2005年7月 - へびあし。


_ 母の陰謀 2005-07-01

今日はQちゃんは飲み会。

朝、「早く帰ってこようかな」などと呟いていたが、聞こえないふりをした。

以前なら、素早く聞きつけて「本当?本当?」と目を輝かせて期待したものだったが、そういうのはもう止めたのだった。

朝家を出る瞬間に本当にそう思っているのだと思う。それは、そう信じている。

ただ、飲みに行く時間になったら気持ちが変わっているだけなのだ。そういう事。

今日は夜、S子と夜のドライブをしようと画策しているので、一旦実家に行く事にする。

実家が待ち合わせの中間地点。待ち合わせ場所はそこから更に一時間ぐらい。

うーん。遠いな。

でも、久しぶりの長距離運転にワクワク。

実家では、母と口論したり、うたた寝したりして過ごす。

さて、そろそろ出発しようかなと思っていた頃に大雨!と腹痛。

え、何で?

「おなか痛いよ」と言うと、誇らしげな顔で、

「さっき起き抜けに、コーヒー牛乳を飲んだでしょう!あれが駄目なのよ、お母さんもすぐそうなるもの」とエッヘンとばかりに語る母。

言っておきますけど、飲みなさいと勧めたのはあなたでしょう?

どうしてそんなに威張っているの?

陰謀か、そうなのか?

そういう訳で、S子にはキャンセルをお願いする。くっそー。

すまん。

ボチボチ、雨を避けながら家に帰る。

何をしたのかまったくわからない一日だった。

今後、母の勧める物を口にする時は気をつけようとだけ、誓う。

_ エジプト展へ行く 2005-07-02

ずっと、Qちゃんが行きたいと言っていた「エジプト展」に行く。

エジプト展と言えば、数年前に一人で行った時にミイラの前で、オバサン方が「あらー、よく出来てるわね」「ホントねー」と語り合いながら見ていた事を思い出す。まるで近所の人が漬けた漬物の出来を褒めるような口調だった。

思わず「ミイラ、作ってる?」とか聞きたくなるような。

聞けばよかったのかも知れん、と思い出して、また思う。

今回はミイラはなかったので、残念。

ヒヒがたくさんいた。親近感。

昔からよく、ジョージに似ていると言われるので、他人とは思えん。

他にも他人とは思えん事が色々とあったが、ここに書くと怒られそうなので割愛。

小さい人もたくさんいたが、一番うるさいのはいい歳をしてうんちくを垂れ流しているオジサンだった。

その辺にしとけや、と何度も思う。

しかし、あんなに小さい人は連れてきても意味がないのでは?と思うぐらいの人も多くいたので、博物館はぜひ託児所を作る事を検討して欲しいと思う。

そうするとご両親も落ち着いて見れるし、こどもも不快感がなくていいと思う。

ただし、安心して積極的に預けようと思わせなきゃいけないので、そこは手腕が問われる。

やっぱり、役所には無理か?

でも、公共施設が率先して、こどもの事を考えないと少子化に歯止めはつくまい。

ただかわいいとか、ただ結婚したからとか、気がつけば、などという理由でこどもを持てない時代だ。

残念だと思う。

自分も身の振り方を考えてはいるが、考えているだけ。

あと、8年早く結婚していたら、5人ぐらい産んでいただろう。産めるなら。

そのぐらいだと、楽しいだろうと思う。従兄とかが一緒くたに育ったので、そう思う。

でも8年は取り戻せない。歳を取るってそういう事だ。

せっかく遠出したのだが、それだけでQちゃんには負担だったらしく、福岡市内を見て回ったりもせず、帰宅。

残念。いいところもあったし、大好きな街を見せたかった。

でも、雨だったからいいや、と思い直す。

夜は、スターウォーズ・エピソードⅣを観たが、途中で寝た。面白くなかった。

_ 正解のない事 2005-07-03

朝から、雨模様。

起きてすぐ、Qちゃんは散髪に出かけ、帰り道にスターウォーズを借りてきた。

一旦家に戻って、朝食を取ってから、買い物へ。

買い物している時間より、絶対、レジに並んでいる時間の方が長いです、この店。

帰り道、些細な行き違いで言い合い?に。

私の単語の選択が悪いんだろうな、とは思うけど、でも、話の内容に正解はないので、Qちゃんが、さも自分の主張が正解という風に話すのは始終不満だった。自分のやってきた実績が頭を過ぎる。

仕事について。

今の職場が素敵なのは羨ましいと思う。本当に心の底から、そう思う。

でも、きっと、Qちゃんの満足する職場と私が満足する職場はイコールではない。それを分かってもらいたいと思う。

つーかさ、私もひどい職場ばっかりだったわけじゃないし、いい職場ではいい関係が継続されているではないか。

しかし、あんまり羨ましがらせないで欲しい。

家なんて飛び出してしまいますよ、私、と思う。願望と野望はいつでも持っているのだ。

叶わないからここにいるのではない。叶うと断言できなくても追ってしまうのが、夢でしょう?

でも、ここで出来る事を模索している。だから、あまり挑発しないで欲しいと思う。

そして、張り合おうとしないで、私。意味のない事だから、それは。

私が張り合うべき相手は、いつも些細な事で不安になり、けんか腰になり、実情より自分をよく見せようと躍起になっている私自身だ。それを忘れない事。

正解はないよ、とだけ、Qちゃんに言った。伝わっているかはわからない。

ただ、何だか馬鹿のように言われた気がして、それぐらい言わなければ気がすまなかっただけだから、いいや。

私には私の主張があって、QちゃんにはQちゃんの主張があるって事だ。

だって、30年近く別に生きてきたのだから、当然。それを否定したり、軽んじたりしないで欲しいと思うし、自分もそうしないでいようと心を新たにする。

夫婦って、結婚式をあげただけでは、夫婦ではないのだなぁと改めて思う。

当たり前だし、結婚前も頭では分かっていたけれど、でも体感するって別物だな。

それは、時に苦しかったりもするけれど、でもありがたいと思うのだ。まだまだ、学べる。

人と付き合う事は一生のテーマだし、それを学び続けられるというのは、簡単な事ではない。

それが出来る環境である事に、感謝せねばと思う。ありがとう。

夕方から、スターウォーズ・エピソードⅤを観た。

面白かったけど、ヨーダの芸風が変わっていて、ビックリした。

加齢による、幼児化?

相変わらず、訳は微妙に省略され、気になる感じ。

ⅳで「理力」と訳されていた「フォース」は、今回は「フォース」となっていた。

特別編だったからか?戦闘シーンなんかも綺麗な映像になっていた。

でも、レイア姫、イマイチ。

あと一本見たら、終わり。楽しみだなぁ。

夕飯にとろろそばを食べて、夜は、将棋をする。

やっぱり、勝てない遊びはつまんない。勝てる遊びを提案せねば。

寝る前に、頂き物の夕張メロンを食べる。うまいっ!

_ 体調不良。 2005-07-05

朝、いつも通りに起きたら、強烈なめまいと吐き気を覚える。

元々低血圧ではあるけれど、こんなにひどい事になった事がないので、その自分の体調に動揺。

どう頑張っても調理する事が出来ず(食べ物の臭いで更に吐き気が増す)諦めて、ベッドに戻る。

Qちゃんは、クールにその事実を受け止め、朝ごはんを外で取るべく、いつもより早く出勤して行った。

そりゃあ、勤め人だから、会社に行く事が優先だと思うけど、あまりの、そのそっけなさに、余計にがっくりした。

普段ならそう感じないのだろうけど、自分でビックリするぐらい調子が悪かったので、不安でそう感じたのだろう。

別に冷たい人だなんて思ってないよ、オット。

それから、ここを読んで、まさか?と思ったあなた。安心して、それはないから。

そんな事あったら、名前をマリアと改名します。はい。

水を飲んでも吐き、もう駄目かも、とか意味なく呟いていたが、そういう日に限って約束があって、本当に這うようにして出掛けて行った。

とりあえず、その場は取り繕い、何とか切り抜ける。

ちょっと体調が上向きになったような気がして、本屋などを覘いているうちに、また体調は悪くなり、慌てふためいて帰った。

夕飯の準備もせず、眠る。

こんなに何も家事をしなかったのは、結婚して初めての事だ。

いつもは遅いQちゃんも、今日は早く帰ってきてくれた。

お土産は桃缶だった。よく覚えてくれている。

私は、病気の時は絶対、桃缶が食べたい。お見舞いは桃缶だといい続けている。

それで、病気をしたらQちゃんは必ず、桃缶を買ってきてくれる。嬉しい。

でも、今日は桃缶と桃ゼリーとマンゴーセリーがあったので、桃ゼリーの方を食べた。

すぐに横になると、今度は逆流性食道炎のせいで、更に吐き気が増すので、暫くラジオを聴いてから過ごした。

明日は、何が何でも頑張ろうと思う。

そうそう、そんな状態なのに、本を買った。

デスノート

かなりはまっている。ジャンプ連載コミックなので、途中で「お前考えてなかったな」と思うような時もあるが、それはそれで面白い。

デスノートが手元にあったら?と考えてみたが、全然欲しくないと気付いた。

誰も殺すほど憎くないのだと分かり、安心して眠った。

_ 敵か味方か。 2005-07-06

体調はやや回復。全快とはいかない。夏バテかな。

昨日の事。

這うようにして、約束のあった人に会ったのだが、たくさんQちゃんについて聞かれた。

どう考えたって、Qちゃんの人となりを聞いているとは思われず(多分正確にはこの人は私の人となりも知りはしまい)、上っ面だけを話した気がする。そして、上っ面と思われる部分も(も、ですよ。も)素敵なうちのオットは、いつだって、人様に羨まれる。

仕方ないので、たくさん羨んでもらう。いいだろー、えっへん。

ただ、聞かれた事や話した事はともかく、本当に私の結婚を喜んでくれていたようだった。

ありがたい事だと思う。よかったね、よかったね、と連呼された。

さて、私自身も、その人自身の人となりを知らないのだが、客観的に観て「キャリアウーマン」って感じで、しかもそこそこの地位も、そこそこのやりがいも、そこそこの金銭的にも余裕があるであろうこの人が、結婚について話した事が非常に意外であった。

「結婚すると絶対的な味方が出来たって感じでいいよね」

フォントを変えて、声を大にして言いたい。

「そんなわきゃねーよ」

どうして、そういう事になるのかわからないが、そういえば、先日友人M子もそう言っていた気がする。

どこで、そんな夢物語のような話が出てくるのだ?

ここを読んでもらっている人はきっとそうではないと思う。いや、まさか、この人(ミズキ)は違うけど、私の結婚は違うわ!とか思っていたりする?

え、そうなの?私の方が間違ってる?

いや、きっと正解はないと思うんだけど、でもその思想はちょっと危険だと思う。

確かに、時にQちゃんは私の一番の味方だ。

でも常に二人の意見が同じだとは限らない。多分、どちらかと言えば、異なる事の方が多いかもしれない。

だって、過去の生活ももちろんだけど、根本的に性別が違うんだもん。

性差で思想差はないと思う人もいるだろうが、私は男女、どちらにも友人が多いと思うけど、性差による思想差はゼロではないと思う。

そして、二人の意見が異なった時、オットは一気に、一番の敵ですよ!いや、本当に。

心の底から愛してますよ、本当。それに針の先ほどの偽りもないけれど、でもあるのですよ、こいつ敵って思う事が。

だから、絶対的な味方って事はないと思う。少なくともうちは。

でもね、絶対的に分かり合いたい相手であり、絶対的に歩み寄る努力をしたい相手であるのは本当。

そう思えるから、敵になった時も、その時は思えなくても後で「ありがたいな」って思える。

敵味方で判断できる相手ではないんだ。Qちゃんは。

いつだって、パートナーだと思う。一緒に歩く人。

転ぶ時や躓く時もあるだろう。

その時に、一緒に転んだり、躓いたりする組み合わせもあるだろうし、それを見守る組み合わせもあるだろうし、それをちょっと先で待っている組み合わせもあるだろう。

でも、とにかく一緒に道を行くんだと思う。まったく同じ道ではなくても、一緒に行く事が出来るんだと思う。

異なる道を一緒に行くという事を上手く説明は出来ないけど、それはどちらかが歩み寄って我慢するのではなく、違う道を同時に一緒に歩くのだと思う。奇麗事かも知れない。それこそ、これこそが夢物語かもしれない。

でも、私はそう思っているし、そう信じている。

だから、「絶対的な味方が出来る」とは、違うと思う。

でも、その時は曖昧に笑っておいた。お互いの人となりも知らないのに、こんな事は語り合えない。

そういうものだ。

_ 好きなもの 2005-07-07

ラジオドラマが好きです。

我が家にテレビがないのは、周知の事実ですが、そのせいではなく、私はラジオドラマが大好き。

もちろん、ラジオ自体が好きだという事が根底にあるとは思うのですが。

はて、ラジオってどのぐらいから聴いてるだろうと思うと、小学校6年生の時はすでにラジオ派だったと記憶している。

パートに出ている母の代わりに、4時過ぎから洗濯物を取り入れ、6時前からお米を研ぐのが私の仕事だった。

そのお米研ぎの間に聴いていたのが、ラジオ。

何かをしながら、情報が入ってくるというのが好きだった。

あと、TVでは絶対に入ってこない話、英語や英語の歌、そういうものが好きだった。

ちょっと、おねーさんになった気分になれるのがラジオだったのだ。

そして、中学に入る頃には、オールナイトニッポンを毎日聴いて、学校に毎日遅刻。

遅刻しなかった日って、多分片手で数えられると思う。最悪。

当時、長崎に住んでいて、あと一年しか長崎にいない事もわかっていたから、一年は好き勝手にしようと決めていた。

その後は、勉強の遅れを取り戻したりして、きっと遊べないと分かっていたから。

(そして、その通りになった。福岡に戻ってすぐの偏差値とか、最低の数字だった!)

だから、私のラジオの思い出はいつも自由な自分とイコールで、楽しいものばかりだ。

そして、高校生の頃からラジオドラマを聴くようになった。

最近は、流行の本ばかり使われていて面白くないけれど、当時のラジオドラマは、絶対自分が手にしないようなSF本なんかも使われたりしていて、とても面白かった。

何より、映像がないというのが魅力だった。声から想像するヒーローなんて、ちょっと素敵だと思いません?

素敵な声だと、素敵な人を思い浮かべた。

逆に、人気の声優さんなんかを使ってあると、アニメのキャラクターのイメージが浮かんでしまったりして、がっくりしたりした。

あんまり素敵な声の人は、最後の出演を聴いて、名前をメモったりしたものだ。

今週から、大好きな森博嗣の本のラジオドラマが毎日再放送されているので、ウキウキ聴いている。

本とは違うけど、それはそれでいいと思う。

ただ、主役の声が高山みなみなので、どうやって聴いても、コナンに聴こえてしまうのが、唯一の難点。

でも、Qちゃんはラジオドラマがあまり好きではない。声で混乱するのだそうだ。

だから、私がラジオドラマを楽しんでいるのをいつも不思議そうに見ている。勿体無いなー、と私は思う。

本とは別の形で想像して、楽しめるツール。楽しめないのは勿体無いと思う。

そして、ラジオドラマには私の大事な思い出がある。だから、きっと余計に好きなのだと思う。

ね。

お時間のある方には、ぜひ楽しんでみてもらいたいと思う。

今日は七夕。

出会いは人と人の間にだけあるものではない。

素敵な本、素敵な音との出会いも、やっぱり出会いだと思うので、ラジオドラマの薦めを。

あと、あなたに「会いたい人がいればいいな」と思っている。

_ ダースベイダーはいなかった。 2005-07-08

数日前の話ですが、地下鉄七隈線に、ダースベイダーが来てました。

いやー、遠くから大変だよね。どのくらい遠くかわかんないけど。

しかも、わざわざ、すっごい遠くから福岡までやってきて、一日駅長をしたと言うのだから、ダークサイドの人間のわりにいい奴です。

働き者ですよ、オビ=ワン緑の生き物よりは。

その七隈線に乗って、友人宅に行ってきました。

まず、天神で髪をカットして、ふらりと本を買って、友人宅へ。

昨年五月入居なのですが、地震で一部壁が割れたりしていて、今更ながら、その時の地震の怖さを感じました。

だべりながら、旦那の帰りを待って、夕食。

久しぶりにお兄ちゃんとお姉ちゃんに話を聞いてもらったみたいで、嬉しかったです。

ご飯もおいしかったし。

帰りの特急で、前の席のおじさんが「あー、オレオレ。11時半頃に駅に着くからさ、迎え、よろぴこ」と言っていたのを聞き、衝撃を受けたりしていました。がーん。

よろぴこ?

しかも、それを部下の横で言い、その後、目的の駅に着くまで、偉そうに説教。

出来た部下だな、と感心しましたよ。私は、よろぴこ、なんて言う上司の説教なんて聞けないかもしれない。

そうそう、仕事がいきなり決まりました。

来週から勤め人。

_ 夜の時間 2005-07-09

寝なかったら、朝になった。当たり前か。

こんなに朝が来ないで欲しいと思った事も、朝を待った事もないかもしれない。

煌々とした明かりの中で、私はどうやって、自分を守るかだけを考えていた。

右手で自分を刺し、左手で自分をかばっていた。例えば、そんな夜だった。

色々思いながら、夕方、実家に行った。約束があったのだ。

運転が好きだと、ハンドルを握りながら、何度も思った。

何故だかはわかる。

アクセルを思い切り踏めば、見えてくる世界の事を考えているのだろうと思う。

簡単に言えば、落ち込んでいるのである。単純。

夜中に父に「お前は苦労を知らない」と言われた。

傷ついた。全否定だ。

今までなら、飲み込んだであろう。全て。

でも、たった一言「そんな風に言わないで欲しい」とだけ言えた。

それ以上は言えなかった。それだけで、泣けてきて、死にたいくらいの気持ちになったからだ。

私の中に土足で踏み込み、私の不完全さを引っ張り出され、批評され、批判され、否定されたような夜だった。

全てにおいて「もう取り返しがつかない」とすら思った。愕然とした。

「もう、取り返しがつかない」

こんなに破壊的な言葉があるだろうか。全ての力を奪う言葉。

もう、それなら、何で息をするのだ、私。

そこに何の意味があるのだ。

そう思っていたら、夜が明けた。

また、寝なかった。

嫌な事は暗い時にばかりおきると思った。

_ 信じるという事 2005-07-10

信じるという事は本当に難しいな、と思う。

疑う事は容易い。容易いが、何も生み出さない。

疑い続けるという事は、失い続けるという事とイコールだと思う。

でも、一度でも欠けた「信頼」を再度、同じ重みで置いておく事が出来るか、と問われれば、難しいと言わざるを得ない。

再度置いた「信頼」が、一度受けた傷で疼く。そして、そこから、スルリと流れ込んでくる「疑い」を拒否するのには恐ろしいエネルギーが必要だ。

これ以上、痛い想いをしたくないという自己防衛だと思う。

信じて傷ついた時に悲しいのは、相手に対して落胆するというのもあるが、つまりは全て「自分への同情」と言うちっぽけで、ヒロイックなものなのだ。

信じていた瞬間の自分を思い、その自分に同情するのだ。

「私って可哀想」というのが、その痛みの正体だ。

そして、その醜さに気付き、また痛みを抱く。「疑い」を受け入れてしまいそうになる。

私はとても偏狭で、いつも誰かを追い詰めてしまうのだと言われた。

それはその通りだと思う。それを否定する言葉を私は持たない。

ずっと、頑張ればいいと思って生きてきた。頑張らなければ、生きている意味などないのだと思ってきた。

頑張っている間だけ、自分を許す事が出来た。ここにいてもいいよ、と思えた。

だから、許されるためだけに頑張ってきたようにも思う。体も心もボロボロだ。30年もそんな事しているのだから。

でも、自分だけ頑張っているのではないと思う。こんなにきついのは自分だけではないと思う。

だから、誰かにもそれを求めてしまう。自分と他人の境界線を見失ってしまう。

そして、それは誰かを追い詰める。そして、私は偏狭だと言われる。自分でもそう思う。

ただ、一つだけ、分かって欲しいと思う。

追い詰めてしまうのと同じだけの力で、もしくはそれ以上の力で、私は私を徹底的に殴る。刺す。絞める。自分自身だからと手を抜いたりしない。

でももちろん、相手を追い詰める事を正当化したりはしない。開き直ったりしない。

ただ、分かって欲しいだけだ。知っていて欲しいだけだ。

私は「許したい」し、「許されたい」。本当は。

ただ、今はどうしたらいいか、本当にわからない。

くだらないと笑って欲しい。

暗い部屋で眠れなくなってしまった。また。

_ 祈り。 2005-07-11

ずっと、心の底で忘れられない思い出がある。

生まれて初めて、一番の痛みを覚えた日の事だ。

私は、その痛みを乗り越えるために、会った事もない人を、心の底から呪った。そうしなければ、私は自分を守れなかった。

そうしなければ、私は「疑い」で足元を失う事になった。自分を傷つける「疑い」と引き換えに、相手への「憎しみ」を使った。

幼い心で、この世でもっとも強く、汚く、呪った。その汚さは、忘れない。思い出すだけで、吐き気がするほどだ。

そして、その事は何度も、何度も私の心に飛来し、苦しめた。しかも、その度にその人をまた呪ったのだ、私は。

何年経っても、十何年経っても。ずっと。何度も、何度も呪った。

そうする事で私は直接的に傷つきはしなかった。「疑う事」ほどの痛みも背負わなかった。

ただ、同じ運命を辿った。自分が呪われる運命。幼い私が呪った相手は、同じ運命を辿った私自身だった。

なのに、それでも、私は悟れなかったのだ。ずっと。

今日、初めて、その人に詫びたいと思った。その人が今、幸せであればいいと思った。

幸せでなければ、幸せになって欲しいと思った。幼い時に負けない強さと純粋さで祈った。

それは、そうありたいという、自分への祈りもあった事を私は否定しない。

私が祈った相手は、その人だけではなかったと思う。打算的な考えは、一切、まったくなかったけれど。

「疑い」や「憎しみ」は何も生み出さないと私は知っている。

そこで失うものの多さも分かっている。長い期間、苦しんできた。

これ以上は、もうたくさんだ。

なのに、小さな疑いの芽を、私はすぐに摘むことが出来ない。その強さは持ってない。

だから、それが心の中にある間は、私は血を吐くような日々を続けるだろう。

でも、自分の吐く血など、どうでもいいのだ。そうやって、また相手を追い詰める自分が嫌なのだ。

私は私を助ける事が出来ない。今はまだ。

私がそれを学ぶまで、私を助けて欲しいと心の底から願う。祈る。

目に見えない、何かに。

_ 初出社 2005-07-13

派遣社員として働きます。

過去の経歴に尾ひれが付いていて、ちょっと怖い感じ。

そんなに妄想を膨らまされると困りますよ、オレは。

呼ばれなれない、新しい苗字のお陰で、立派な猫を上手にかぶっている感じです。

_ 猫のサイズ 2005-07-14

どんどん大きくなります。

ショックだった事。

総勢8人の女子社員全員で昼食をとっているのに、誰も喋らないって事。

私語禁止?

早くも契約更新日が恋しい。