_ 人生を取り戻せ 2005-06-20
空梅雨です。雨、ちょっと恋しいかも。
今日は、午後から「熱い親の会」というのに参加してきました。
これはカウンセリング講座で仲良くなった方のお誘いで、どんな会かと言うと、そのままで「熱いお母さん達」が集まっているのです。
役所の生活支援課の協力も得て、運営がなされているようで、会議も生活支援課の会議室で行われました。
私を誘ってくれたS山さんは、学習塾の先生だと知っていたのですが、あとの人の事は何の情報もなく、まぁ、いきなり行って、いきなり参加です。
聞く限り、今までは割と自由に、現状の事を語り合う会だったようなのですが、これからは活動認知してもらおうという事で、小さなイベントを行っていくという事でした。
どの方も勢いがあって、本当にその人なりに現状を真剣に考えていて、そして積極的で、貪欲。
こういう主婦としての生き方もあるのだな、と感心したりしました。
そして、この場所がどんなに薬物の影響を受けやすい場所かという事やそれについての取り組みの多さ、そして、効果のなさというものも知りました。
当然、皆さんの意見も「薬物」「性教育」というところに集中しているように感じました。
あとね、不登校。
どの話も勉強になったけど、私の思うところとは違うというのが正直なところ。
でも、S山さんのいう事だけはわかった。彼女は、子どもというものを「不登校」とか「薬物依存」とか「学力」とか、そういうものを取り外してもっと大きな枠組みで見ているような気がしたせいだと思う。
どうしようかな、と思ったけど、仕方ないな、と思って「私、元不登校児ですよ」とカミングアウト。
いや、そんなに驚かれても困るし、いいネタのように見られても困るのですが。
言わなくてもいい事だったけど、でも、私は私の方法で子ども達へのアプローチをしている。そのための手法を探っている。
だから、言わなくてはいけないような気がした。
間違ってもらっては困るのだ。こういう風に子どもと接しようとしている人たちに。
全ての不登校児に規則性などない。ひょっとしたら、不登校に至る発端も原因もない子だっているかもしれない。
そう言ったら、驚くだろうか?
でも、考えてみて欲しい。
親の、もしくは大人になった今の自分ではなく、子どもの時の自分の頭に戻って。
嫌いな子に対して、理由付けをしただろうか?
あなたは、何が好きで、何が嫌いで、その理由を全て人に説明できただろうか?
私は出来なかった。
だから、これといって、発端なんてなかった。
嫌な事はたくさんあった。それを避けられたら、楽だと思った。でも、学校に行くのは「義務」だった。
なのに、ある日病気で休んだ時の自分の気持ちの開放感。明日への憂鬱。
それだけだったように思う。
そして、癖になった。癖になったら、それが病気になるのは簡単だった。
病気になったら、本物だった。「行かない」のではない、「行けない」になる。
避けられない場所で、何度かその理由について語ったようにも思う。でも、その場しのぎだ。
聞こえのいい理由を並べた。大人はそれで、勝手に考えて、勝手に納得した。
それを止めたのは、単純な理由だった。
続ける事が簡単だったからだ。
このまま、不登校をどこまでも続けられると感じた。心の底から。
だから、意味がないと思った。どこまで行っても、同じ毎日しかないのだ。
苦痛も喜びもない日々。
でも、始めたのは私だったから、幕も私が引かねばならなかった。
だから、止めたのだ。
止まっていた自分の時計のねじを自分の意志で巻いて、また人生を始めた。
不登校の事を思い出していて、今の自分の生活と似ていると思った。
自分の時間を自分で使い、自分の為だけに過ごす毎日。
でも、自分の人生を歩んでない毎日。私はQちゃんの腕にぶら下がり、Qちゃんに人生を歩んでもらっているようなものだ。
これは、私が専業主婦だからという事ではない。
私が、自分をすっかり見失っているから。
そして、気付く。同じように。
「人生を取り戻せ」
私は自分に思う。誰に取られたわけではない。
私が投げ出してしまった自分の人生を取り戻さなければ。
しっかりと歩こう。どうなっても。
このまま、失い続けるより、自分から手放した方がいいものだってあるのだ。
私は家族を得た。理解者を得た。
だから、これ以上欲張ってはいけない。
手放す勇気を持とう。11歳の私に出来て、29歳の私に出来ないなんて、そんな話はないはずだ。
だから、仕切りなおす。そして、人生を取り戻す。
私には、それが出来る。私だけでもそう信じよう。
by ミズキ