流れゆく景色を見ながら思う 2002-10-16 - へびあし。


_ 流れゆく景色を見ながら思う 2002-10-16

「お嫁においでよ」

ちょっと酔った顔をして、その人はそう言った。

私はその時、20歳そこそこの大学生だった。

「ちょこちょこと動いて世話をしてくれるし、料理も好きだから、うちにお嫁においでよ」

お酒を飲んだ後に三人で夜のドライブをしている時だった。

都市高速が見える、景色のいい場所を走り抜けている時にその人はそう言った。

今でもどの辺を走っている時だったかを言えると思う。

後になって、その人との会話を思い出して、人ってどうしてこうもさして重要でないことを聡明に覚えているのだろうかと妙に切なくなった。

とても豪快で、ちゃんとずるくって、正直な人だった。

私は当時、とても生意気な20歳だったけど、そんな私を笑って「妹」にしてくれていた。

その人は、私の「ねーちゃん」だった。

あの日、どういう流れで一緒にいたかは、もう忘れてしまった。

ただお酒が入って、ねーちゃんはいつもに増して陽気で、私に「嫁にこい」と言ったのだ。

他愛もない会話の断片。

とても大切な時間を一緒に過ごしてきたのに、思い出すのはいつも飲んだくれたこの時のセリフだ。

一緒に悔し涙を流した時でもなく、一緒にクタクタになるまで笑った時でもない、飲んだくれたこの思い出だ。

「もっといい時を思い出しなよ」

渋い顔でねーちゃんは思っていることだろう。

今朝、電車の中から流れる景色を見ながら、冒頭のねーちゃんの声が聞こえた。

こうして文章にして公開してしまう事にとても迷ったけれど、いいんじゃないかな、と思った。

感傷的な気持ちもあったし、残しておきたい気持ちもあったし、見てもらいたい人もいた。

だから、いいんじゃないかと思った。

「二度と得ることの出来ない思い出は脚色され美しさを増していく」という人もいるだろう。

でもいつも思う。

「二度と会いたくない」と「二度と会えない」では、大きく意味が違うと。

どちらがいいとも悪いとも私には言えない。

ただ、もうあの時のねーちゃんの歳を私は追い越してしまった。

そして、ねーちゃんの時は止まったままであり、私はもうねーちゃんに「二度と会うことが出来ない」のが事実であるという現実が、あの時から目の前に横たわっている。