_ 「語られないこと」の行方 2001-10-14
観に行きました!「第三舞台」の公演。
面白かった~♪
やっぱり、「生の迫力」がありましたね。
同じ脚本でも「一回きり」であることが、やっぱり魅力でしょうか。
セリフをかんだりする所も、また良かったりして。
とにかく、楽しかったです。
その公演の中で、こんなやり取りがありました。
自分の旅行の思い出は、しゃしん等で語り継げる。何度でも楽しめる。
友達との旅もしかり。
では「終わってしまった恋人」との思い出は?
感情のやり取りは?
二人だけの小さな事件は?
終わってしまうことの、寂しさは「もう語られないこと」かもしれない。
それは、どこへ行くのだろう?
・・・・・そういうやり取りです。
確かに、と妙に考えてしまいました。
思い出すことは、あるでしょう。
でも「語る」ことは、ないような気がします。
「なかったこと」にする人もいるかもしれません。
何にせよ「終わる」というのは、そういうことなのでしょう。
でも、私の男友達の中には、私の「元恋人」もいます。
私たちは、時折懐かしみながら「恋人同士だった時」の話をします。
私には、本当は「語られなくなる」はずの話をやり取りする相手がいるのです。
年に一回会うか、会わないかの私たち。
彼は結婚しているし、別にもう二度と私たちの間に「恋愛感情」が生まれることはないけれど、それでも彼と他の男友達とは、ちょっと違います。
「恋人同士」だった時よりも、もっと近いところで付き合っている。
「親友」という表記より「心友」という表記が近い友達。
その距離は、「語られないはずの話」を共有できる、共犯者心理からくるものかもしれません。
彼との「昔の話」が、ちょっとした非日常感を伴うのは、「語られない」はずの話をするからなのかな、などと思ったりしました。
いくつかの「語られない思い出」は、どこへ行ってしまったのかわからない中で、これはとても幸運なことかもしれません。
もっとも、「なくなるはずのもの」を語れるようになるまで、私たちは、五年以上の月日を必要としたのですけれど。
久しぶりに、電話でもしてみるかな。
by ミズキ