2002年3月 - へびあし。


_ 分刻みの一日 2002-03-02

予定が詰まっていた一日だった。

これでもかって程に。

そんな一日の、珍しく家族でとった夕食の時間に出た、こんなひと言。

「プライドなんて、あってなきが如し」

目からうろこ。

_ 世にも珍しい 2002-03-03

魑魅魍魎の集会みたいなものに参加した。

みごとな化かし合いだった。

でも、私だって「助演女優賞」ものだったと思う。

始めて合う殿方に見初められ、熱烈なアタックを受けた。

あと20年たったら、真剣に考えてもいい。

生後10ヶ月なので。

今日の良い事。

会いたい人達に会えたこと。

今日の良くなかった事。

(いろいろあるけど)この席で会いたかった人に会えなかったこと。

とにかく、大変な一日だった。

_ 新ダイエット!! 2002-03-04

毎晩、毎晩、毎晩。

花粉症のせいで、目が覚めます。

先日、実家に帰った折に、母に薬を分けてもらいました。

ついに・・・・。

それが、もう、よく効いて、今朝はすっきり目覚めました。

体力的に限界がきてたので(そんなに我慢するなってね)かなり、楽になりました。

でも、今から甜茶を飲み続け、体質改善に努めたいと思っております。

やっぱり、お薬は苦手なので。

あと、実家で新しいダイエット法が流行っていました。

その名も「梅干入り紅茶ダイエット」!

うちの母と弟は、簡単ダイエットを追及していて(単に面倒なことはせずに痩せたいだけ)ありとあらゆるダイエットを試しております。

どれも、これという成果はあがってないんですけどね。

それで、今回は「梅干入り紅茶ダイエット」に挑戦中だそうです。

テレビかなにかで見たんでしょうね。

とっても簡単です。

紅茶に梅干を入れるだけ。

味はそこの方にいくと、少し梅干の味がしますが、ほとんど普通の紅茶と変わりません。

別々に摂ってもダメなんだそうです。

血がサラサラになるとか。

ダイエット効果はともかくも、「血がサラサラに」の文句に誘われて、私も挑戦しております。

さて、効果やいかに?!

乞うご期待!!

_ 杏仁豆腐について 2002-03-05

滞るだろうと思っていたら、薬のおかげで、絶好調。

意外と余裕が出てきて、「狼が出た」って感じだったりします。

このペースは維持したいものです。

はい。

さて、昨日「杏仁豆腐」をおみやげにいただきました。

「杏仁豆腐は好き?」と聞かれて、「さぁ・・・」と弱気。

だって、どんな味か思い浮かばなかったので。

それぐらい、私と杏仁豆腐の関係は、小学生の時に一度出したっきりの鼻血と同じぐらい、思い出すのも難しい、冷めた関係だったわけです。

そのせいでしょうか、妙に強気に

「杏仁豆腐って、『豆腐』で出来てるんだよね。知ってた?」

を言われました。

私は、何度も、何度も、何度も!その方に騙されていたので、「嘘だよね?」を言ったんですが、聞いてもらえませんでした。

それで、本日調べました!

「杏仁豆腐」の「杏仁」は、杏の種の中の白い部分のことだそうです。

「杏仁豆腐」の「豆腐」は、大体において見かけが豆腐らしいものは、そう呼ぶことが多く、「杏仁豆腐」の「豆腐」もその一例であろう、とのこと。

また、「豆腐」の「腐」には「腐る」ということ以外に「固まる」といった意味も含んでおり、そのせいで「杏仁豆腐」と呼んでいるのではないか、ということでした。

つまり、「杏仁豆腐」は「豆腐」では出来ていないってことです!!

やっぱり、また騙されるところでした。

ふー、危ない、危ない。

余談なんですが、杏仁豆腐を作るときにアーモンドパウダーを使うのは、杏仁の香りが、アーモンドに似ているからなのだそうです。

なるほど、ですよね。

_ 一日の重さ 2002-03-06

何をしていても、一日の中の24時間という時間は流れていく。

一日は24時間で、1440分で86400秒。

これが一週間になると、168時間の10080分の604800秒になる。

一日あると、3分で出来るカップラーメンが480個作れて、一週間あると、3360個作ることが出来る計算。

私の一日は、カップラーメン480個作るよりも有意義に過ごせているだろうか?

一日寝ていても、踊っていても、叫んでいても、ぼんやりと過ごしても、有意義に過ごしても、その重さは変わらない。

カップラーメン480個分である。

作業工程に15分かかるケーキでも96個も作れる。

それよりも、意味を、意義を見出しているだろうか?

食べるために生きているのか?

生きていく為に食べることは必要だけれども。

プライドと屈辱と怠惰の狭間で、そんなことを思ったりもする。

怪しい計算をしてみたりする。

_ 日記にかえて~その四~ 2002-03-08

『道程』  高村光太郎

僕の前に道はない

僕の後ろに道は出来る

ああ、 自然よ 父よ

僕を一人立ちにさせた広大な父よ

僕から目を離さないで守る事をせよ

常に父の気魄を僕に充たせよ

この遠い道程のために        

この遠い道程のために

 

_ 例えば。 2002-03-09

私があなたなら、私は「女」であろうとする。

とびきりの「いい女」であろうとする。

それで自分を奮い立たせ、着飾って、現実と立ち向かおうとする。

許されない事は、どの部分だったのだろう。

何かを奪われたことだろうか。

心を?

物を?

何かを踏みにじられたことだろうか。

気持ちを?

重ねた時間を?

投げ出す事は、簡単だ。

でも、どうか。

あなたが、あなた自身を投げ出しませんよう。

私はそう、切に願う。

_ 日記にかえて~その五~ 2002-03-10

『風景』 山村暮鳥

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

かすかなるむぎぶえ

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

ひばりのおしゃべり

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

やめるはひるのつき

いちめんのなのはな

_ 感情の登山の果てに 2002-03-11

登ったり、下ったりする一日。

恐ろしいのは、下りてきた紐にしがみついてしまいそうな自分。

差し出された傘に、入ってしまいそうな自分。

掛けられた声に、答えてしまいそうな自分。

その向こうにいる人を見極めることが出来なくなりそうな自分。

だから。

とりあえずの、アルコールで自失する。

一時だけ。

今夜だけ。

自失する。

自分を失う。

自分で自分を放棄する。

_ 実らぬ思い 2002-03-12

割と、動物が好きです。

いや、実はかなり好きです。

でも八割方、動物(犬猫ハム)は、私のことが嫌いです。

何ででしょうかね~。

飼われている犬は、大体において、真剣に噛んだりはしないと思うんですけど、時折「真剣に噛んだろか?」という形相をされることすらあります。

友人曰く

「君の扱い方が悪い」

かなりショック!

確かに

「歯医者ごっこ~」と歯を見ようとしてみたり、

「耳鼻科ごっこ~」と耳の中を見てみたり、

「眼科ごっこ~」と目を見たりしますけど・・・・・。

年端もいかない男の子が、触り方を知らなくて、犬とかの方が警戒するってことがありますよね?

どうも、あれと同じ扱いを受けているような気がします。

でもね~、私の方は、本当に好きなんですよ。

もちろん、好みもあるけれど。

いつだって、私の愛情は一方通行なんだわ・・・・と切なくなってしまったりする今日この頃。

そんな折に、いきなり走ってきて飛びつかれるという熱烈な愛情を受けました!

小型犬。

「うお~♪」と思っていたら、

すぐに犬の方が

「ケ。人違いかよ」と飛びついた後に、冷たい態度。

どこかに、私の思いを受け止めてくれる犬猫ハムっていませんかねぇ(涙)

_ 日記にかえて~その六~ 2002-03-13

『遠い国』 田村隆一

ぼくの苦しみは

単純なものだ

遠い国からきた動物を飼うように

べつに工夫がいるわけじゃない

 

ぼくの詩は

単純なものだ

遠い国からきた手紙を読むように

べつに涙がいるわけじゃない

 

ぼくの歓びや悲しみは

もっと単純なものだ

遠い国からきた人を殺すように

べつに言葉がいるわけじゃない

_ 日記にかえて~その七~ 2002-03-14

『いまが苦しいなら』 鮎川信夫

 

一日の業を終えて 眠るためには

誰でも赦さなければならない

あなたは

あなたを殺すものでも

赦すことができる

赦すというのは

誰にでも許された特権で

赦さなければ

あなたも赦されはしないだろう

それがこの世の習慣である

だが おのれの裁き手は

おのれではないから

あなたを赦すことはあなたにはできない

それが掟である

生きているというだけで

ましてながく生きているというのなら

おのれを赦せる理由は

ほとんど無尽蔵である

幸いにも

あなたを殺しにくるものがあれば

喜んでむかえなさい

わずかに赦すおのれを許すことで

負担を軽くする余地が

残されているのだから

_ おみやげっ♪ 2002-03-15

お客さんのところで、仕事の仲間と飲みました。

三名の方が厨房に立たれているんですが、お一方と目が合って「ニヤリ」。

数分後、ひと口サイズのお寿司を握ってきてくださいました。

う、嬉しすぎ・・・><

その後、料理長が話し掛けてこられて、「いくつにみえる?」と年齢を聞かれたので、ちょっと若めに言ったら「よお~し!タコをサービス!」と出して頂きました。

また、店長にシュークリームを頂いて、他の方にポテトチップもおみやげに頂きました。

かなり、もてなされた気が・・・・・。

「おみやげを持って帰りやすいように、袋をあげよう!」と袋まで頂いて。

挙句に、仕事の注文まで頂いて・・・・・。

いいんでしょうか?

いいんでしょうか?

ご馳走様です~m(__)m

_ 恒例の! 2002-03-16

中学時代の友人、Sちゃん、K、私の三人でやっている「お誕生会」がありました。

今回の主役はK!

ひとり暮らしで、あまり自炊をしない彼女へのプレゼントは

「ひとり暮らしの食生活応援グッズ」

ご飯に入れて、混ぜるだけの具やインスタントのスープ。

お茶づけのもとや駄菓子。

インスタントでも、ちょっと高価だったり、変わったものばっかりを集めて、プレゼントしました。

段々とやる事が手が込んできて、みんな自分が貰うときは、違う意味でドキドキしているという・・・・。

彼女達と学校が一緒だったのは、Sちゃんとは二年、Kとは半年の間だけ。

それでも、こうして今でもお付き合いを続けられる事は、ありがたいことだな~と思います。

みんな少しずつ歳を重ねるにつれ、変わっていっているし、いろいろなこともあったんだけど、懐かしく先生達の話題やそう多くはない共通の思い出を語っていると、昔の自分に出会い、気恥ずかしく暖かい気持ちになったりします。

特にSちゃんとは、今の方が当時より断然親しくしていて、「お互い、大人になったってことかしらね」なんて、笑いあったり。

もし、何かしかのタイミングがずれていたら、Sちゃんとこうして笑いあう事もなかったんだと思うと、その事に感謝したい気持ちで一杯です。

もちろん、Kもですけどね。

(当時の友人から見ると、私とSちゃんは到底合わないだろうって言われてましたから)

いくつまで続けられるかわかりませんが、こうしてずっと続けられたらな、と思いました。

K、お誕生日おめでとう!

_ すごくいいお天気だったのに・・・。 2002-03-17

前日からのお客様の朝ご飯を作り、昼頃お見送りをして、寝た。

ガンガン寝た。

目が覚めると五時で、アイロンをかけて、また寝た。

起きたら四時だった。

一週間を平均睡眠二時間で乗り切ると、こんな休日になるという、いい例でした。

友人へのバースデーコールもし忘れました。

許せ!武丸!

お誕生日、おめでとう!

今ごろ、26歳なんて許せねーって思ってて忘れたわけじゃないのよ、本当に。

でも、詐欺だよねって思ってはいるけれど。

ふふふ。

_ 日記にかえて~その八~ 2002-03-18

『鍵』 茨木のり子

一つの鍵が 手に入ると

たちまち扉はひらかれる

硬く閉ざされた内部の隅々まで

明暗くっきりと見渡せて

人の性格も

謎めいた行動も

物と物との関係も

複雑にからまりあった事件も

なぜ なにゆえ かく在ったか

どうなろうとしていたか

どうなろうとしているか

あっけないほど すとん と胸に落ちる

ちっぽけだが

それなくしてはひらかない黄金の鍵

人がそれを見つけ出し

きれいに解明してみせてくれたとき

ああ と呻く

私も行ったのだその鍵のありかの近くまで

もっと落ちついて ゆっくり佇んでいたら

探し出せたにちがいない

鍵にすれば

出会いを求めて

身をよじっていたのかもしれないのに

木の枝に無造作にぶらさがり

土の奥深くで燐光を発し

虫くいの文献 聞き流した語尾に内包され

海の底で腐蝕せず

渡り鳥の指標になってきらめき

東になって空中を ちゃりりんと飛んでいたり

生きいそぎ 死にいそぐひとびとの群れ

見る人がいたら

この世はまだ

あまたの鍵のひびきあい

ふかぶかとした息づかいで

燦然と輝いてみえるだろう

_ 良い。宵。酔い。 2002-03-19

話したいことと話しておかなければいけないことと、たくさんあったけど、

今日はただ、話を聞いていたかった。

取り留めのない日常の話や好きな音楽や食べ物の話。

そういった話を聞いていたかった。

言葉は羽音のようだけど、私はその個人の持つリズムが好きだ。

時折、私が言葉を挟むことで、乱れてしまう繊細なそのリズムが好きだ。

人の奏でる、言葉の音楽の中で、私はちょっとだけ、まどろむ。

今、ここにある偶然の結果に、思いを馳せ、いとおしく思う。

そして。

ふと、気付く。

自分を満たすものに。

今、この瞬間の幸福に私は酔う。

_ 講座最後の日。 2002-03-20

今日は、手話講座の最後の日でした。

あとは、閉会式を残すのみです。

いつかきちんと勉強してみたいと思っていて、チャンスがあって昨年春から始めた手話。

一年を終えました。

手話を学ぶという点においては、やっとスタート地点に立った気分です。

あまり、先のことは考えず、気長にゆっくり付き合っていきたいなと思っています。

正直な話、ここ二回か三回で、完全に自信喪失状態で「終了してもいいんですか?」って感じではあります。

読み取りが、全然できてないんですよ><

使う時間が少なくなってたのかな~、講座中もちょっと上の空だったりもしたしな~。

そんなことを思いつつ。

気が付けば、打ち上げの幹事にされていまして・・・・・。

最後ぐらいは、バチっと決めたいなぁと思っております。

来週土曜は、打ち上げ。日曜は、手話の会の花見でございます。

なけなしの自信をかき集めて、どんな形でもいいので、一年間の成果を実感したいと思います。

(先日、「お前は猥談には反応が早い」って先生に言われてしまって、ショックから立ち直れないという・・・・)

さて、来週の日曜を乞うご期待?!

_ 『帰る』ということ 2002-03-21

水曜日の夜中から、実家に帰っていた。

家を出てから、二年以上経つ。

当然のように、私の部屋はどこにもなく、家に帰ると私は所在なげに過ごすことになる。

それでも、ここは私の帰る場所だ。

私は、家を三つ持つ。

両親のいる家と祖父母の住む家と私の部屋。

両親の家と祖父母の家には、私は「帰る」と思う。

なぜなら、あそこには私を受け入れてくれる人たちがいる。

私を待っててくれる人たちがいる。

今の私の部屋にも私は「帰る」。

私を待っててくれる人はいないけれど、私はここで、様々な人たちを待つからだ。

大切な人たちの帰りを、私はここで待つ。

その為の家だと思う。

それでも、実家からの帰り道、ハンドルを握りながら考えていた。

私は「どこ」に「帰る」のだろう。

「どこ」へ行くのだろう。

黄砂でばやけた街並みを見ながら、すれ違う人々の帰る場所を私は少しだけ、羨んだ。

_ いくつに戻りたいですか? 2002-03-22

お客様と話をしていて、突然に訊かれた。

「ねぇ、ミズキさん。戻れるとしたらいくつに戻りたい?」

一瞬のうちに、様々な思いが頭の中を駆け抜けた。

「大学生ぐらいかな~」

答えながら、嘘だと思っていた。

「なぜ?」と訊かれて、答えられる年齢を答えていた。

「もっと、違うことを専門に勉強したかったから」

本心は、違う。

勉強なんて、いくつになったって出来る。

現に今だって、試験を三ヵ月後に控えている。

私は、「今」の状況の自分に満足していない。

不満で、不安で、苦痛だ。

それでも。

私は、どこにも行きたくなかった。

戻りたくなかった。

「今のままで十分です」というのが私の本心だった。

今、これを読んでいてくれる「あなた」との出会いは、私にとって何物にも代え難い。

それを捨ててまで、やり直したいような人生などない。

一つ、糸を掛け違えていれば、私は「ここ」に存在せず、「あなた」とも出会わなかった。

その、奇跡のような出会いに代わるようなものなど、何もない。

「あなた」が、私を否定しようと肯定しようとも、構わない。

私は「あなた」に逢いたかった。

だから、私は「ここ」が好きだ。

今、自分が存在する、この時間が好きだ。

そのことを実感した瞬間から、私の混沌とした時間がまた、ゆっくりと流れ出す。

そろり、そろりと。

でも、確実に。

逢いに来てくれて、ありがとう。

_ 「過去」に会う 2002-03-23

時間を巻き戻したくはないけれど、たまに「過去」に会いたくなる時がある。

思い出の場所や古い手紙。

懐かしい写真や昔からの友人達。

私は、時折「過去の私」に会いに行く。

とても親しい友人に会うように、「過去の私」に会いに行く。

例えば、過去に戻ることは出来ないけれど、一緒に「過去の私」に会いに行くことは出来る。

「過去のあなた」に、ほんの少しなら、会うことが出来る。

思い出を聞く事で。

思い出を語る事で。

古い友人と語らう事で。

「過去」は過去でしかないけれど、その積み重ねが今の「私」、今の「あなた」。

今、一緒にいる事実だって、その積み重ねの結果。

そう思うと、「あなた」の過去までもが、私にはいとおしい。

Sちゃんと、会った。

取り立てて急を要する用事ではなかったけれど、何となく一緒に過ごす。

13年前には、想像もしなかったことだ。

私達は仲が悪かったわけではないけれど、とても仲が良いわけでもなかった。

正直に言えば、私は13年前、彼女がちょっと苦手ですらあった。

おそらく、彼女の方でもそうだったろうと思う。

もし、Sちゃんとの再会が10年前だったら、今の関係はあっただろうか?

互いが必要な時間を重ね、様々な経験をし、空白の時間があったからこそ、今の私達がある。

空白は、埋めることが出来る。

そうすることを互いが望むなら。

そんなことを思いながら、私の思い出の場所をSちゃんと訪ねた。

私の学生時代の遊び場。

特別口にはしなかったけど、そうなのだよ、Sちゃん。

久しぶり過ぎて、道案内も怪しかったけど。

卒業して4年以上経つんだから、仕方ないよね?(と、言い訳)

過去に会いに行った、春の土曜日でした。

_ 春に向けて 2002-03-24

午前中は何の予定もなかったので、朝7時に起きて洗濯機を回し、フローリングをふきあげ、布団を干し、アイロンをかけ、家中をひっくり返す。

その勢いといったら!!

おかげで、お部屋が綺麗になりました。

ふ~。

どうしても四月を新しい気持ちで迎えたかったので、この時間を逃すと四月に入ってからしか、ゆっくり掃除と言うわけにはいかなかったので、かなり必死でした。

サッシの下の砂埃もふきあげたので、かなりすっきり!!

こう書くと、なんだかすごく汚い部屋で生活しているみたいで嫌なんだけど。

そんなことないと思います。

た、多分。

さぁ、これで、勉強にも身が入るはずです・・・・って、これを言うのは何度目だろう><

本当に頑張ります!

_ 愚痴なんですけどね 2002-03-25

帰宅中の電車待ちの時に、ホームから突き落とされました。

轢かれそうになっちゃいました。

・・・・という夢を帰宅中の電車の中で見ました。

危うく、叫び声をあげるところでした。

う~む、危ない、危ない。

気のせいでしょうか。

最近、「王様の耳はロバの耳~」と叫ばれた、あの穴の気持ちがわかるような日々を送っております。

人生相談、駆け込み寺?

「来るものは拒まず、去るものは気になります」という性格の為か、それとも私ならいつ何時でも電話が繋がってしまうという事実が浸透しているのか、電話がよくなります。

大きな事から、小さな事まで、様々な事が持ち込まれます。

「頼られる」という事は有り難い事だと思っていますし、別に構わないんですけど、相談される人って、気持ちは決まってたりするじゃないですか。

それを誰かに、ただ肯定して欲しかっただけだったりするわけですよね。

でも、私の中に置いてけぼりにされたその話の内容って、気がつけば、私の中でグングン育っていたりする。

それを抑えるためにエネルギーが必要だったりするので、つくづく私って、相談相手には向かないんじゃないかな~と思うわけです。

大体、恋愛経験なんて大した事ない私に、恋愛相談したってしょうがないだろうって思ったりもするわけですけど、もっともらしい事を答えてしまう営業5年目の悲しい性。

騙されてはいけませんよ~、と思うんですが。

知り合った人たちとは、何らかの縁があったのだ、と思っています。

ですから、きちんと付き合っていきたいし、大切にしていきたいと思う。

でもそれが誤解を生んだり、そういう誤解を招く私の態度を批判されたりすると、ますますもって、テンパってしまいます。

反省の海にドボンって感じなんですが、何せ泳げませんしねぇ。

そういうわけで、惰眠を貪ってしまいます。

人はそれを「逃避」と呼ぶ。

もう少し、感情コントロールが上手になるといいんですけど、そのエネルギーは仕事で使い果たしてしまっているのかもしれません。

ああああぁ~。

_ いい男S氏について 2002-03-26

一年ぶりぐらいに、友人S氏と話をした。

彼と話すと、時間が出会った頃に戻るような錯覚を起こす。

妙な感じでテンションをあげてくれる、貴重な友人だ。

彼は、私より3歳年上の「いい男」だ。

見かけがいいというのも、もちろんあるけれど、何せ中身が「いい男」なのだ。

彼と私は、ある地域ボランティア団体で知り合った。

一緒に活動している時に、こんな事があった。

子供達に平和学習を行なうプランを練っている時に、私はスタッフの子達に問い掛けた。

「慰霊の日は、いつか知ってる?」

子供達に渡す資料にも書かれている事項であることは、スタッフの子達も分かっていた。

でも、出てこなかったのだろう。

みんな一様に「しまった」という表情を作った。

その時に、彼がこう言ったのだ。

「知らなかった事実より、その事実で今、どんな気持ちになっているのかが大切だよ」

この瞬間、私は彼をすごいと思った。

明らかに、私と違う観念でものをとらえていると思ったのだ。

また、ある特定の物事に関して、とても真摯であろうとしていた事や自分をさらけ出し、投げ出せる真っ直ぐさ。

それらの事は、友人として付き合っていて、とても気持ちがよかった。

だから私の中で、彼は間違いなく「いい男」である。

でも、何故だろう。

私と電話をする時は、彼は必ず「おネェ言葉」で話す。

「ハァ~イ♪お元気?ア・タ・シ」

もう一度言う。

彼は、もうすぐ30歳に手が届く、とびきりの「いい男」だ。

_ 終了しました! 2002-03-27

昨年の春から参加してきた「福岡市手話奉仕員養成講座」が、本日閉講式を迎えました。

閉講式で、名前を呼ばれるまでは「本当に終了出来るのか?」とかなりの不安を抱いてましたが、無事に名前を呼ばれ、終了証を手にする事が出来ました。

ありがとうございます!先生方!

ありがとうございます!手話通訳の方々!

お疲れ様!一緒に勉強してきた仲間達!

お疲れ様!私!

今日から、また初心にかえり、自分の選んだ道を突き進んで行きたいと思います。

実は、閉講式前の友人とお茶を飲んでいる時に、こんな事を言われました。

『自分の思った道から、外れた事がないでしょう?』

そんな事はないのです。

常に自分を一番信じて生きていけるほど、私は強くはない。

正しくもない。

正直でもない。

たくさんの失敗と戸惑いと迷いとを抱えて、生きています。

躓き、転ぶ事だって多くあったし、目標は遠く彼方に霞んで、視界から消えそうになる事だってあります。

でも私の人生の道を描いていけるのは、私だけで、誰かにお願いする事は出来ないのです。

多くの人に支えられ、逆らいがたい何かに導かれはするけれど、それでも私は「私」でいる事しか出来ない。

経験を自分の糧として生かしていければいいというのが、失敗の壁にガンガンと頭をぶつけて生きている私の正直な気持ちです。

だから、それは思い違いというものですよ、君。

そう見せてしまうような、詐欺師的な要素が私にあることは認めざる負えないですが。

何にせよ、春。

新しい気持ちで、迎えたいですね。

なお最後になりましたが、無料でこういった勉強の場を提供してくださった行政の方々のご理解とご協力に感謝いたしますと共に、今後身に付けた知識をさらに高めながら、本当のバリアフリー社会の実現の為の社会参加を積極的に行なっていく事をここに表明いたします。

_ 寝耳にミミズ 2002-03-28

とんでもない話が舞い込んできました。

まだ決定ではないらしいのですけれど。

本決まりになって、再度正式にお話がありましたら、受けたいと思っております。

出来るかどうかより、やりたいかどうかだと思っていますので。

・・・って簡単に言うけど、本当に大変な話です。

私にとって。

よって、「寝耳に水」よりもびっくりな「寝耳にミミズ」

_ 大人と子ども 2002-03-29

今週で終わってしまったのだけれど、朝日新聞の月曜日に掲載されていた漫画家・石坂啓のエッセイが気に入っていた。

ご自身の子どもとの係わりを書いてあるのだ。

最終回は、「子の『見ごろ』は短くて」というタイトルが入っていた。

大人はみな、自分を一人前だと思っていて、子どもを半人前だと思っている。

でも、大人がハイハイをしている赤ちゃんと同じ動きをすれば、きっと負けてしまう。

歳相応の完成度があるのだ。

大人自身だって、成長の過程にいるのだ。

だから、年齢に見合わない完成度を求めて、今の子どもの魅力を見落としてはもったいない。

そういう、話であった。

さて、我が身をここで振り返る。

私は、一体どこに属するのだろう。

私は親は持っているが、子は持たない。

でもおそらく、私が「自分は子どもである」と主張しても、社会は認めてくれないだろう。

では「大人である」と言えるかというと、また違う気がするのである。

子を持てば「大人」かというと、それもまた違うと思う。

まぁ、とどのつまり、どちらでもないのであろう。

ただ、「大人になりきれない子ども」よりも「子どもに戻れない大人」の方がいいと思うようになった分ぐらいは、大人に近づいているのかもしれない。

トトロで言うと、私はもう「まっくろくろすけ」を見ることが出来ない方に属してしまっているという事実は否定できないのだ。

それでも、「子ども」の部分を残しながら「大人」になっていきたいものだと思う。

最終回のエッセイの最後にこんなことが書いてあった。

拾ってきた石をポケットから出して、「はい、ママへのプレゼント」。

一体どういう発想でママが喜ぶと思ったかは分からないが、喜ぶしかない。

「わー、ありがとう」

「大人」だなぁ、と思う。

私は「喜んだフリ」も出来ないだろう。

でももちろん、叱る事も出来ない。

「さて、私ならどうするだろう」などと、今も考えている。

_ 伝達すること。 2002-03-30

手話奉仕員養成講座の打ち上げがありました。

料理も美味しかったし、お酒も美味しかったし、大変楽しかったです。

ただ意外な事に、実は自分がこの講座の中で、年下の方であった事実が発覚しまして、ちょっとびっくりだったりしました。

みんな年齢不詳なんですもの~><

打ち上げに行く前に、先生と明日のお花見の買い物に行きました。

私がいなくても、別にそう困るわけではないとは思うんですけど、レジで領収書を頂くときとかはやっぱり通訳がいた方が便利なのかな~と思ったりしました。

(とは言っても、私も『領収書』って単語を知らなくって、「え?何?」とか普通に言ってたんですけどね)

ある意味において「不幸」ではないけど「不便」なんだろうな、と思ったりします。

でも、当然のことなんですけど、ろうあ者の中でも個性がある。

人見知りをする人とそうでない人と。

いろいろな「不便」を克服できるかどうかって、その辺りにも左右されるかもしれないなぁと思ったりして。

伝えようという意思があれば、大抵のことは「言葉」が分かろうと分かるまいと伝わるんですよね。

ただ、込み入った話になると、なかなか難しかったりもしますが。

基本は「私はあなたの事を理解したい」

この一言に尽きるのかもしれません。

_ お花見で悩んだりする 2002-03-31

私の手話のレベルを英語のレベルで言うと、中学校の一年生ぐらいのものです。

当然、大学生のレベルや大学院生のレベルの方から見れば、まだまだで、見ていて危なっかしい気がするのかもしれません。

ですけど、中学一年生のレベルでも、海外に行くことは出来ます。

住んで、生活する事も出来ます。

分からない事はその都度習えばいいと、私は思っています。

幸いに、私は先生と個人的に話す機会に恵まれてきました。

ですから、通訳者がいなくても、一対一でろうあ者と話すことに抵抗はありません。

初めて会う方なら、きちんと「私は勉強を始めて一年ですから、ゆっくり表現してもらえますか」とお願いするようにしています。

そうすれば、大して問題はありません。

話の内容の全てを訳せなくても、知っている単語を拾い上げて、大筋をつかむ事が出来れば会話は成立するからです。

今日は、手話の会のお花見でした。

初めて会う通訳の方が、親切で、ずーっと通訳してくださるんです。

お心遣いはありがたいんですが、それじゃ勉強にならない。

私と相手のろうあ者の信頼関係が確立できない。

正直言って、ちょっと参ってしまいました。

お気持ちは本当にありがたいし、手助けがなくてもわかると断言出来るわけじゃない。

そんなに過信はしていません。

でも、分かったフリはしていないつもりです。

意味をきちんと取る必要のある単語は、話を中断してでも「ごめん、今の手話表現の意味は何?」と聞くようにしています。

だから、あたたかく見守ってほしいなぁ・・・と思ったりして。

それって、生意気なんでしょうか?

あと、なんか話しに積極的に参加しろと強要されると、嫌な気分になります。

自然にしてればいいじゃないかと思うんですよね。

つくづく、私には団体行動が向かないな~と思ったりして。

こんなんで今年度の活動は大丈夫なんだろうか、などと手話自体以外で妙に頭を抱えてしまった、お花見でした。