暮らすこと。 2004-12-29 - へびあし。


_ 暮らすこと。 2004-12-29

今日はQちゃんも本当に休み。

大分体調も戻って、PCで遊ぶ。

私はひたすらに案内状作成。

こういう作業は私の方が向いているのは十分に分かっているが、手伝ってももらえないと本当に不満。

私だけの結婚式でもないし、私だけの友達ではないと思うのですが?

でも、私はお願いした事はすぐにやって欲しい。

すぐにやれないなら、手伝ってもらう意味がない。

自分がその作業にかかる時間を短縮するためにお願いをするのだ。

すぐでなければ、私は他の作業が出来ないし、同じ事だと思う。

でも、彼はそうは考えない。

頼まれたからやるけれど、後で、という事が多い。

だから、基本的に彼に頼まない。

ただ、これは今後の生活を考えても、お互いに譲歩した方がいいだろう。

私が全ての事をやる事は出来ない(やがて疲れ果てる)、彼の歩幅も理解しなければと思う。

私は昔から嫌な事はすぐに片付けたい。

そうしないと、その後にある楽しいことを楽しむ事が出来ないのだ。

だからこそ、自分が誰かにものを頼み、その間に自分が楽しい事をやる事もあまり得意ではない。

それも楽しめない。だから、人に物を頼むのが本当に苦手。

ただ、そのせいで機嫌が悪くなったり、疲れてしまうなら、付き合っていく方が気分が悪い。

今は家庭内の家事は全て私がやっているけれど、仕事を始めるとそこだって考え直さないといけない。

押し付けるという事と、お願いをするという事は根本的に違う事なのだ。

そこを理解しよう。

そして、気持ちのよいお願いの仕方を学ばねばならない。

これは私のこれからの課題だ。

これからの時間を考えると決して長くはないけれど、付き合った期間に対しては短くない時間を一緒に暮らしてきた。

それでも毎日は平坦でなく、喜びも悲しみも戸惑いも足繁く訪問してくる。

愛情の有無ももちろん大事な要素ではあるが、本当に自分以外の誰かと暮らすという事は、なんと学びの多い事だろうか。

5年近くの間、一人だけで好きなリズムで生きてきた。

喜びも悲しみも部屋の中で一人でいる間は、全て私だけのものだった。深く、深く、昏々と眠った夜も、眠れずに見つめた天井との時間さえ、私だけのものだった。

きっと心を許した人に対してでさえ、ONとOFFの私があっただろう。

私は、一人という時間の柔らかい甘さを、誰かと喜びを分かち合う愛おしさと同じく愛しているのだと思う。

この人と一緒に暮らすという事を決めた時に、私はその一人の時間への愛情をそっと心の奥底にしまった。捨ててきたのではないのだと思う。

そんな「どっちを取り、どっちを捨てるのか」という事を彼はもちろんのこと、私だって私自身に迫ったりはしなかったから。

捨ててきて、今の生活があるのではない。

ただ、時折そっと身近ではなくなったその時間に思いを馳せることはある。

そして、今の時間を振り返る。

互いの譲歩と努力で成り立っている生活は、一人の時よりもずっと不安定に感じる。

だからこそ、私は人に学び、時間を重ねるのだろう。

「苦楽」だけで選択できない事だってあるという事を知っただけでも、大きな学びなのだ。

大きな飛躍は日常にはない。ただ、いかに上手に積み重ねていくかなのかもしれない。

これから、2人でそれを身につけていくのだろう。

長い長い時間をかけて。

何があっても、毎日に付箋を付けていく事を忘れないようにしよう。

毎日が「今日という新しい一日」だという事を。

案内状は無事に、夜、投函する。