_ 行って来ました 2004-11-07
朝、何とか起きて、上野へ。
毎朝、5時に起きているのに、どうして休みの日だと起きれないのか不思議。
しかも、毎日休みなので、休みとか関係ないはずなのに。
午前中に出たつもりが、上野に着くと正午近くって。。。
上野って遠い。
うちが不便すぎるのか?
やっと、マティスへ。
たっぷり時間をかけて、好きなところだけ観る。
前半は個人的にはあまり好きではない。
後半の商業デザインっぽくなってからが好きだ。
でもそれは、万人に受けるはずだから、要するに私の好みとは本当に平凡であるって事なんだけれど。
ただ、前半も後半も全てを通して、色使いの美しさが私にとってのマティスの魅力だ。
また、同じものに対し、何度も違う角度で(これは実際的な角度という事ではなく)描く事、表現する事を試みられている作品が同時に見れるようになっていて、面白かった。
同じものに違うアタックをしているというのも、こういう展示の状態にあって分かる事で、非常に興味深かった。
全く異なったもののように表現された本来は同一であったものたち。
現実だって同じようなもので、一辺の方向から見れば、ただ辛いだけの事かも知れないが、まったく異なった方向から見れば、違う真実に出会う事だってあるのだろう。
通常はそれは、他人というものを通して得る事が多いので、どうしても受け入れる事に抵抗を感じる事があるが、こういう思考、視野を自分の中で身につけることが出来れば、もっと楽に生きて行けるのかもしれない。様々な情報をもっと、多く手に入れることが出来るかもしれない。
いつも物事を同じ方向から見ない事。
他の方向から、物事を観察し、事態を判断できる思考を持つ事。
これはこれからを少しでも楽に生きたいと考えるのであれば、身につけておいた方がいいし、自分の中に自分以外の発言者がいるという事を訓練しておけば、我を失うような事態の時にも、何らかの決断を下す事が出来るはずだ。
決断は自分で下す場合でも、そこに至るまでの情報や意見というのは、全くないよりも多い方がいい。
ただ、多い意見に振り回される事のないように、自らの思考を多様化する方が、同じ情報や意見を得るにも複数人から得るよりも効率がいいのではないか。
そして、そこで、可能な限り、偏りの出ない訓練。
色鮮やかな、マティスを観ながら、そんな事を思う。
ズルズルと流れるように、常設を観に行ったが、そこで学芸員に絡んでいるおばさんを見かけ、ちょー不快に。
盛り上がった気分も一気に冷める。
物を買う時に店員に対する料金も含まれているといつも思うが、美術館だけは別だ。
あれは、あの人達は「サービスを行う人ではない」という風に認識しているので、そこまでして、食って掛かる事が疑問でしかない。
私の支払ったお金は、表現された作品に対するものだし、そこにそれを集めるまでに支払われた努力に対するものだと思っているので。
心を静めにくる場所で、そこまで吼えるのはどうかと思う。
それほどの事があったのでしょうけど。
帰りにアメ横により、大量の鮭とマグロを購入。
つい買ってしまう、あの雰囲気。
チョコレートのおじさんは、代替わりしたのか、おにーちゃんになっていた。
おじちゃんだったら、買おうと思っていたので、ガックリ。
今日の歩数。
12145歩。
by ミズキ