破壊。 2005-09-13 - へびあし。


_ 破壊。 2005-09-13

ずっと、「書かない事」に決めていた。理由は色々とある。

色々な事を書いてしまう事が本当に怖かったのだ。

読んでいて楽しませるような事が書けない。

もちろん、今までも色々な事を書いてきたけれど、必要以上に「誰か」を意識してしまったような気がする。

でも、それは私の為にはならなかった。

先日から誰彼なしに「好きな事は?」と聞かれて、困った。

聞かれれば聞かれるほど、本当に好きな事など何一つないような気がしてきたからだ。

でも、それは間違っていた。私は見栄っ張りだった。

好きな事は人より出来る事でなければいけないような思い込みがあったのだ。

好きな事は、読む事と書く事だと言おう。

人より優れていなくても、私は活字を読む事と紡ぐ事が好きだ。

たくさんの時間、それだけにかかりきりになれないけれど、でも読む時は私は「もう一人の私」になり、自由に活字の世界を泳ぎ、書く時は、現実に自分が捕らえている自分と他人が捕らえている自分と、理想の自分との間を言葉を紡ぐ事で自分なりに咀嚼していこうとしているのだ。

書かなかった間、私は多くのものを噛み砕きもせず、ただ単に丸呑みし続けた。

それは私の喉の奥に積もって、私は苦しいだけだった。

あまりの苦しさに、私は何度もうずくまっている昔の自分を見た。

彼女は、まだどこにも行けずに、ただ座り込んでいた。本当にかわいそうだった。

彼女がそこから動けない事も私はずっと、「自分以外の誰か」のせいだと思っていた。

でも、本当にそうだったのだろうか。

私が彼女を「かわいそう」だと思う事が、彼女をそこに留めていたのではないだろうか。

昔の自分を抱きしめるように、私は多くの子ども達を抱きしめてきた。

私がずっと欲していたものを人に(おこがましい言い方だが)与えるのは、簡単だった。

そうやって、自分以外を抱きしめる事でしか、昔の自分を抱きしめる事は出来ないのだと信じていた。

でも、本当にそうだったのだろうか。

得意ではない事。信念に反する事。今までの自分が正しいと信じていた事。

それらを一旦捨てるべきだと思う。私の正しさなんて、馬のクソみたいなものだ。

正直、どうやっていいかわからない。

だって、私はずっとそうしないと「愛されない、愛してもらえない」と信じていたのだ。

「こんな自分」でないと、生きている意味はないと思っていたのだ。

でも、それで私は幸福になれただろうか。

誰かを本当に幸福に出来ただろうか。

私は臆病な人間だ。だから、今目の前にいる一番大事な人の事が一番怖くて、その人を一番に信じる事が出来ない。

でも、それは所詮、その人を失った時に自分を失うのが怖いだけの事だ。結局、自分だけが可愛いという事だ。それは自分以外を捨てて生きるという事だ。

しかし、たった一つの躓きは、一生を捨てるほどのものだったのか。

私に溢れるほどの愛を注いで、亡き今も私を瀬戸際から守ってくれている彼の人は、どうだったのか。

私もそんな風に愛したいと思う。自分が祖父から受けたような愛情で想いたい。

私の人生に触れ合う人たちを。自分の大事な人たちを。

全ての人を平等に愛する事は出来ないけれど、度合いではなく、長さでもなく、だた深く愛したいと思う。

私がもし、この世を去った時、私を思い出した人が今の私と同じ気持ちになれるように。

奇麗事で構わない。私は、私を守ってくれている、私を愛してくれている人を守りたいのだ。

私自身から。

だから、捨ててしまおう。そう出来るように最大限の努力をしよう。

同じ刺すなら、そういう刺し方をしよう。自分自身に。

自分を守るため、自分のつまらない理屈を守るためではなく、壊す為に刺そう。

書くことは刺す事と似ている。私はそこから逃げられない。

だから、書こうと思う。