_ ネットの力 2004-12-10
外に行く時は、ほとんど買い物で、それ以外は家にいます。
遊び回るほど、東京に友達もいなければ、一人で行きたいと思うところが少ないのです。
きれいなもの、好きなもの、珍しいもの。
そういったものを見ることは簡単だけれど、一人で見ても、勿体無い気分になります。
共感は出来なくても、誰かと体験したいし、それについて語り合いたい。
そう思うので、平日はハローワークに行ったり(割と義務)、お買い物に行くぐらいです。
そういうと「何しているの?」と聞かれる事がありますが、家にいてもする事はたくさんあって、時間は足りません。
掃除、洗濯、アイロンがけ、それだけで午前中なんてあっという間だし、クリスマスカードを作ったり、手紙を書いたり、お菓子を作ったり、写真の加工をしていると3、4時間なんて、盗まれたんじゃないかと思うぐらい、すぐに過ぎていきます。
出来るだけ止めようと心がけているのが、ネットサーフィン。
これは、夢中になると、何時間も無駄にPCの前で過ごす事になります。
もっとも、全てが無駄になるわけではなくて、面白い話や興味深い話題もあるのですが、そこにあることの裏づけなんかを取り出すと、大変な時間がかかります。
そういうわけで、気をつけているのですが、今日はぼんやりとネットサーフィンしちゃいましたよ。
そして、こんなサイトを見つけてしまいましたよ。
堂々と、むしろ爽やかなぐらい「ラブドール(今はこう言うのですね)」にコスプレさせている様子を語り続けるサイトまであるとは思いませんでした。
しかも、かわいいんですよ。そのドールが。
ちゃんと「いまどき」の顔をしているのですから、びっくりです。
ネットって本当に個人的な趣味嗜好を匿名で赤裸々に語れるわけですから、こういうサイトを見るたびに、その恩恵と魔力を感じます。
ちょっと前にラジオで「その甘ったれた、ぶった話し方が嫌いなので、変わって欲しい」とメールをされたパーソナリティがいました。
私はそれを聴きながら、「おかしな事を言う人がいるものだ」と思ったものです。
だって、「選択権」は常に私たちにあるのです。
「嫌い」なら、聴かなければいい。私達はスイッチを切るという権限を持っているのです。
それをわざわざ本人に直接送ってみるというのは、おかしな事だと思ったわけです。
もちろん、万人に非難されるような人ならそういう事もあるかもしれません。
ですが、彼女の話し方は万人に非難されるようなものではなかったと思うのです。
私個人としてはあまり好きではなかったのですが(公的な場での話の内容であるという思慮が感じられないタイプだった)、ただ若年層に好まれるタイプでもあろうと思われるので、賛否両論あるわけです。
ただ、ラジオの番組数というのは限界があります。そういう場合に、そう異議申し立てもしたくなるのかもしれません。
ただ、それがネット上となると話は別です。
サイトは本当に星の数ほどあり(日本語のサイトとなると限定はありますが)、語る方もあくまでも「自分自身」について語り続け、見る方も「自分自身」に合うものだけを選択していくわけです。
そうなると批判を受ける率も上がりますが、同時に賛同を得れる可能性も高くなるとも言えます。
また「日常での関わりがない」、つまり「非日常である」という気安さから、日常では好まないものを好んでみたり、賛同する事もあるでしょう。
規制のないこの世界に、多くの批判があり、問題があります。
でも、そういう自由さを感じる時に、ネットのプラスの力というのも強く感じます。
私自身、ネットで日常では出会えない人達と出会い、相手によっては日常になるまでのお付き合いまでさせて頂いている事を考えれば、その恩恵を十二分に受けているのですから。
ただ、道具である以上、常に自分が「使い手である」という自覚とコントロールをし、選択をしていかなければいけないとネットのある生活が今までより身近になって、思い知らされています。
献立
・鶏肉のケチャップ和え
・豆腐とわかめの味噌汁
・イカの天ぷら
・さつま揚げ
・だし巻き卵
・こんにゃく煮
・プチトマト
by ミズキ