか本当の明石焼きを食べようと思わせる、非常に有意義な集まりとなった。

Qちゃんの関西人ぶりもエセって分かった事だし。

ちなみに九州人の関西人認識。

1、誰でもたこ焼きが作れる。

2、一家に一台たこ焼き器がある。

3、ごはんのおかずはたこ焼きだ。以上。

今日の歩数。

9519歩。

ちなみに朝ごはんはおじや。

よだれちゃんと一緒に撮影。

朝ごはん

_ リングピロー 2005-01-12

先日、全然違う用事で新宿のハンズに行って、すっごいかわいいくまのリングピローを見つけた。

挙式の打ち合わせで何度か「リングピローは作りますか?」と聞かれたのだけれど、Qちゃんが「作った後の実用性はあるの?なければ作る必要性はないのでは?」と言われて、納得していた。それ一回の為に作るのってよく分からなかったので。

でも、そのリングピローは、その後も十分に使える私達二人の好みにマッチするものだったので、急に欲しくなってしまった。

その場は、一旦考える事にしたけれど、やっぱり欲しいと思っている。

近いうちに吉祥寺のユザワヤで探してみるとQちゃんには言っておいた。

そんな朝、Qちゃんが「今日の予定は?」と聞いてきた。

「うーん、何しよう」

「ピローは?」

「え?」一瞬何の事かわからない私。

「ほら、熊の」

「あぁ、熊って言うから、木彫りのを想像しちゃったよ(写真参照)持ち込んだら怒られるかな?」

「誰も何も言えなかったり。テディベアです、と言い張る」と、妙に強気なQちゃん。本当に言いそうだよね、あーたは。

「でも、どこにリング置くの?」

「ここ?」

木彫りの熊

テディベアのリングピロー?

いえ、本当にこんなリングピローを使おうと思ったりしてません。

参列者の皆様、期待しないように。

今日の歩数。

13221歩。

1/12お弁当

<献立>

・薄味チキン

・えび甘辛煮

・コロッケ

・巻き卵

・ソーセージ

・豆腐の味噌汁

_ 本当のこと 2005-01-14

「本当」って何でしょう?

毎日、色々なニュースが流れます。いい事、悪い事。

その真偽を疑った事はありますか?

Qちゃんとそんな話になりました。

丸呑みってすごく危険です。

大学時代、数多くの専門書を読んでいて学んだ事です。

多くのエライ先生たちが、長い月日をかけて研究してきた事ですら、人によって異なります。

でもそれは、先生たちそれぞれの「本当」なのです。

ちょっとだけ、違う角度で受け止めただけ。

ちょっとだけ、違う思想で受け止めただけ。

私の卒論は、膨大な量の説から、自分と同じ方向の意見を探し出すような作業でした。

そして、それは例え「選別されたもの」であるとはいえ、私にとっての「本当」なのです。

事が「現代」なら、事が「ニュース」なら、その捉え方は異なるでしょうか?

私はそうは考えていません。

「同じもの」でも、人によって異なった見方があります。

そして、そこで巻き起こる事に利益や思惑が絡みます。

そうしたら、多くのニュースが報道した人の視点や思想によって、偏っている事でしょう。

時に利益や思惑で「作られたもの」もあるでしょう。それを報道している人が自覚しているかしていないかの差はあれど。

でも、それらも全て、ある人たちには「本当」であるという事も事実だと私は考えています。

丸呑みはしません。

ただ残念ながら、私には堂々とコレコレは間違っていると言えるほどの知識も、また興味もない事も事実です。

私はもっと身近な自分の日常の方が大事なのです。

ただ色々見聞きすれば、丸呑みしていなくても「ラジオでこう言ってたよ」ぐらいの日常会話はするという事です。

私にとっては、それだけの事なのです。

決して、ラジオで言ってたから真実だよ、とか、TVで言ってたから真実だよ、という気持ちは持っていないのです。

そして、同時に「本当」というのも人によって違うと思っているという事です。

これに関しては、Qちゃんとうまく話が噛み合わないと感じます。

それについて、何でだろうなぁとは思うけど、それもきっと「見ているところ」が違うのでしょう。

そういう事もあると思えるので、幸せな事です。

私はとても口が悪く、弁が立ちます。

人によっては私と話すと否定されているように、責められているように感じる人もいるかもしれません。

でも、そんなつもりは毛頭なくて、基本的には誰の事も否定したり、責めたりしたくないのです。

だから、自分が「話をしている」という事実だけで具合が悪くなる事すらあります。

丸呑みは危険だけれど、毎日そう感じている私だから、好きな人たちが話す話題は受け入れたいのです。

だからこそ、毎日の私の話し相手である、ラジオの声を本当だとしておきたい気持ちがあるのかもしれません。

ただ、疑う事も信じる事も同じぐらい簡単で、同じぐらい難しいという事を忘れないようにしなければいけません。

「本当」ってなんだろうと考えていて、行き着いたのはそこでした。

1/14お弁当

献立

・肉まきアスパラ

・コーンコロッケ

・かぼちゃの煮物

・肉シュウマイ

・巻きトマト

・プチトマト

・紫蘇おにぎり

・おかかのおにぎり

_ 差。 2005-01-18

病気に対する耐性ですが、私の方がQちゃんより強いのかもしれないと度々思います。

今は特に私は自由に時間があって、体を休めようと思ったら、十分に休める事が出来るせいだとは思うのですが。

ラジオで「風邪が流行っていて、学級閉鎖になった」というメールが読まれました。

「学級閉鎖って嬉しかったよねー」と私。

「そお?」

「えー、嬉しくなかった?」

「そんな時はもう、いの一番に病気してるから、オレ」←現在も発熱中。

「・・・・・・・」

かわいそすぎて、コメント出来ませんでした。

ちなみに私は、風邪の流行が去ってから、風邪ひいて一週間ぐらい休むタイプ。

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のん気にこんな話をしていたら、Qちゃんは、夜に39度の熱を出して夜間病院に行く事になりました。

病院でも「大人しく座っててください」って注意されるような騒がしい病人でした。

子どもが熱を出すと、ちょっとハイになる、あの感じに似てる。でかい子ども。

今日の歩数。

9340歩。

1/18お弁当

献立

たまには、パンが食べたいそうな。

・ツナコーンサンド

・ソーセージサンド

・ソーセージ

・ポテト

・ハンバーグ

・コロッケ

・プチトマト

・いり卵

_ 病欠 2005-01-19

Qちゃんはついに会社を休む。

お弁当はそのままお昼になった。

1/19お弁当

献立

・ピリカライカ

・ほうれん草

・野菜のてんぷら

・いり卵

・プチトマト

・ハンバーグ

・チキンの照り焼き(写真写り悪い)

_ インフルエンザ 2005-01-20

Qちゃんの調子が相変わらず悪いので、再度私の通っている病院へ行く。

一箇所に色々な病院が入っていて、床は絨毯で、BGMはクラシックで、座り心地の良い椅子なんかがあって、国立マダムに受けそうな病院。

ただ、数ある東京の病院の中で、数少ないまともな説明と診察をしてくれる病院でもある。

そこで「インフルエンザ」であったことが発覚。

つーか、その診察結果をもらうまで、病院三軒目ですよ。本当にヤブばかりなのか?東京。

Qちゃんは、お世話になった方との飲み会とか、どうでもいい人たちとの飲み会とかキャンセルして、療養していたけど、風邪薬を飲んでいても直るわけはない。

「あ、よそでもらった薬は飲んでも意味がないから、また風邪ひいた時にでも飲んで」と言われて、ショボンとしていた。

しかし、インフルエンザなら確実に私にうつるのでは?

そんな状態でも、実は本日最終出勤日なので、這うようにして会社に行った。

せめて、たくさんの人にうつしてきてくれる事を願う。

夜は沖縄から面接で上京する後輩と会う事になっているが大丈夫だろうか。

ちなみにその後輩から、夕方電話が入り、「スーツ貸してくれる人いませんか?」との事。

「はぁ?」

なんでも面接を受ける為に上京するにも関わらず、スーツを忘れたらしい。

何を考えているんだね、君は。

とりあえず、新宿で遅くまで空いているスーツ屋をチェックし、新宿で買う事に。

本当に手間のかかる弟分だよ。

そんなこんなで、夜、新宿で合流。

彼は、沖縄で結婚式後の飲み会の幹事をしてくれる事になっているので、Qちゃんも一緒に食事をするはずだったが、病重く、家に先に帰る。

私だけ、スーツを買うのに付き合い、その後とり鉄で飲む。

今回の結婚に際して、参列していただけない友人たちからコメントが欲しいと年末にカードを送った。

弟分の彼とその話になり、思わず本音が。

勝手ながら、〆切を切らせていただいたのだが、その日に着くように速達で送ってくれる人がいたり、カード以外に簡単なメッセージを入れてくれる人もいた。

また、本当にお世話になっている友人夫婦は、「お祝いの気持ちはちゃんとあるのに、カードがきちんと届かないとお祝いの気持ちが伝わらないと思って」と携帯にメールがあった。

私たちはお祝いしてもらう側で、しかも勝手に沖縄で挙式し、勝手に平日を選んだ。その上、勝手にカードを送りつけたのだと思っている。

私にQちゃんが言った事は「カードを催促しないでおこう」という事だった。

ただ素直に、送った人たちの気持ちを受け取ればいいという事だ。返信があろうとなかろうと。

悲しいと感じる事もいくつかあったけど、今はそう思っている。

結婚式を挙げることに最初に多くの戸惑いがあったけど、こういった事があって、本当に結婚式をするようになって良かったと思ってる。

お祝いの気持ちの示し方を私は今回教わった。

伝えるという事の難しさとか、嬉しさとか、逆に些細な事から伝わる気持ちを感じようとする事の大事さとかを学んだ。

そんな話を彼にした。

そして、負担になって悪いが、結婚式の日の飲み会はただの飲み会ではあるが、私たちにとっては大事な結婚式の延長線にあり、思い出に残るものになると思うので、宜しく頼む、と言い添えた。

私のわがままや強引さは付き合いの長さでよく知っている彼が、力強く「任せてください」と言ってくれたので、本当に嬉しかった。

沖縄の挙式を喜んでくれた人でもあるし(うっかりしていたが、式場が彼の出身の村内なのだ)、一番に参列の名乗りを上げてくれた人でもあった。

こうして、大事な人たちに喜んでもらっている事も、何があっても忘れないようにしよう。

そう思う。

弟分、面接頑張れ!

_ お別れ。 2005-01-22

怒涛のような毎日を過ごしていますが、実は福岡に戻るからです。

Qちゃんが、東京を離れる事を予てから希望しており、どうせなら結婚するし、転職もしちゃう?って感じで転職する事になり、あっという間に仕事が決まり、福岡勤務となった為です。

手に職のある人は強いなぁ。

私が強制的に彼を説き伏せ、福岡に強奪するかのようなイメージのために身内に強い反発を受けていますが、そんな事はありません。

おそらく。

そんな山賊に強奪されるように言われているうちの姫は、だいぶインフルエンザからも回復し、今日はお昼から銀座に行き、指輪を取りに行きました。

今回のお渡しの人は、エンゲージの時の店員さんでも前回マリッジを決めた時の店員さんでもなかったのですが、受け取りをしている間に、それぞれの店員さんが挨拶に来られ、「うむ、苦しゅうないぞ」と殿様気分でした。

私もQちゃんも、そういう「お客様」と扱ってくれるお店が大好きなので(そうでもないお店にお金を落としたくない)、最後まで満足させてくれるいいお店でした。そういう満足感まで与えるのが「プロ」なのでは?というのが二人の共通見解。

その後新宿に行き、ビッグカメラで福岡の家につけるエアコンとガステーブルを購入。

どうして新宿で購入するかというと、福岡の某Y電機で見たのですが、本当に店員の対応が悪く、値段は福岡の方が安かったのですが買う気になれなかったのです。

その点、ビッグカメラは対応が良くて、おまけでぴちょんくんまでもらってしまいました。

わーい。

その後は、ちかくでお世話になった先生とS嬢とお食事。

その場でS嬢からお祝いにル・クルーゼの鍋を頂きました。

これは私がずっと欲しかったもので、新居に移ったら絶対買おうと思っていたものだったので、本当に嬉しかったです。

大事に使います。

お二人には本当に東京生活の中で言い表せないほどお世話になりました。

お二人がいなければ、仕事だって最後まで粘れなかったかもしれないと思います。

そして、短い東京生活ではあったけれど、そういう人たちとめぐり合えた幸運を大事にして、一生のお付き合いが出来ればいいと思います。

いよいよ、東京を離れるまで秒読みです。

寂しいなぁ。

_ 大方の予想通り。 2005-01-23

朝起きると熱っぽく、一旦風邪薬を飲み寝てみましたが、お昼に38度を超えました。

案の定、姫からもらいうけたインフルエンザです。

くっそー。

日曜日なので、病院も行けないので、独断でQちゃんの残りのインフルエンザのお薬を一錠分けてもらいました。

そうすると熱が下がり、やっぱりインフルエンザです。

ちなみに明々後日の26日にお引越です。

大丈夫なのか、私?

_ 病院に行く 2005-01-24

逆流性食道炎でお世話になっている病院に行きました。

先生は「薬なくなったの?」と気軽に言われ、まだまだ薬を飲まなくてはいけない事を通告。

嫌だなぁ。

でも今日はインフルエンザだと伝えると、状況を聞き「多分そうだね」と言い、薬を処方してくれました。

一回薬を飲んでいると、検査で症状が出ないとの事。

そういうもんなのですなぁ。

とりあえず薬を飲み、市役所に行き、転出届を出す。

実は国保滞納者なので、ドキドキしたが、納付窓口と発行窓口は別なので、滞納者であることはばれないのですね。

いい大人なのに、滞納なんてしててごめんなさい。

でも今まで転職を数回してますが、一度も払った事ないかも。手続きすらしたことないし。

ああ、でも本当に反省して、次の所では払いますと誓う。

だって、たった数日分だから。←駄目駄目。

その後家に帰り、荷造り。

何だか荷造りしていると、Qちゃんの古いビデオとか出てきて、オタキモ感たっぷりの彼のコレクションビデオを流しながら、荷造りに励む。

あ~、これ見たら、結婚に反対する人も出るかもしれないと思うぐらいのオタキモぶりですよ。

女の子がコスプレして、魔法とか使っちゃいますからね。(これで分かる人が何人ぐらいいるだろう)

でも、こういうものを何かの作業をしながら何となく見るのは、ちょっと面白い。

しかし、こういった娯楽へのデビューが遅かったQちゃんは、割と大きくなってから(年齢的に)こういうものに手を出したらしいので、さぞや「秋葉原へ行け」って感じだったあろうと思う。

よかったなぁ。

社会人になって、色々な波に揉まれてから出会って。

この年齢になったら、この程度の事は人選上何のネックにもならないが、夢見がちというか理想に追われていた学生時代なら、大きな障害になっていたに違いない。

何事もタイミングという事であろうか。

決して私がそれだけ汚れてしまったとかではないです。

ええ、そうですとも!

心はいつまでもピュアですよ、私。

お弁当は当分はなし。

今日のおやつは福岡で買ったでっかいひよこ。

本当にでかい。

1/24おやつ

こっちの方が分かりやすい?

1/24おやつ2

_ 引越前夜 2005-01-25

朝から、ハローワークへ。

何の問題なく認定を受ける。

毎回思うけど、これでいいのだろうか。

まぁ、違反は何もしていないのだが。

家に帰り、またも荷造り。

終るのか不安になってきた。

荷造りしながら痛感した事だが、何と言っても、Qちゃんは荷物が多い。

その量といったら、もう呪いたくなるほどだ。

どこの名古屋の嫁ですか?といいたくなるような大きなタンスや大きな本棚。

いかに引越しない人種であったかが伺われる。

この際とばかりに、ガンガン捨ててやる。

それに比べ、私の荷物の少ないこと!

どこの流浪の民ですか、この人は。

家具は一切なく、あるのは三段ボックス一つだけ。

それも電話台兼用の小さなもの。身軽ですなぁ。

そういうわけで、もっぱらQちゃんの本を詰めるのがメイン作業に。

うっかりを装い、捨ててやろうかと何度思ったことか!

それでも、何とか約40箱に収まる。

乗るんだろうかと一抹の不安が過ぎる。

_ 引越! 2005-01-26

朝8時から業者の人が来る。

二人でやってかかっても一時間半ですよ、と言われていたが、到底終らないと思ったらしく、気がつけば途中から人がひとり増えて三人になっていた。

ポケットから出てきたのかと思うぐらい、突然に。

それでも、運んでも運んでも終らず(私たちのせいではない。見積りに来たやつが悪いのだ)、何と完了する頃には、二時間強かかっていた。

お兄ちゃんたち、舌打ちしそうな勢いであった。

でも重ねて言うが、憎むなら見積りに来た自社社員を憎んでくれ。

そう思いながら、お兄ちゃんと荷物を見送る。

3トントラックに何の隙間もないほどの荷物が詰め込まれていた。圧巻。

詰め込み方がプロだなぁと妙に感心する。

寒々しくなった部屋を片付け、終わり。

これで東京とはお別れだ。

楽しい事ばかりではなかったけれど、いい時間を過ごさせてもらった。

東京、というものを経験できた事は、私の今後の人生の中で何らかの糧になるだろうと思う。

また、Qちゃんとの生活はここでスタートした。

そういう意味では忘れられない土地になるだろう。

特に無職になってからの、生活拠点が国立であった事は本当に恵まれていたと思う。

駅からは遠かったけど、住宅地だし、自然もあった。

天気のいい日は、富士山を見る事だって出来た。初めて富士山を見た日の興奮は忘れないだろうと思う。

行って見たい所はまだたくさんあったけど、別にそれはこれから行けない所ではない。

そう思うと、本当に行きたかったところなんて、そうなかったのだと思う。

東京で一番良かった事は、美術展に気軽に行けたこと。

Qちゃんとも何度か一緒に上野へ足を運んだ。どれも印象的であった。

そういう事はどれだけ時が経っても忘れない部類の事だ。心配しなくてもいい。

心残りは、仕事を奪われた事。

これはただの未練だが、もっと出来た事があったのではないかと思ったりする。

なんにせよ、これでお別れ。

空港にはS嬢が私たちが大ファンのお菓子を持って見送りに来てくれた。

本当に最後まで、お世話になった人だ。

でもお別れは悲しくなかった。

私はこの人のことがとっても好きなので、きっとまた会えると思えるからだ。

嫌いな人にはどんな事情があろうとも中々会えないものだが、本当に好きで会いたいと思う人には、絶対に会えるのだと信じている。

その証拠に、同じくお世話になった仙台のSさんには仕事を辞めてしかも仙台-東京と離れているのに、すでに一度会えたし、また沖縄でも会える。

同じように、きっとS嬢とも会えると思っているので、寂しくはない。

ただ、おこがましいけど、二人で無職の辛さを励ましあってきたので、そういう意味でちょっと心配だ。

でもそれは私も同じで、次に会う時に胸を張って会えるように頑張るしかないと思っている。

次に来る時は、私は旅人だ。

その時を楽しみに、福岡へ飛ぶ。

_ 新居。 2005-01-27

昨日は実家に泊まって、朝から新居へ。

つーか、福岡寒いんですけど?

10時ぐらいから、引越屋のお兄ちゃんたち登場。

どんどこどんどこ運び込まれるが、寒さに激弱なQちゃんと私はハロゲンヒーターの前から離れられない。

しかもこのハロゲンヒーターは、首が折れていて、常にショボンとしている。

その前に縮こまっている私たちの惨めなことといったら!

でも、寒すぎて離れられない。

Qちゃんの嫁入りタンスが入り口で引っかかったり、ベッドの業者とバッティングしたりといった、小さなハプニングはあったが、とりあえず約2時間ほどで無事に積込み終了。

この時点で、照明器具が足りない事とか、明らかに暖房器具が足りない事とか、カーテンが足りない事とか、様々な問題が発生。

カーテンは、ネットが繋がったらネットで発注するとして、照明器具は?この文明時代に、どうしてこうも薄暗い部屋で過ごす事になっているの?

あと、エアコンが届く31日まで、私たちは凍死せずに過ごせるのか?などなんだかサバイバルな感じ。

それでも出来る限りで荷解きを始める。

詰込みと違って、夜にはなんだがメドが見えてきた。

しかし、寒い。

寒い寒いと言っていたら、翌日は雪との事。

Qちゃんが「本当は九州ではなく、仙台に引っ越していた、とか?」と呟いたのが印象的な新居一日目であった。

_ 別行動 2005-01-30

今日は昼過ぎからQちゃんを置いて、美容室へ。

何と言うか、遠いですよ、天神。

だって、交通費片道1200円って、一体どこまでいくつもりですか、私。

東京に比べると車が生活の中心である福岡はやっぱりJRが高い。

本当に高い。

その代わり、すごく空いているので、どっちがいいとは言えないが。

実際、私も前はずっと車生活だったので、その事を気にした事はなかったのだけれど、これは車を持たないと本当に生活が難しいな、と頭の片隅で考える。

天神に行って、寄り道する事もなく、真っ直ぐに美容室へ。

友人のダンナにお任せでカットをしてもらう。

これで結婚式までの準備はバンタンだ。

ネイルは、友人にしてもらう事になっている。

目標にしたい夫婦に、準備をしてもらって、結婚式に望めるとは何と幸せな事だろう。

終ってから、Qちゃんが探しているという本を見に、紀伊国屋へ。

だが残念ながら、見当たらない。

あーあ、と思いながら、特急に乗り、家まで帰る。

久しぶりにQちゃんと別行動をした。

有休が始まればずっと一緒にいるので、それが気になるかと思っていたが、実際にはその事はさして気にならなかった。

ただ、たった半日だけれど離れていて、顔を見るとやっぱり「ただいま」ってなる。

その事に突然に気付いて、「帰る所がある幸せ」を胸いっぱいに吸い込んだ。

こういった事を忘れなければ、きっと私は概ね幸福に暮らしていけるだろうと思う。

_ 同居人 2005-01-31

朝からエアコン取り付けの人が来てエアコンを付けて行った、やっとヌクヌク生活が送れるようになる。

あー、幸せ。

午後から、区役所に行き、転入届を行う。

ただ、まだ籍は入っていないので、そういう場合はどうなるのだろうと思っていたら、そういう場合は「同居人」となるらしい。

知らんかった。

でも私の国保の請求は、世帯主であるQちゃん宛にくるらしく、今までは気楽に「踏み倒せ!逃げきろ!」と煽っていたくせに、急にトホホとなっていた。これで、踏み倒したらQちゃんの責任となる。

うーむ。苦しゅうないぞ。

働き始めて、ずっと「世帯主」だったので、この感覚は新鮮だ。

扶養されてるって感じがしていい。

昔は、何でも「男性に負けるな!」と思っていたが、この歳になるとそんな気持ちも消えうせ、むしろ「付属」って感じも悪くないなどと思ったりする。

時間は人間を変えるものですな。

そういう感覚を以前は堕落と言って、非難したものであったが。

その後は、近所を散策。

何だか、町全体が寂れている感じがしてどんよりした気分になるが、住めば都だと思うことにしよう。

必要なものを買い足し、帰宅。

いいよ、エアコンがある生活。

寒くないもん。

でも寝室にしか付けなかったので、DKで過ごす時はダウンジャケットを着用。

それでは、外と同じでは?

これについては、今後検討の余地あり。

まぁ、とにかく、これで区民になった。

あとは、式を待つだけか。