へびあし。

サイト名通り、「蛇足」な日々を書き綴ります。
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_ 元気なんだけど。 2002-01-30

また、病院に行ってきました。

朝早くから、頭痛で目覚めて、吐くし。

電車に乗れば、人酔いするし。

「歩く胃袋」の異名を持つ私が、食欲がないし。

(38度以上を出して以来、取っている食事の9割がおじやである。)

「いや~ん、やっば~い><」と私でなくとも思われるであろう。

幸い、発熱していないので、動くことは出来る。

動くとすぐ疲れて、歩く振動で吐き気が誘発されることを除けば、至って「普通」だ。

(今日ぐらい頭痛が酷ければ、普通ではないか・・・)

でも、上司に「その状態はすでに「普通」ではない」ので、「頼むから、病院に行って休んでくれ。治るまで、出勤しないでくれ」と言われる始末。

そういうことで、「ちゃんとした」病院に行きました。

きちんと診ていただき、きちんと説明していただき、なんだか治りそうな気持ちになりました。

「急性胃腸炎」と言われました。

それで、常時吐き気がするんだろうって。

あと喉も炎症を起しているので、それで頭痛がするのだとのこと。

頭痛は酷ければ・・・・・・って事で、処方されちゃいました。

座薬!(爆)

頭痛薬を飲みすぎで、実はバ○ァリンも効かない今日この頃。

やばいっス。

頭痛がなければ、吐くこと以外は問題ないんだけどね~。

う~ん。

_ 君の名は。 2002-01-29

彼は、無口で、クールだ。

働きものなのだけれど、その活躍の場を与えられることは、非常に少ない。

彼の仕事には無駄はない。

自分が出来ることを声高に謳ったりはしないけれど、実は多才だったりもする。

私をさりげなくサポートしてくれたりして、かなり助かっている。

友人は少ないのか、その存在はあまり知られていない。

先日、実に一年ぶりに彼の仕事振りをみた。

相変わらず、素敵だった。

彼の名はFAX。

彼のこなした仕事の多くは、方向音痴の私のために書かれた地図を受け取ること。

いや~、友人の中でも私がFAXを所有していることを知っている人は少ないでしょうね~^^;

結構好きなんですけどね。

ただ、意外と少ないんですよね。

FAXを持ってる人って。

誰か私のFAX友達になってくれないかしら・・・・(笑)

_ 模索 2002-01-28

私の昨日の日記を読み、メモライズ仲間のぷよさんが『知らない世界に住む人との価値観の違い。』という文章を書いてくれた。

自分の書いたもの、特にこういった話題に、リアクションがあるのはとても嬉しい。

それで、それを受けて、私の思うことを書こうと思う。

今、健聴者である私の身近にろうあ者がいる。

私達は、時に友人であり、飲み仲間であり、先生と生徒であったりもする。

私達は「音」を共有出来ない。

でも、空間を、そこに起きる出来事を、共有することは出来る。

それで、十分じゃないかと思うのだ。

私達の世界はひとつだ。

健聴者同士の全てが、一緒に過ごした時間の全てにおいて、互いを十分に理解できているだろうか。

そんなことはありえない。

それと同じ事だ。

音声言語を主体とする健聴者と手話言語を主体とするろうあ者はコミュニケーションをとることが難しい。

だから、私は手話を学ぶ。

地面から雨が降ることがないように、ろうあ者が音声言語を取得し、使いこなすことは困難だ。

だから、私は手話を学ぶ。

例えば、

 外国人に英語で道を聞かれた。

 私は答える術を持たなかった。

 となりにいた友人が代わりに答えてくれた。

 骨折をした。

 荷物と松葉杖を持っては、階段を上がれなかった。

 通りかかった人が荷物を持ってくれた。

これらのことがどれだけの意味を持つだろう。

私がしようとしていることは、こういうことだ。

健聴者が手話を覚えることを、「歩み寄り」と言う人がいる。

「歩み寄り」などではない。

上下などない。格差などない。

あるのは、ただ世の中が健聴者を中心とした作りになっているということだけだ。

「たまたま」健聴者の数が多かったということだけだ。

それが、認識の誤りによって、上下や格差を錯覚させることがあるだけだ。

綺麗ごとで言っているのではない。

本当にそう思っている。

手話を学ぶということは、ろうの方々と話をする手段を身につけることであり、時と場合によっては、彼らの「声」を代弁することが出来るようになるということだ。

私にとってそれは、道を聞かれたときに代わりに答えることであり、階段で荷物を持つことでしかない。

奉仕ではない。

犠牲などはない。

ろうの方々の中に、自分達の世界に、文化に、誇りを持っている人は多くいる。

ただ、それが私達の関係を隔てるものではないと思っている。

知らないものは、知ればいい。

ただ、私が憂うのは「知る機会の少なさ」だ。

健聴者有利の生活環境で、ろうあ者がそのことを「思い知らされ」合わせる事を強要されているかのごとくの現状の中で、私達はなんと知る機会が少ないことだろう。

それは、ろうあ者だけでなく、高齢者や身体障害者とも置き換えがきく事実だ。

私自身、そのことで幾度となく、戸惑ってきた。

どのくらいやれば、全てを知ることが出来るかなど、わからない。計れない。

ただ、どんな関わり方であれ、私は一生涯学び、知ろうとする人間でありたい。

そして、可能な限り「知る機会」を増やす活動を支援し続けていくつもりだ。

解答など、ないのかもしれない。

終わりだって、ないのかもしれない。

でも、変わる事はある。

時間はきっと味方であると信じている。

等身大の私で、決して無理も、背伸びもせず、続けていこうと思う。

願わくば、この文章を読んだ方の気持ちの片隅にでも、何かが残りますよう。

出来れば、感じたことをカキコいただけると、幸いです。

ひと言でもいい。何かお願いします<(_ _)>

_ 足元がすくわれたりする認識 2002-01-27

実はずっと、「障害者」(その言い方の賛否も棚上げする・・・って、一々断り始めるとキリがない。今回は本題以外は目をつぶって頂きたい)と呼ばれる人々は、ある意味ひとくくりだと、漠然と思っていた。

もちろん、障害に違いはあるし、だから障害者は必ず助け合うものだと思っていたというわけではない。

だた、「障害者」の中では、彼らは平等であるかもしれないと思っていた。

自覚して、愕然としたりもするが。

本日、福岡市聴力障害者福祉協会が主催の「新春のつどい2002」に参加してきた。

参加といっても、報告会という感じだったので、聞く(いや、見るか)のが主だったのだけれど。

そこで、「第19回デフリンピック(世界ろう者競技大会)」の報告があった。

障害者の競技大会といえば、(最近は知名度も上がっているので)思い浮かべていただける大会名があると思う。

そう「パラリンピック」である。

報告では、「パラリンピック」の名を上げ「デフリンピック」の知名度の低さを嘆いておられた。

いや、待て、である。

私の記憶に間違いがなければ「パラリンピック」は「障害者競技大会」なのではなかったか。

調べたら、「日本ろう者スポーツ協会」の名が、日本パラリンピック委員会加盟競技団体名簿の中にちゃんとあった。

よくわからない。

よく分からないのは、その場で解決したい性質である。

いつも手話を教わっているYさんに聞いてみた。

「なぜ、『デフリンピック』なるものをやるの?

 パラリンピックと同じじゃいけないの?」

「障害が違うんだよ」

(言葉は違うかもしれない。言葉のニュアンスで受け止めないで欲しい。

Yさんはろうあ者だ。あくまでも私がそう訳したということ。)

しかし、彼の返答としては、そういうことだ。

考えもしないことだった。

その時に初めて、「障害者は障害者の中で平等だ」と勝手に思い込んでいた自分に思い当たった。

そこに存在しているのは、重・軽の違いではないと思う。

障害の種類が違う。

そのことが、大きな意味を持っていた。

世間一般的に『ボランティア』に分類されることに関わり始めて、6年以上が経つ。

今改めて、思う。

『ボランティア』ってなんなんだろう。

『バリアフリー』ってなんなんだろう。

_ 病の床で・・・。 2002-01-26

病の床で、恋しかったもの。

・桃缶

・レモンを絞って、炭酸水と蜂蜜をいれたもの

めちゃめちゃ、恋しかったです。

思わず、高村光太郎の『レモン哀歌』を病の床で暗唱しちゃうほど、恋しかったです(笑)

思いが通じたのでしょうか。

26日の明け方、嘘のように、熱は引いていきました。

油断せずに、養生いたします。

みなさまも、病にはお気を付けて。