柔軟さ 2004-10-10 - へびあし。


_ 柔軟さ 2004-10-10

初めて人と会う時、本当に色々な事を考える。

その人の一挙一動から、その人がどんな人であるのか、また私自身の中でどう位置づければいいのかを考える。

位置づけて、基本的にその位置づけに従って対応し、それ以外のイレギュラーな「その人の意外な面」は、可能な限りポジティブに受け止めるようにしたいと思っている。

そうすると必要以上に、自分の領域を侵されないからだと思う。

出来るだけ、「受け入れられる自分」でいたいと思うけれど、同時に「受け入れすぎる事」は避けたいとも思っているのだ。

その判断をする中で、とても重要なのは、「この人は私を<認識>し、<興味>を持っているだろうか?」という事だ。

最初の印象が良くなくても、私という個人を<認識>し、<興味>を持っていれば、関係の好転はいくらでもありえる。

でも、相手が私を<認識>すらしていない場合は、今後の関係が良好なものになる可能性はぐっと低くなるような気がする。

それは何より、<無視された自分>というのを私自身が受け入れる事が出来ないからだと思う。

有体に言えば、<無視された自分>=<否定された自分>だと強く感じ取り、「傷ついちゃった」りするわけだ。

もういい歳した大人なのだから、もっと自分をコントロール出来ないかな、と思う。

一番嫌なのは、「受け入れられなかった」から、相手を「否定する」に成りかねない私の幼稚な感情だ。

よしんば、自分が否定されたとしても、同じように相手を否定していては何も生み出さない。

否定と拒否は限りなく近しい感情だからだ。

心の柔軟さが足りないと思う。

多分、一般的な基準(曖昧だけど)に比べれば、様々な環境に身をおいてきたように思う。

それで、この柔軟性の無さ。

もっと、大人になりなさい、私。

そんな事を思いながら、映画なんぞを観ました。

柔軟性のない私は、あまりのつまらなさに、つい寝てしまいましたさ。

ごめんなさいね、デビルマン関係者の方々。

でも世間もこんな評価ですよ(五段階採点なのに)。