へびあし。

サイト名通り、「蛇足」な日々を書き綴ります。
まぁ、ボチボチ、まったりと。
携帯版は、こちら。
http://d.nslabs.jp/m.rb?u=mizuki


_ 深刻に読まないでください^^; 2002-04-22

最近の私。

どうも、最近夢見が悪い。

考え事をしながら床に付くと、そのまま夢の中まで考え事をしていて、結局考え事をしながら目が覚める。

寝ている状態と、起きている状態の境が曖昧だ。

あと、最近非常にひとり言が多い。

大丈夫です!

壁に話し掛けたりはしてませんから。

まだ。

_ 気持ちの洗濯 2002-04-21

映画「友へ」を観ました。

恥ずかしながら、泣きました。

実は私、涙腺がゆるいのです。

ちなみに、「クールランニング」を観て泣きました。

本当です。

(・・・っていうか、泣けるでしょ?あれ。)

ただ、「友情映画」っていう触れ込みは間違ってると思います。

「韓国ヤクザ友情映画」が正解じゃないかと。

ドロドロした愛憎劇が増えている昨今。

なんだか、ピュアな気持ちになりました。

いや、血はいっぱい出る映画ではあるんだけど。

ここのところの映画にない、気持ちの純粋さが感じられて、本当に胸を打たれました。

やっぱり、作り物の中にぐらい「純粋さ」があってもいいと思うんだけど、最近は本当にそういうものが少なくなりましたね。

人間自体の気持ちが病んでいるような気がしてなりません。

国内外問わず。

今日洗濯した気持ちを明日綺麗に干し上げたいと思います。

_ 私。 2002-04-20

私は、私でいることしか出来ません。

ワガママで、身勝手で、私自身に一生懸命で、それで手一杯です。

それ以外を望まれれば、私は私自身を止めて生きなければなりません。

私じゃなくなって生きることなんて、何の意味があるんでしょう。

たとえ私というものが確立されていなくても、私は私として生きることを模索しながら求めていて、

私には私を放棄する苦痛に耐えれる自信がありません。

私が追い詰めて、傷つけてきた人たちのことを忘れたりはしない。

それでも、私は私でいることしか出来ない。

それが、今の正直な気持ち。

「気持ちの冷たいやつだ」と何度も言われてきたけれど、その言葉も受け入れることしか出来ません。

本当に、ごめんなさい。

せめて、迷惑をかけないと啖呵を切れればいいのにね。






_ 心の栄養 2002-04-19

講演会を聞きに行った。

期待していたような内容からは、少しずれていたけれど、とてもいいお話を聞くことが出来た。

人が人を生かすことに全力を注いでいる。

それは、ともすれば、傲慢な考え方だと捉える人もあろう。

でも、それに救われている人がいる。

自分のしてきたことを真っ直ぐに話される姿が印象的だった。

追求しているもの、それによって得るもの、それらが何であれ、一生懸命な取り組みは心を打つ。

己の姿を思う。

_ 難しさ 2002-04-18

手話の会で、手話で歌おうということになった。

ろうあ者の方を交えて、歌詞を見ながら、手話を当てはめていく。

「犬のおまわりさん」

「ウサギとカメ」

この二曲を使った。

ご存知の方が多いと思う。

「犬のおまわりさん」は何の問題もなかった。

問題は「ウサギとカメ」。

『もしもし カメよ カメさんよ~♪

 (中略)

 歩みの のろい ものはない

 どうして そんなに のろいのか』

『何を おっしゃる ウサギさん

 (後略)』

ろうあ者の方が聞く。

「『ものはない』の意味がわからない」

意味は説明出来る。

「一番のろいって言ってるんだよ」

でも「なんでこんな文章なのか」と文章の意味を聞かれても答えられないのである。

結局「『ものはない』の文章は『いきものはない』を省略して、『もの』になっている」と説明。

それでも納得はしてなくて、でも「仕方ない」という感じ。

そういう諦めに慣れている気がした。

ちょっと悲しい。

同じく、『おっしゃる』の意味がわからない。

「『言う』を丁寧にいってるんだよ」

これは、すぐに理解してもらえた。

ただ、手話に「敬語」は(確か)存在しない。

どんな状況で、どんな風に使われているかはピンとはこないのだろう。

通じないのは、構わない。

外国語を学ぶ上でも同じような躓きはきっとあるはずだし、それらは交流を深めたりすることで乗り越えていけるはずだからだ。

でも、今回私は「諦めること」に「慣れている」ように見えたその態度が悲しかったのだ。

こんな風にどのくらいのことを諦めてきたのだろうか、そう思った。

全てにおいて、諦めないで欲しいとは思っていない。

でも、何故か悲しかった。

なんとなく、なんとなく。