2005年3月 - へびあし。


_ 思っていたのですが 2005-03-01

すごいよねー、アンパンマンって。

アンパンマンの歌って言えば、猫も杓子も「愛と勇気だけが友達なんでしょ?」なんて言うけど、それはまだまだアンパンマンの世界がわかってないと思うわけですよ。

アンパンマンの誕生秘話があって、やなせたかし氏はTVでこうおっしゃっています。

「悪いやつを助ける「正義の味方」ですけれど、僕は一番つらいのは「飢え」だと思うんです。

戦時中、食べられないというのは、実につらかった。だから、正義の味方だったら、まずはひもじい人を助けなければいけないと思ったわけ。

だけど、世界中にいろいろなヒーローがいるけれど、ひもじい人を助けるヒーローっていません。

だから最初は、「アンパンみたいな顔をしたおじさんが、アンパンを持って飛んでいく」という話でした。

でも、アンパン自身が飛んでいくほうがおもしろいと思って、アンパンマンになりました。

ところが、飢えた人を助けようと国境を越えたとたん、「未確認飛行物体だ」と打ち落とされてしまいました。

正しいことをしようと思っても、勝手に国境を越えると、打ち落とされてしまうのです。そういう話でした。」

また、

「正義を行おうとする時には、本人が傷つくことなしに助けることはできません。覚悟が必要です。

例えば、線路に落ちた人を助けようと線路に飛び降りれば、自分も死ぬかもしれない。実際に亡くなった人もいますよね。

なぜ死んだ?正しいことをしたからです。何もしないで傍観していれば、死なずにすんだ。正しいことをするには覚悟が必要。

アンパンマンは自分の顔をちぎって食べさせる。自己犠牲をして助けているわけです。しかも、顔をちぎったらすごく弱くなる。

われわれも弱いですよ。弱いけれど、どうしてもやらなければならないことがある。」

ともおっしゃっています。

やなせ氏作詞のアンパンマンマーチもぐっとくるものです。

生きるよろこびたとえ 胸の傷がいたんでも

「なんのために 生まれてなにをして 生きるのか

こたえられないなんてそんなのは いやだ!」

今を生きる ことで熱い こころ 燃える

だから 君は いくんだほほえんで

そうだ うれしいんだ生きる 

よろこびたとえ 胸の傷がいたんでも

ああ アンパンマンやさしい 君は

いけ! みんなの夢 まもるため

「なにが君の しあわせなにをして よろこぶ

わからないまま おわるそんなのは いやだ!」

忘れないで 夢をこぼさないで 涙

だから 君は とぶんだどこまでも

そうだ おそれないでみんなのために

愛と 勇気だけが ともだちさ

ああ アンパンマンやさしい 君は

いけ! みんなの夢 まもるため

時は はやく すぎる光る 星は 消える

だから 君は いくんだほほえんで

そうだ うれしいんだ

生きる よろこびたとえ どんな敵が あいてでも

ああ アンパンマンやさしい 君は

いけ! みんなの夢 まもるため          

ぐっとこない?

これを三歳とかの子が謳っていると思うと、ぞっとします。

もちろん分かってないのですよ、意味なんて。

でも、自分に問われているような気分になりませんか?

万が一に自分が子を持つような事があって、この歌を歌われても、ぞっとしない生き方を考えたいと思います。

_ 自失呆然 2005-03-02

QちゃんのPCが突然に立ち上がらなくなってしまいました。

かわいそうなぐらいのQちゃんの呆然とした姿。

いつも本当にクールに、何事も何でもないようにこなすQちゃんですが、これは予期しなかった事だけに、ショックが大きいようです。

そう言えば、彼の友人の数名から「彼は予期しない事に弱い」と聞いたような。

ブツブツと言っては、なんだかんだとしていましたが、パーツを買ってきても復帰しないようです。

とりあえず、ネットで新しい機械を発注。一週間待ちとなりました。

これから一週間、どうやって過ごすのだろう。

少しでも早く、新しい機械が来るのを祈ってます。

そして、データが消えていませんように。

3/2お弁当

献立

・ハンバーグ

・アンパンマンポテト

・巻き卵

・焼き魚

・プチトマト

・・・・・名前が出てこない。

_ ひな祭り 2005-03-03

3/3お弁当

献立

・鶏焼き

・かまぼこ

・ねぎいり卵

・小魚

・プチトマト

・野菜炒め

・油揚げの味噌汁

ひな祭りだったので、桜餅とヨモギもちを食べた。

Qちゃんのリクエスト。

3/3おやつ

_ いよいよです 2005-03-04

明日、車を取りに行きます。

嬉しいな、と思っていたら、明日は雪とか。

でも、絶対取りに行くからね!!

明日はその車で、実家に行く予定。

慌てて、実家に渡す結婚式の写真の整理をしたりして過ごしました。

寒い。

3/4お弁当

献立

・手羽のコテコテ煮

・ピーマンシンプル炒め

・いり卵

・焼き鮭

・ベビーハム

・コロッケ

・油揚げの味噌汁

_ 赤い車! 2005-03-05

やっと車を受け取りました!!

あーん、か、かわいいよぉ。

マニュアルなので、まだうまく乗れていない気もしていますが、今日は試し運転とばかりに実家に行って、実家近郊のホームセンターを見たり。

家の近所は、どうも日用品が高価で困ると思っていたのですが、その悩みも解消されそう。

Qちゃんは、都会っ子なので、ホームセンターのでかさに驚いてました。

とりあえず、ちょっとだけ私のPCデスクを見て、検討する事に。

車があるというだけで、驚くほど行動範囲が広がります。

これは今まで過ごした事のない休日の過ごし方なので、また週末の楽しみが増えます。

_ 購入。 2005-03-06

車を買った事により、購入したもの。

・シートカバー

・消臭剤(芳香剤は二人とも苦手)

・PCデスク

また、片道三十分以上の距離を走りました。

全然、苦になりません。

楽しいなぁ、運転。

_ 友達 2005-03-07

Qちゃんの楽しみはPCに触ったり、頬擦りしたり、話しかけたりする事なので、仕事から帰ってからも一人で遊んでいます。

PCが壊れたので「これはチャンス!」と思っていたにも関わらず、そうなったら私のPCを使うというだけ。

状況は変わらず。

というか、私のおもちゃまで取り上げられて、状況は悪化?

あんまり、一人でばかり遊ぶので、「私はQちゃんしか友達がいないんだから、遊んでよ!」というと(毎日口を聞いたりする相手という意味の「友達」)、Qちゃんはニヤリと笑って「アンパンマンより、友達が少ない」と呟き、勝ち誇ったように「その辺のカルチャーセンターのヨガ教室とかに通っていいよ」と得意げに言い放った。

どうやら、明日の弁当が人質だと分かっていないようだ。

思い知らせる必要あり?

3/7お弁当

献立

・野菜炒め

・アサリの佃煮

・ねぎ入り卵

・プチトマト

・肉まきアスパラ

・豆腐の味噌汁

_ 気がつきました 2005-03-08

スーツを着ていると、背が高いのであまり気になりませんが、実は。

Qちゃん

誰の事?なんて聞かないでくださいよ。

困っちゃいますから。

3/8お弁当

献立

・ロールじゃないキャベツ

・のりキムチ巻

・イカ煮

・カップ卵

・プチトマト

・ねぎの味噌汁

_ 本物 2005-03-11

私が始めてインターネットを始めた時からのネット友達のちこさんがうちに遊びに来てくれた。

よく考えてみたら、これで三度目。

しかも二年ぶり。

もっとよく考えたら、二人だけで会うっていうのは初めてだと気付いた。

いつも旦那様とお子さんも一緒だったので。

久しぶりだから戸惑うかな、と思ったけれど、全然そんな事はなく(私の方は)たくさんの時間をずっと話して過ごした。

ゆっくり話すのは初めてで、メールだけでは分からない事もあるし、毎日顔を合わせない相手だから言える事だってあると思っていたので、たくさん話せて本当によかった。

しかも、主婦としては大先輩だしね。

緊張しましたよ、お招きするのは。

お昼は、私の野菜だらけの食事。

この季節、野菜がおいしいので、ついいつもの調子で。

あまりお待たせしないで出来るものってことばかり考えてました。

私の友達は、みな放置しておいても勝手に遊んでくれるので、時間のかかるものも作ったりするのですが。

次回は手の込んだものにします。懲りずに来てくれるといいなぁ。

夜は、Qちゃんの仕事の関係で、コンサートに。

内容については多くは語るまい。

ただ、やっぱり「生演奏」というものはいいなぁと痛感。

贅沢は敵だけれど、もっと心に良いものを与えてあげないと、貧相な人間になってしまうと思う。

そういう贅沢か栄養か、というところの見極めがいつも難しい。

専業主婦になって「節約!」と心に固く誓っているけれど、本は惜しみなく与えてしまう。

両親が幼い頃から、本だけは惜しみなく与えてくれたので、我慢が出来ないのだ。

ただ、これに関していえば、これは心の栄養と思っているので、やっぱり贅沢だとは思わないでいる。

でも本だけでは感じられない事も多くあって、それをどうやって判断するか。

とりあえず、好むか好まないかはわからないが「世界一」とか「日本一」などと呼ばれている「一流」に触れてみるべきか。

歳の若い時は、偽物でもよかったが、歳を重ねるにつれ、身につけるものも教養も知識も「本物」でなければ恥ずかしいなぁと感じるようになってきた。

知識は必要性を感じてからしか身につかないので、それでよかったのかもしれない。

今からゆっくりと自分の知識を深めていこう。

死ぬまで勉強だし、何かを始める時に遅すぎるという事はないのだから。

帰り道、Qちゃんの会社の人と一緒だった。

「会社で突然に屈伸をしたりするのでびっくりする」と言われた。

会社ではあまり変な事をしないように言わなければ。

しかも人よりでかいので目立つと自覚してもらわねば。

会社の人はどの人もいい人なので、安心した。

みんな同じ匂いがした。そこにいるとQちゃんも同じ匂いだった。

私とは違う、と思った。

別にそれは悪いことではない。同じ会社に勤めるわけではないのだから。

距離を感じたけれど、久しぶりに夫である人物を「よその男」と感じたのでそれはそれで貴重な体験だった。

夜は博多で飲んだ。

やっぱり何を食べてもおいしい。

3/11お弁当

献立

・コーンスープ

・かまぼこ

・肉味噌入り卵

・アンパンマンポテト

・温野菜(ゆずポン酢味)

_ お財布 2005-03-12

結婚してから、お財布がひとつになりました。

まぁ、これはそうおかしな事ではないわけですが。

結婚を期に、苗字が変わり、新しい印鑑が必要になったので、Qちゃんが印鑑をプレゼントしてくれる事になりました。

今日印鑑が届いたのですが、家のお財布からお金が出て行ったので、微妙に「何か違う。。」と感じてしまいました。

夫婦になるとこういうところが、今までと異なってくるのですね。

印鑑はとても素敵で、細めの字が「女性っぽい感じ」でとても気に入っています。

しかし、全ての名義を変える作業にただならぬ面倒くささを感じます。

Qちゃんの苗字を変えてもらえばよかった(本気)

その後はドライブをして、とても感じのいい雑貨屋へ。

気持ちよい接客をされると、本当に満足します。

どうして、最近はそういう店が少ないのかな、と思った時に、やっぱり「そういう体験をしていない」というのと「仕事の本筋が理解できていない」「会社の方針がそこにない」という事なのでしょう。

ただ、不況になって言われている事は、これからは精神的なものが社会で流行していくっていう事です。

(歴史的な流れから言って、という事らしいですが)

宗教とか占いとか。

その中で、精神的な満足感を与えるというのは企業の中でも課題になるのではないかと思うのです。

それはひいては「社員満足度」でもあるのではないでしょうか。

私自身は何度かの転職をして、そこでの経験は何一つとして無駄ではないと思っているので、後悔はしていませんが、離職率の高い会社はやはりサービスの向上もないと思うのです。

そうするとやりがいと評価の社員満足度がお客様満足度に繋がっていくのでは?と感じるので、それを改善できない企業が減っていくか、それを受容してサービスのない社会になっていくのか、興味のあるところです。

サービスのない社会は、きっとお金を使うことが嫌に感じたり、それなら少しでも安いところへと人が、お金が、逃げて行ったりして、本当に悲惨なものとなる事でしょう。

ずっと、貧しい国となるのでしょうね。

心の中まで。

私は出来るだけ、受けたサービスには金銭でお返しして、いいサービスが残るように努めたいと思います。

同時に、悪いサービスに使っていくお金はどんどん減らしていこうと思います。

心が豊かであるというのは、本当に難しい事です。

_ そらまめ会 2005-03-13

学生時代にずっと、子どもたちと関わるボランティアをやっていた。

県やら市やらから、お金を巻き上げて運営費を得て行っているものに参加していた。

三年ほど。

楽しかったし、これがなかったら、私の学生時代はもっと味気ないものになっていたかもしれないと思う。

色々な経験を積んだ。良い意味にも悪い意味にも。

ずっと日常生活のようにして、毎日三年間関わってきたので、抜ける時はとても辛かった。

ただ、もう私はここでやれる事は十分にやったと感じていたし、これ以上いても、それはただの馴れ合いにしかならないのではないかと思っていたのだ。

その判断が間違っていなかった事を今、確信している。

なぜならば、三年もやってきて、今でも付き合いのある人なんて、ほんの一握りなのだ。

つまりそれ以外の人とは、馴れ合いで付き合った三年だったと言える。残念だが、卒業できない人と付き合えない事も事実だったので、仕方ないと思う。

それでも、これらの経験は私に色々な刺激を与えてくれた。

そして、これをやめようと決心した時、私は「新しいものを自分で作りたい」と思っていた。

規模なんて小さなものでいい。

企画をしたり、会議をしたりといった経験のない大学生たちに参加してもらい、「企画して作る楽しみ」を味わってもらい、子どもたちには今はなくなってしまった「子ども会」を体験してもらうような事が出来ないか、と思うようになっていた。

やる以上は、全ての責任は私に掛かってくる。

それでもやれるだろうか、と何度も思った。最悪の事態もシュミレーションした。

それでもやりたいと思った。出来るというのはおこがましかった。

一番に考えたのは、一緒に責任を負ってくれる代表者が欲しい、という事だった。

心細かったのではなく、私が主催になったからといって私の意見が全て通ってしまうという事態を避けたかった。

誰の意見も平等に取り入れ、皆で検討するために、私を止めてくれる人が必要だった。

そう思った瞬間、一人の人が思い浮かんだ。この人しかいないと思った。

その人は説得に説得をして、参加してくれる事になった。

その時に彼が、事故の事を一番に考えてくれているのがわかって、この人がいいと思ったのは間違いではなかったと思っていた。

その後、少しずつ、少しずつ、メンバーを集めていった。

大した数ではなかったけれど、それが大事な事だと思った。何かがあった時に自分が統率出来る人数である事も重要な要素だったのだ。

集まっていく中で、まず最初に決めたのは、会の名前だった。

親しみやすく、忘れにくく、私たちの趣旨が伝わるものは何だろう。

「そらまめ」というのが会の名前になったのは、何回目の会合だったろうか。

空豆とも表記するという事(豆果が空に向かってつくという事から)を知り、音もかわいいし、何より「空に向かっている」というのは、私たちにとって意味があるように思ったからだ。

ユニークでかわいい名前になったと思う。

私の意図としては、この名前会議の中でスタッフの性格を見て、今後の方針を立てるという狙いと会に対する愛着や自分たちで一から作っていくという実感を持ってもらうという意図があった。

そういうものを経て、会は無事にサマーキャンプを無事故で終了した。

クールな顔をしてやってきた「イマドキ」の大学生だった子達が、感動で泣いているのは「シメシメ」という気分だった。

その後も簡単なイベントを一度行った。

いつも本当に楽しかった。

この度、福岡に帰ってきたという事もあって、久しぶりにそのメンバーと顔を合わせた。

全員ではなかったけれど、みんな相変わらずで、とても懐かしかった。

成長を見たな、と思ったのは、

「当時はただ付いて行けばよかったけど、今、色々な事が分かるようになったら、自分が先頭にたってイベントをするなんてことは考えられない」という声が上がったことだ。

怖さ、というものは、その時々で感じ方が違う。

当時もその大変さや怖さは分かってはいたと思うが、今のこの瞬間とは大きく異なるものだろう。

それが分かるから、思い出を大事にしてくれてると思うので、とても嬉しかった。

今、私はジッと冬眠している。

それ自体は決して悪いことではないけれど、いつかは冬が明ける。

その時に、私は胸を張って、どこかへ出て行けるだろうか。

ふと、そう不安になることがある。

きっとそんな時は、この時の思い出が私を支えてくれるだろう。

今はそう信じている。

_ さてさて。 2005-03-14

「前向きで、非常に真面目な方だと話し方で伝わりますね」とある場面で言われた。

褒め言葉で言ってもらったのかもしれない。

それでも、心のどこかで「面白みがないって事?」と聞き返してしまったり。

素直じゃないなーって思う。

たまに、他人から見た自分と自分が思っている自分に大きな開きがあって、戸惑う事がある。

そういう時の焦燥感は、例えようもないものだ。

そう評価してもらっているなら、そんな自分にならなければ。

思って生きてきた。

いつもいつも、穴埋めする生き方をしてきた。

だから、今、とても自由な開放された気分を味わう事がある。

家にいれば、誰も私を評価しない。

良くも悪くも。

後向きだろうか。

でも、そういう事に疲れてしまったのだ。

たった、29年ぽっちで。

さて、これからをどう生きる?

_ 普通の一日。 2005-03-15

朝一に、確定申告に行ってきた。

遅すぎ。

Qちゃんが書類を作ってくれてたので、ただ出してくるだけでよかったので助かった。

防滴ラジオが届いた。

昔の同僚から。

結婚祝いだそうだ。

ありがとう。

気の抜けた風に過ごした一日だった。

3/15お弁当

献立

・野菜炒め

・焼き鮭

・ブロッコリー

・ハンバーグ

・入り卵

・ウインナー

・プチトマト

・わかめ入り澄まし汁

・アンパンマンふりかけ野菜味

_ 沈黙。 2005-03-16

先日、Qちゃんの職場にちょっとした関連のある人とお話したら、「すごく競争率が高い会社ですよね」と言われて、感心された。

それで妻として「最近は、仕事で必要になると感じて、早朝から英会話の勉強なんぞもしておりますのよ、おほほ」みたいなコメントをしてみたら、「本当に勉強家なのですね!」とこれまたすごく感心された。

Qちゃんが勉強を始めて一ヶ月経つけど、

「英語、リスニング、にゅーもーん」と外国人が話す日本語でタイトルコールを言えるようにしかなっていないという事は黙っておいた。

しかも、つまりそれは日本語を話してるだけだし。

いいの。

勉強家の妻って感じを味わえたし。

3/16お弁当

献立

・チーズチキンピカタ

・ウインナー

・梅入りちくわ

・ブロッコリー

・ミルク入り卵

・もやしのナルムカレー風味

・豆腐の味噌汁

_ 「世界の、」 2005-03-17

先日のコンサートで、本当に「本物」に触れなければ、と思っていたQちゃんと私は、早速アマゾンで小沢指揮のDVDを購入。

本日届きました!

NEUJAHRSKONZERT(NEW YEAR‘S CONCERT2002)

感想は、すごい、の一言に尽きるって感じですわ。

指揮者ってどれほどのもんよ?とか思っていたりもしたのですが、本当に謝らなければ。

指の先からね、音が聞こえてきそうになるのです。

体中から音がしているような気がする。

音楽が好きで、音楽からも愛されているのでしょう。

あの、ちょっとすれば胡散臭く見えても仕方ないような小澤征爾の姿が、あの舞台にいて音を導いているというだけで、キュートでそしてどこか色っぽく見えたりもしました。

もちろん、ウィーン・フィルもすごいのでしょう。

それは、私でも分かる。でも、指揮者もこんなにすごいと思うことがあるなんて思わなかった。

Qちゃんと聞き入っていたのですが、やがて猛烈に眠くなり、後半は後日となりましたが。

ただし、これはクラシックだから眠くなるという事ではなく、純粋に体調不良です。

午前中も今日はQちゃんの許可を得て、爆睡していたので。

本でも、音楽でも、やはり本当に努力をしていて、その身をその世界にささげている人の作り出すものは、何某かの形で人の心を揺さぶるのだな、と感じました。

はて、私にはそういうものがあるだろうか。

人の心を揺さぶるような何かが。

ずっとひとつしか大切に出来ないんだと思っていたのだけれど、この頃は「愛というものは際限のないものなのだな」と感じている私なので、これから恋をするかもしれないし(男女間の恋愛、などと狭い範囲ではなく)、何かを極めて誰かの心を揺さぶれるかもしれません。

その感覚は、結婚して変わったものですが。

一つだけいえるとするならば、すでに私はある世界にいつだってこの身を捧げる覚悟は持っているという事。

そして、今までそうしなかったのは、「両立はない」という狭い観念に囚われて生きていたので、見えないふりをしてきたという事。

家にこもって、守られて生きている毎日の中でその環境に不安を感じたり戸惑ったりはするものの、視野は狭くなっているのではなく、気持ちの穏やかさと共に緩やかに大きく広がっていっている事を感じます。

「家庭」を持てて、本当に良かった。

何かに心が触れることで、大きくなる自分の気持ちや感性を大事にしよう。

そう、思います。

3/17お弁当

・のり肉ミンチ

・厚揚げグラタン

・コロッケ

・ねぎ入り卵

・チーズ入りちくわ

・プチトマト

・鶏ミンチ入りお吸い物

_ 長い道のりの後 2005-03-18

今推し進めている事が随分と長い道のりだった割に、大した事ないのが判明。

愕然とする。

すっごい待たされたプレゼントが、開けてみると空だった、みたいな。

前日に冗談でこんな事にはならないよね、と言っていた事が現実になった。

予言か?

妥協というのをここ最近の人生で学んでいる私ではあるが、どう考えても納得がいかず、Qちゃんも同意見だったので、この件はなかったものとして、すっぱり諦めた事にした。

人生とは無駄の積み重ねである。

学ぶところはなかったわけではないはずなので、もう一度思い返して、学んだ事は見失わない事にしようと思う。

まぁ、最後に一言いうなら「馬鹿も休み休み言え」

それ以外は概ね、平穏な一日。

髪をピンクブラウンにした。

結婚して初めての法事での帰省の前に。

いい度胸だ、嫁。

Qちゃん曰く、ちょっと頭が悪そうに見えていい、との事。

よかった。

あと、法事だから、ネイルアートをした。

花とか散したり。

やる気あるのか、嫁。

会った事もないおじいだが、やっぱり綺麗にしている孫嫁を見る方がいいだろうという、嫁らしい心遣い。

じーん。

そういうわけで、明日から一泊で関西入り。

朝から法事で、夜は関西のQちゃん友人らと結婚披露会。

さて、どうなる事やら。

3/18お弁当

献立

・豆腐の味噌汁

・新じゃがの煮物

・ハンバーグ

・鳥のから揚げ

・肉味噌入り卵

・梅入りちくわ

_ 関西へ 2005-03-19

結婚して、初めて嫁として関西入り。

昨年の一月、うちのおじいちゃん達が亡くなる一週間ほど前に亡くなったQちゃんのおじいの墓参りへ。

朝、五時に起きて、七時の電車で関西へ。

どうしてもっとゆっくり行けないんだろう。私たちの旅はいつでも追われるように始まる。

Qちゃんは前日の泡盛が効いていて、二日酔い気味。

私は前日の自棄酒(少量)が適度に体を休めたのか絶好調。

駅弁を新幹線の中でガツガツ食べ、ぐうぐう寝ました。

新神戸に来るのは、11月のイベント以来。

ダウン症フォーラムが懐かしいですよ。もう一度やりたいと思うかどうかは別として。

新神戸から三宮に移動して、再度山へ。

「ふたたびさん」ってこんな字なんですね。ビックリしました。

おじいに墓参りをして(ピンクブラウンの頭、花が舞い散るネイルアートで)、ご親戚の方々と初対面。

その間にまぁ、色々と驚く事があったり、まぁ、ごにょごにょ。。。。(自主規制)

お昼は、有名(らしい)フランス料理店へ。

超前衛的な、料理を頂きました。味は、ごにょごにょ。。。(自主規制)

お義父さんがご兄弟の間で「たあ坊」とか呼ばれていて、ちょっとショックを受けてみたりしましたが(「え、それって誰の事よ!?」と)でも、よく考えたら、うちの母も自分の弟をそんな感じの昔の愛称で呼んでいたので、親にも幼い頃があるって事よね、と思ったりしました。

そんなこんなで、コメントしにくい食事も終って、解散。

合コンで「消える」感じで(←古いっ!)、Qちゃんと脱出。ご馳走様でした。

夜は、Qちゃんのお友達に結婚披露会をしてもらうようになっていたので、一旦ホテルへ着替えに。

ホテルに向かう道のりで、ばったりその夜会う人たちに出会ったのですが、その瞬間の私たちは、無言で黙々と歩き、冷めた二人って感じをかもし出しながら歩いていたので、さぞや仲の悪そうな二人と思われたことだろうと思ってみたり。

ホテルで着替え、会場になる元町へ。

結婚にしてもそうですが、転職も全て思いつきのQちゃん(っぽく見える)なので、それに合わせて準備してくれた人たちは大変だったろうと思います。時間も内容も。

しかも「こうして欲しい!!」って要望がないだけに「どうしてやったら、喜ぶんだよ!」って思われていたに違いないと幹事をしてくれた方から電話が掛かってくる度に、傍で思ってました。

沖縄でやったものについては、私は特別なイベント性はいらないけど、みんなの顔が見え、みんなで話が出来るように配慮してくれる事を望む、とか「私にとっては一生の思い出になる場だからね」とプレッシャーをかけたりしたものですが(それもどうかと思うけど)、Qちゃんって本当に伝えるって事がうまくないからなーと思いました。

Qちゃんは、ただ、みんなで飲みたかったのです。グループ別に分かれてではなくて、自分の大事な場面場面で一緒に過ごしてきた人たちがお互いに交流を持って、自分をきっかけに話をしてくれて、色々な会話の花が咲けばいい、みんなが気持ちよく飲んでくれればいいと思っていたのです。

多分。

私は、それがちゃんと伝わっているかしら、と隣でヤキモキしていたのですが、さすが幼友達だなーと思いました。

彼が思っていた形の会になりました。

私は本当に流浪の民で、幼馴染とかいないから(まったくではないけれど)何だか羨ましかったりもしました。

小学校も中学校も入学したところと卒業したところが違うからなー。

それでも、私の数少ない幼友達のS子が沖縄だけでなく、関西にも顔を出してくれて、本当にあなたはお酒のあるところには必ずいるいいお友達だわ。

お陰で人見知りの私は影を潜め、髪の色同様、頭の悪いトークを展開しまくってました。

あと、すっごい若い殿方に激しくセクハラしたり。

もう、何度も何度も。

一番聞かれた質問は、「何故こいつと結婚を?」というのが多かったのですが、何故でしょう。

その場は、思いつくままに望まれるような回答をしていたように思いますが、今考えるなら、何だろう。

「許容範囲が大きく、私にはない世界を持っていて、そして強く優しいから」でしょうかね。

強くも、優しくも、一般的なイメージの意味ではないのだけれど。

ここは私の友人が贈ってくれた言葉を引用する方がよさそう。

「まず、彼女より秀でたものを必ず持って下さい。彼女は仕事でも私生活でも、自分より優れた能力を持つ人を求めています。(中略)飯の炊き方でも、暗算のスピードでも何でも良いので彼女に負けないものを大事にしてください。逆にやってはいけない事は、『自分の価値を低く見せる事、謙遜する事です』泣き言も相談も彼女はしっかりと受け止めてくれますが、常に『堂々と』泣き言や相談をして下さい。そして彼女の泣き言も相談も『堂々と』受け止めて下さい。」

これは非常に的を射た言葉で、これらの事が現段階でクリアされており、今後もクリアされるだろうと考えられたから、私はこの人と結婚する事を決めたのだと思います。

自分の価値を(時折、落ち込んでいる時以外に)落として生きている人は好きになれないし、尊敬できません。

尊敬できない人とは一緒には暮らせないでしょう。だって、日常生活って気遣いあって過ごすものですから。

まぁ、これは私のケースでカップルの数だけ、生活は多様でしょうが。

そんなこんなで、様々な初対面の方々と話し、お酒を飲み、逆流性食道炎のくせにたらふく食べ、とても素敵な夜を過ごしました。

本当に楽しかったです。

気になるのは、もてていたというS子の事。

本当にもてていたのか?

もてていたよ、と耳打ちしてくれた人には悪いけど、酒の席では大抵モテルのですよ、S子は。

問題は、その後だよ、その後!と密やかに考えています。夫婦で。

_ とりあえず。 2005-03-20

地震の被害はなし。

花瓶がひとつ落ちてただけ。

その後の余震も感じていない。

鈍いのか。

各方面から、連絡をくれたり心配をしてくれた人たち、本当にありがとう。

取り急ぎ、ご連絡まで。

_ ご心配をお掛けしております 2005-03-21

休日。

地震の情報が、ひっきりなしにラジオから流れています。

でも、被害が少なかったせいで(お陰で?)何だか実感が湧きません。

ただ、東京にいる時に新潟の地震があり、東京もとても揺れたので、それ以上なんて考えるだけで、ぞっとします。

体験された方の中には、福岡でしか生活した事のない方もいらしゃるでしょうから、そういう方は本当に今までの人生の中で最大の地震だったでしょう。

大きな被害が出ている所の早い復興をお祈りしております。

どうか、これ以上の被害がありませんように。

Qちゃんは朝から仕事。

舌打ち、叫び声を上げながら、エクセルと奮闘中。

会社でも、あんなにうるさいのだろうか、心配。

Qちゃんの仕事が片付いて、ちょっとドライブ。

買い物がてら、うろうろする。だいぶ、車と仲良くなったと思う。

帰ってきて、晩御飯が出来る頃には、随分と遅い時間になっていた。

今日は、ケンタロウさんのレシピ。

鶏モモ肉のおかずサラダ。

数々のレシピを見ているが、最近はレシピを見ても味の想像がつかないものが多い。

そして、そういうものを作ると、どんなに正確に作ってもおいしかった例がない。レシピとはそういうものなのか?

そんな中、ケンタロウさんのレシピだけは、別。

作りながら、味の想像もつくし、出来上がりもよい。

出来上がりが想像できるので、使う食材もあるものを優先的に使って作る。

今日は、リーフレタス、水菜を代用品にして作ったけど、とてもおいしかった。見た目も綺麗。

あと、旅行で乱れた食生活を改善すべく、野菜たっぷりのおかずという事でこれ。

<材料>私が使ったもの

・リーフレタス

・水菜

・鶏モモ肉

・豆腐(水切りしたもの)

・ゆで卵

<ドレッシング>

・しょうゆ 大3

・みりん  大3

・しょうが

・ニンニク

・豆板醤 小1

・ごま油 大3

・酢 大2

・オイスターソース 小1

レシピ本の写真とは似ても似つかないものになった。

結局、オリジナル?

でもソースはレシピ通り(ただし、二倍の量)。

3/21晩御飯

今晩から、懐中電灯を枕元に置いて寝ます。

お風呂のお湯も溜めてます。

携帯ラジオは、カビが生えてました!がーん。

近いうちに購入します。いや、本当に、今手に入れておくべきだよな。

あと、持ち出せるか分からなくても、やっぱり持ちなれたリュックに水とラジオ、電池とタオル、保存食を少しでも入れて準備しておこうと思います。

Qちゃんは震災経験があるから、逆に「そんなものがあっても」というのですが、でも自分の身を守る準備はしておいた方が「もしも」を想定出来て、本当のトラブル時に焦らなくていいような気がします。

それから、平日に何かあった時のために、避難場所の確認をしました。これは近いうちに二人で見に行ってみようと思います。

私が守れるものって本当に少しのものだと思います。

だからこそ、私の大切な人たちが自分の力で、ちゃんと自分を守れるようにしてほしいな、と思わずにはいられません。

_ Qちゃん懐柔大作戦! 2005-03-22

ホームベーカリーが欲しい。

もう、ずっと欲しくて、彼此10年前ぐらいから欲しいのではないだろうか。

理由。

おいしいパンが食べたいから。

とぉってもたっかーいパンを買えばおいしいのかもしれない。

でも、中に何が入っているのかわからないし、しかも「こんなにおいしいなら、この値段を出してもいい!」と思えるようなパンにまだ出会っていない。

おいしくても「え、こんなに高いの?これで?」と思う事はあっても。

それで、学生時代は自分で作っていた。

時間もそれなりにあったし、力もあった。しかも自宅の電子レンジはかなり高価なもので、パンもおいしく焼ける機能がちゃんと付いていたからだ。

でも、今は時間はあっても力が足りない気もする。

ものすごく体力を使うのだ、パンを作るって。恐ろしいぐらいの気合が必要。

でも、確かに自分で作るととってもおいしい。

焼きたてのパンなんて、もう、すっごいおいしい。

それで、「もっと簡単に食べたいよ!」と思って、ホームベーカリーの存在を知った。

それから、10年程恋焦がれているわけだ。

ここ最近、かなり熱烈にQちゃんにアタックしているが、なかなか首を縦に振らない。

何でだろう、と思って考えて分かった!

食べた事がないからだ!!!

手作りっておいしいわけ?高いパン買えばいいじゃん、どうせたまにしか食べないんだし、って事だ。

ああ!なんて不幸な事だろう!あの味を知らないなんて!

という事で、うちの頼り気ないレンジでも焼けるパンを作ってみようと思い立った。

材料は、強力粉・ドライイースト・水・牛乳・塩・砂糖・バター。たったこれだけ。

パン作り1

こねてこねて、こねてこねて。

パン作り2

発酵前↑これが40分後にはこうなる↓

パン作り3

切り分けて、ベンチタイム。

もうパンらしい姿になってきている。これをこんがりと焼く。

パン作り4

焼き上がり!

パン作り5

中もふっくらですよ~><

パン作り6

これで懐柔出来るかどうか。

まて、次号!

3/22お弁当

献立

・おかずサラダ

・鳥の炭火焼

・ポーチドエッグ

・アサリの佃煮

・里芋の味噌汁

・プチトマト

・ブロッコリー

_ 今日からいよいよ 2005-03-25

愛知万博が始まります。

色々と新しい試みもあるようで、ニュースを聞くだけでもワクワクします。

人ごみも大嫌いだし、並ぶのはもっと嫌な私ですが、それでも「行ってみたいな」と思わせるものがあります。

きっと、TVのある家庭では尚更でしょうね。

そんな中で、ずっと気になっていた事。

下記記事参照。

http://www.shikoku-np.co.jp/news/photo_win.aspx?id=20050311000388&no=1

http://www.asahi.com/politics/update/0312/001.html?2005

不思議

これに会いに行きたいと思っています。

そして、同じようなアングルで写真を撮って欲しい(切望)。

3/25お弁当

_ 何といいますか 2005-03-26

また、Qちゃんが寝込んでいます。

うちの姫ってば、本当に繊細。

労わりたいと本当は思っているのですが、何分に「土日しか遊んでもらえないのに、何で寝込むんだよー」っていう休日を楽しみにしている子どものような発想で、何だかブチブチと言ってしまいます。

いけないなーと反省。

どこか気持ちの中で落ち着かないから、体調に変化が起きているのでしょう。

でも慣れていかなければいけない事もあるし、慣れなければ自分以外を変えていかなければいけないので、体調と気持ちとちゃんと向き合って欲しいと思います。

話下手のQちゃんから、話をしてもらう事は本当に難しい事ですが、私もイライラせずにきちんと聞ける体制を作るようにしなければ。

そんな朝に、Qちゃんの友達から家に電話がありました。

東京にいる時から何度か一緒に飲んだりとかしているので、私とも十分に顔見知り。

ただ、うちは何度か悪戯電話が続いたため、名乗らずに電話に出るので、ちょっとおっかなびっくりされてしまいました。

すまん。

結婚のお祝いを頂いていたので、ちょっとしたお礼をさせていただいたのですが、それが着いたという連絡でした。

どうでもいいような話を数分して、Qちゃんと変わりました。

電話を切った後、Qちゃんに「オレの友達とは思わなかったー」と言われました。

私が和んで話していたからでしょう。

何でもないことだけれど、私はこの事が本当に嬉しかったのでした。

これだけ携帯が普及していれば、携帯に連絡すれば、間違いなく本人が出ます。

でも、自宅にかければ、当然私が出る可能性があるわけです。

それでも電話してくれるというのは「私が出てもいい」と思ってくれているからなのです。

それって、すごく嬉しい。

私は、Qちゃんの大事な友達は大事にしたいし、私の友達にもなって欲しいと思っている。

だから、いつもQちゃんに言うのは「友達の前では<嫁>とか<奥>って言わないで」という事。

Qちゃんの奥さん、と認識されるのはとても悲しい事です。私個人を見て欲しいし、それで友達になれれば、尚嬉しい。

だから、私の友達にも「Qちゃんを<旦那さん>って呼ばないでね」と言います。Qちゃんとして個別認識して、友達になって欲しいのです。

そういう事が積み重なって、誰でも気安く遊びに来てくれる家庭が作れるのではないかと思っているのです。

自分達の時間もちゃんと大切にしたいけど、大切な人たちとの時間もちゃんと持っていたい。

出来るだけ、大切な人たちがノックしやすい家庭を作りたいと思っています。

なぜならば、私は多くの友人達に支えられてきて今があるし、それを伝えて広げて、深めていけたらとても嬉しい。

心を開いてくれない人とは友達になれません。

だから自分からは出来るだけ心を閉ざさず、まず受け入れる私でありたいと思っています。

そういう意味で、本当に嬉しい電話なのでした。

ありがとう。

夕方、ちょっとだけ調子が戻ったQちゃんと買い物へ。

どうしたら、元気になってくれるのかな。

とりあえず、私は食生活でそのお手伝いをする事しか出来ません。

その状態を改善したいと思うかどうか、またその努力をしたいと思うかどうか、これはQちゃんの心次第だからです。

優しくする事はとても簡単な事だけれど、怒っているというのは、時に悲しいという事と同じ意味を含んでいると伝わればいいと思うし、伝えなければいけないな、と反省する一日でした。

_ 振り返り、気付く事 2005-03-27

成育環境というのは思ったより、今の自分にも影響を与えているのだな、と痛感する事がある。

私は、いくつかの場所を移り住み育ったけれど、どれも緑の多い、田舎であった。

子どもなりに落ち込んだり、悲しんだりしたりする事もあったけれど、それでも春の花を愛でて心が癒されたり、夏に向かう緑に目を細めたりして日常を過ごしてきた。

今、私が住んでいる所は、身近な場所に緑のものが本当に少ない。

だから、時折、とても息苦しくなってしまう。

言いようもない不安に駆られたり、気持ちが不安定になったりする。

東京にいた時よりもいいでしょうといわれるかもしれないが、実は国立市は駅から遠く離れていたせいもあって本当に緑の多い場所だった。

部屋には暑い位に陽が入り、ベランダから大きな木が見えた。

たったこれだけのものに私はいつも癒されていたのだと、今の生活になって気付いた。

生き生きした緑のない生活は、人から、もしくは私のような成育環境だった人間から、元気を奪う。

体は健康(でも逆流性食道炎だけど)でも、心の元気は別のことなのだな、と思う。

午後、用事があって、実家に寄った。心底、ホッとしている自分に気付いた。

実家だからだろうか、としばし考えて、そうではないと分かった。だって家を出て5年になるが、一度もそんな事を思ったことがなかったから。

今の生活以外はどこも緑が身近にあった。

つまり、実家は緑に囲まれていて、小さくなっていた自分の気持ちが元気になったのだと気付いた。

今のおうちを好きになるしかない。(その事以外に不満はない。本当に便利な立地だし)

それは分かっているので、せっせと種を植え、緑を増やす事にしよう。

ただ、願わくば、子を持つ事があれば、もっと違う環境を与えたいな、と思う。

そして、そんな事を考える自分に驚き、戸惑う今日この頃。

_ 写真のこと 2005-03-28

写真を撮るのが好きだ。

写真を撮るのが好きなのだな、と気付いてからそう時間は経っていないのだけれど。

写真を撮るのが好きだと思うまでは、写真を撮るのが嫌いだった。

人物を撮るのは、分からないでもない。

でも誰も写っていないものを撮って、一体何が楽しいのだろう、といつも疑問だったのだ。

つまりは、何も見えていなかったという事。

大学生まで、ずっと追われるように生きた。

高校までの年月は一日一日はのんびりとしたものだったが、それでも「何か」に追われているように感じていた。

そして、大学の四年間は本当に追われるように生きた。

毎日分刻みで予定を組み、多くの人に会い、多くの事を語り、多くの事を学んだ。

いつ季節が変わったかなんてわからなかった。そのぐらい忙しかった。

四年しかない、と思っていたからだろう。これを過ぎれば、自由に生きる事が出来ないと思っていた。

そんな怒涛のような四年間の後に、考えていたよりも自由な社会人になった。

仕事はとても忙しく、いつ寝ていつ起きているのかと思うような日々だったけれど、考えていたよりもずっと自由だった。

営業だったからかも知れない(思えば、あの営業生活があるからまともな会社員になれないのかもしれない)。

そして、ハタと気付く。こんなに駆け足でいいのだろうか、と。

そんな時に親しくなった人から、俳句を教わるようになった。

教わったのは、ほんの僅かな時間ではあったけれど、夢中になった。

俳句といえば、難しく考える人も多かろう。私もその一人であったし、本当は難しいものかもしれない。

でも私がその僅かな時間に教わった事は、一つの「言葉遊び」であった。

日常の変化に気付き、それを表現する。ただし、直接的に表現するのではなく、わざと比喩を用いたりする。

同じ感性でしか感じられない表現にする。

それが私の教わった俳句だった。

本当に奥の深いものだから、私の理解なんて大したものではないのだけれど、それでもとても新鮮だった事は間違いない。

文学部出身である私にとって、表現とは「同意を得るもの」だったから。

多くの人に共感を得られるように表現するというのが、常に論文等でも求められ、ある意味「説得の文章」であり「説得の表現」が主流だと思っていた。

それとは異なっていた事が新鮮だったのだ。

そして、いざ作ろうとする時に必要としたのは、「気付き」なのだ。

変化に敏感な心、感性、そして、その表現力が求められた。

そういう目で自分の身の回りを見ると、多くのものが色鮮やかに見えた。

新しく芽吹く命、去っていく季節、走っている車の音、人の声という音。

それらが全てくっきりとした輪郭を持って、私の前に現れたような気がした。

それを謳う。

それでも追いつかなくなった時、私が表現の媒体として選んだもの。

それが写真を撮る事だった。

今はデジカメを使うことがほとんどだけれど、アナログの方が好きだ。

どんな風に撮れているだろうというワクワク感は何ものにも変えがたい。

思っていたものが表現されている事なんて、ほとんどない。所詮は素人だ。

それでも光の加減で紙焼きならではの、面白いものが切り取れていた時は思わずガッツポーズをしたくなるほど。

そういうわけでやっと撮り溜めた「私以外の人にはどうでもいい」写真をUP致しました。

お暇な方は見てやってくださいまし。

私のかわいい相棒達。どちらも30年もの。

フラッシュはないし、近くは撮れないしで、もうとてもかわいい(今の使い捨てカメラの方が高性能)。

でも、一眼レフの方のきりりとした写真は美しい。もちろん、デジカメもかわいいけど。

カメラ

3/28お弁当

_ 「もういい」 2005-03-29

朝っぱらから、Qちゃんと険悪なムードに。

でも、ケンカにはならない。

それっていいのだろうか?

黙り込むQちゃんを見ていると本当に不安になる。

溜め込んだものをどうするのだろう、と。

「もういい」と言って、本当に「もういい事」にしてしまえる人を私は知らない。

「もういい」という人は多いが(自分を含め)、それは「今はいい」という事であり、未来永劫ずっと「もういい」訳ではない人がほとんどだ。

そして、いつかもう相手がすっかり忘れてしまった頃にそれを思い出す人が多い。

私は、これといって自慢のない人だが、「会話」についての記憶力がいい方だと思う。それもかなり。

たまに、「あなたは○月中旬の曇った日に、○○駅の3番ホームでその件は「もういい」と言ったではないか」と切り替えしてやろうか、と思うことがある。(大抵の場合において、「もういい」などという台詞を吐かれる時は、揉めているという事なので、いつもより記憶は鮮明)

話は逸れたが、本当に(くどい様だが自分を含め)「もういい」という台詞はこの世で信用ならない台詞の上位に入る。

どうしようか、としばし考えて、もういいのであればいいや、と思う。

ケンカにもならないとは本当に悲しい事だ。それって「言っても無駄」という台詞とイコールだから。

でも、私は家で鬱々としていればいいが、Qちゃんはこれから外に行くのだ。働きに行くのだ。

その人がいいと言っているのだから、これ以上話すのは止めよう。一人でメソメソ過ごそう。

ケンカがしたい訳じゃない。でも、ケンカにもならないなんて、性質が悪い。

解決しない問題は何度でも繰り返す。私は経験で学んでいる。

小さな事だけれど、きっと何度も繰り返すだろう。

だって、ちっとも良くない訳だから。良いって言われた方は、反省もしていないんだから。

でも、今日はこれでいい。

お互いに体調も良くないから、気が立っているだけだと思うことにする。

でも、また同じ事をするのだろうな、と思う。これは予言。

3/29お弁当

_ そして、予言は的中する 2005-03-30

またも朝から険悪ムード。

要するに、お互いにちっとも良くなかったわけである。

今日は、何を言われてもきちんと話す。

私が悪かったのだけれど、でもどこがどう悪かったのかという事をきちんと伝えてくれないと直せない。

Qちゃんは分かってくれた。

やっぱり、こうして話さないといつまでも同じ事を繰り返す。

しかし、元々は私が悪かったのですが。偉そうだな、私。反省してます。

子どもたちと一緒にいる時に大人の都合で怒ると何度も同じ事を繰り返した。

「何故?」が分からないと直せない。これは子どもだけではない。大人たちも同じ。

私たちは、別々の人間で、家庭環境も性別も力も体つきも何もかもが違う他人同士。

だからこそ、一緒にいることを選んだ。だからこそ、それを続けるための努力が必要なのだ。

ポジティブな意味の努力。

伝わったら、問題はすぐに解決した。

傷つけてごめん。でも分かってくれて嬉しい。向き合ってくれて嬉しい。

明るい気持ちで職場へ送り出す。

Qちゃんを見送った後、私も準備準備。

今日はちこさんとそのお子達と外でお弁当を食べて、博物館へ行くのだ。

外はびっくりするぐらいいいお天気だったけれど、風が強くて寒かった。

こねつ君とみこりんは初めてあった時より、随分と大きくなっていた。子どもの成長は早い。

今回は話す時間もあったせいかな?それとも私とちこさんがお互いに慣れてきたせいかな?二人とも前より私に慣れた感じ。

よかった。住まいが近所(?)だから、仲良くしてくれると嬉しいよ。

博物館は想像していたよりも、ずっと面白かった。

とても広くって、一回でゆっくりは見れなかった。ずっと来たがっていたQちゃんとまた来ようと思う。

楽しい事がある度に、Qちゃんが一緒だったら、とかQちゃんに話そう、とか思う。

こういう気持ちはとても大事。

別に大したことでなくていい。共有したいと思うこと、その相手がいてくれる事に感謝だ。

しかし、見ていて思ったのは、本当にこねつ君もみこりんもいい子だな、という事。

色々な意味のいい子ってあると思う。私のいい子は、自分があってそれを見せることが出来るという事、だろうか。

おりこうだとかいう事ではない。友人の子だからというわけでもない。

この年齢の子達と触れ合う事も多かったので、本当に思う。

話し方、歩き方、態度がちゃんとしている。変な興奮の仕方はしないし、ぐずったりもしない。気持ちが安定しているので、驚く。

もちろん小学3年生ってそんなものでしょう!とか、知らない人がいたからじゃないか、というのがあるかもしれないが、そうではない。

あー、親から愛されている事が本当に伝わっていて、きちんとしているな、と(偉そうではあるが)感じた。

親が愛していないわけではないのだが、愛情を伝えるのがうまくない場合だってある。そういうのはきちんと現れるのだ。

どこかに。

そういう事を感じた。そうであると断言するのではなく、私の個人的感想。

お世話になった先生が「子育ては、仕事のどんなプロジェクトより、難しくやりがいがある」とおっしゃった事があるが、本当にその通りだ。

その大変なものに、もっと国や市町村がそれに見合った支援をしてくれる事を望む。

昔子どもだった人たちにも、今子どもである人たちにも、幸多からん事を。

帰ってきたら、くたくたになってました。

外の空気を思いっきり吸い込んだ一日。

たまには、こんな日もなくちゃね。

3/30お弁当

_ 自分の足跡 2005-03-31

久しぶりに友人からメールが来た。

何でもずっとファンだった人に会えて、しかも一緒に飲めたそうな。

すごい。

彼女は、本当に無茶苦茶な人で、結構綺麗な顔をしているので、普通にしていればそれなりに生きていけるのに、それなりなんて求めていない。

自分のやりたい事を追求し、その為に生きている。

お金も生活そのものも、全て叶えたいものの為だけにあるようだ。

私は夢を叶える為には常々「意志の強さ」が必要だと思っているけれど、彼女はその点に関しては筋金入りだ。

何度かのやり取りの後、彼女のメール。

「私の老後は路上だね。ホームレス。モテモテのホームレスになるぞー」

正直に言おう。かっこいい。

私にそれだけのものがあるだろうか。そこまで思い込めるものがあるだろうか。

ホームレスがかっこいいのではなくて、そこまで思い込んで生きている彼女の生き方は本当にかっこいいと思った。

ちくしょーですよ。

負けたくないなぁと思う。

同じ土壌で同じように競うのではなく、「誇らしい自分の生き方」という点で彼女に負けたくないと心底思った。

私は私らしく。

多くの友に「かっこいいわね」といい意味で言われるように生きたいと思う。

そう心がけたいと思う。

今日の歩数。

3343歩。

3/31お弁当