_ 創られた現実 2002-02-02
巡りあわせがあって、『劇団四季』の「ライオンキング」を観に行ってきた。
ミュージカルは、正直言って好きじゃなかった。
セリフの途中で、あの、歌ったり、踊ったりするテンションについていけない気がしていて・・・。
でも、言おう。
素晴らしかった。
「観せること」を、そして「観せることによって魅せること」を、意識し、計算された舞台だった。
例えば。
ライトアップされた青い布がゆっくりと中央部から舞台下に吸い込まれていく。
まるで、舞台下から、巨大なストローで吸い込んでいくように。
少しずつ、少しずつ、舞台の中央から青い布が消えていく。吸い込まれていく。
それは、「干上がっていく湖」なのだ。
「やられた!」という気分だ。
観せるということを最大限に生かされて構成されている、虚構の世界の時の流れが見える。
以前、学祭の小さな舞台で「不思議の国のアリス」をやったことがある。
その時に、大きくなったり、小さくなったりするアリスの様子を表すのに、大きくなった時は「小さな道具によって構成された舞台」を準備し、小さくなった時は「大きな道具によって構成された舞台」を作った。
「目の錯覚」の効果を狙ったのだ。
同じような発想の(もちろん、もっと高等で洗練された)ものが次々と現れて、視線を釘付けにする。
ライオンが走る。
でも走るのは、ライオンだけじゃない。
ライオンが駆け抜けている、草むらが走る。
(すごいのは、ここだ。「草むら」が走るのだ!)
そうすることによって、ライオンの速度が増したように感じる。
挿入された歌は、自然たちの息遣いだ。
風が吹く。
草が揺れる。
その音が、歌で表現される。
そうだ!
普段から木々たちは、あんなにも歌っていたではないか!
言葉は力を持ち、音にのり、響きあい、メロディを作る。
メロディは、目の前に現れた虚構の世界の息遣いだ。
そこに、その世界があることを感じさせる。体感させる。
言葉に、音に、これほどの力があるのかと思い知らされた。
また、博多弁を巧みに操るミーアキャットといのしし。
「えずか~(恐い)」
「ぐらぐらこくね(頭にくる)」
「戻ってきんしゃい(戻っておいで)」
「こんまーかとよ(小さいんだよ)」
などなど。
祖父母の会話を聞いているようで、懐かしくもあり、嬉しくもあり、くすぐったくもある。
笑いと驚きと感動の三時間弱でした。
本当に一見の価値ありです。
ぜひ、観れる方は足を運んでください。
私もチャンスがあれば、もう一度観に行きたいと思ってます。
本当に、贅沢な三時間でした^^
by ミズキ