へびあし。

サイト名通り、「蛇足」な日々を書き綴ります。
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_ 「秘密」 2002-02-04

わりと、察しがいい方だったりする。

それは時折、私をせつなくさせる。

「秘密」が生じる。

それは、様々な条件化で生じる。

「秘密」という結果が出るためには、「理由」という原因はもちろんある。

笑って済ませるものもある。

二度と本心から語り合えなくなったりするものもある。

気付かなければいいと思う。

「気付かない幸せ」は、きっとある。

「気付いた幸せ」と割り切れないこともある。

だから、察しがいいのは、とてもせつない。胸が痛い。

「秘密」にしようという努力を、どうしてだろう、知りたくないのに知ってしまう。

感じ取ってしまう。

覚えようなどと意識をしていない会話が、記憶の中に残っている。

ただの言葉の羅列だった、単語が、文章が、あることをきっかけに点と線をつなぐようにひとつになって「秘密」を指し示す。

知ってしまったせつなさ。

秘密を持たれようとしていた事に対する悲しみと感じなかった溝があったことを知ってしまった事実。

やるせない想いになったりします。

東野圭吾の名作「秘密」。

決して「約束」とか「告白」とかいったタイトルではありません

内容からイメージしちゃうタイトルではありますが。

「約束」も「告白」も^^;

どっちだったっけ?ともめてたら、どちらも違ったのでした(爆)

_ 梅見 2002-02-03

梅見に行ってまいりました。

祖父母の家に^^;

柿畑に、梅がいっぱいあるのです。

まだまだ、半分も咲いていませんでしたが、咲く直前のつぼみのふくらみが、「春への喜び」を抱きかかえているようで、見ていてとても嬉しくなりました。

かわいそうだったけど、いくらか枝をわけてもらいました。

帰宅して、生けて、玄関に飾りました。

え~、自分で言うのもなんですが、上手じゃないです、生けるの(笑)

それでも、どんな扱いでもきれいなものはきれいなので、いいんじゃないかなと思います。

写真は、後日アップしたいと思います。

春はもう、すぐそこです^^

_ 創られた現実 2002-02-02

巡りあわせがあって、『劇団四季』の「ライオンキング」を観に行ってきた。

ミュージカルは、正直言って好きじゃなかった。

セリフの途中で、あの、歌ったり、踊ったりするテンションについていけない気がしていて・・・。

でも、言おう。

素晴らしかった。

「観せること」を、そして「観せることによって魅せること」を、意識し、計算された舞台だった。

例えば。

ライトアップされた青い布がゆっくりと中央部から舞台下に吸い込まれていく。

まるで、舞台下から、巨大なストローで吸い込んでいくように。

少しずつ、少しずつ、舞台の中央から青い布が消えていく。吸い込まれていく。

それは、「干上がっていく湖」なのだ。

「やられた!」という気分だ。

観せるということを最大限に生かされて構成されている、虚構の世界の時の流れが見える。

以前、学祭の小さな舞台で「不思議の国のアリス」をやったことがある。

その時に、大きくなったり、小さくなったりするアリスの様子を表すのに、大きくなった時は「小さな道具によって構成された舞台」を準備し、小さくなった時は「大きな道具によって構成された舞台」を作った。

「目の錯覚」の効果を狙ったのだ。

同じような発想の(もちろん、もっと高等で洗練された)ものが次々と現れて、視線を釘付けにする。

ライオンが走る。

でも走るのは、ライオンだけじゃない。

ライオンが駆け抜けている、草むらが走る。

(すごいのは、ここだ。「草むら」が走るのだ!)

そうすることによって、ライオンの速度が増したように感じる。

挿入された歌は、自然たちの息遣いだ。

風が吹く。

草が揺れる。

その音が、歌で表現される。

そうだ!

普段から木々たちは、あんなにも歌っていたではないか!

言葉は力を持ち、音にのり、響きあい、メロディを作る。

メロディは、目の前に現れた虚構の世界の息遣いだ。

そこに、その世界があることを感じさせる。体感させる。

言葉に、音に、これほどの力があるのかと思い知らされた。

また、博多弁を巧みに操るミーアキャットといのしし。

「えずか~(恐い)」

「ぐらぐらこくね(頭にくる)」

「戻ってきんしゃい(戻っておいで)」

「こんまーかとよ(小さいんだよ)」

などなど。

祖父母の会話を聞いているようで、懐かしくもあり、嬉しくもあり、くすぐったくもある。

笑いと驚きと感動の三時間弱でした。

本当に一見の価値ありです。

ぜひ、観れる方は足を運んでください。

私もチャンスがあれば、もう一度観に行きたいと思ってます。

本当に、贅沢な三時間でした^^

_ 夜明け前 2002-02-01

何もしなくても、ただそばにいるだけでいいこともある。

それだけで、流れる涙を止められることもある。

ふいに、して欲しいことをしているのだと気付く。

結局、救われているのは、私の方。

それでも言おう。

私は、あなたが好きなのだ。

だから、泣かないでほしいのだ。

そばにいるから。

会いに行くから。

自分自身を抱きしめるように、あなたの気持ちを抱きしめよう。

大丈夫、朝の来ない夜はない。

_ 小さな幸せ 2002-01-31

日常買わないものって、買い物に行っても、ついうっかり忘れてしまうことが多い。

そのついうっかりを一週間続けて、毎晩暗いお風呂に入り続けた。

お風呂場の電球が切れていたのである。

うちは洗面台が独立しているタイプの造りなので、顔を洗う時に困ったりはしなかったので、必要性をあまり感じていなかったのかもしれない。

第一、元々視力が激しく悪い私にとって、眼鏡を外してはいるお風呂場は、「まったく見えていない状態」なのである。

それに今更、少々暗いからと言って、何の不自由があるというのだ。

買い忘れ二日目ぐらいまで、己の記憶力の悪さを呪っていたが、三日目になると、開き直り、四日目に至っては「むしろない方が地球に優しいかもしれない」と思うようになった。

いいかげんなものである。

五日目になって、本当に心底どうでもよくなってきた頃、ハタ、と実家の母を思い出した。

彼女には、電気を消したお風呂に入る習慣がある。

実家に住んでいた頃、真っ暗な風呂場から、奇妙なリズムの水音が聴こえてきて、奇妙な気分になったものだ。

「何で、電気を消してはいるのよ?」

と言った私に、母はケロリとしていった。

「何で、電気をつけてはいるのよ?」

よく分からない人である。

その人と同じ事をしているのだと思うと、嫌な気分になった。

調子が悪くて、買い物のままならなかったが、本日買い物に出た折に忘れずに買ってきた。

母と私は違うのである。

<o( ̄^ ̄)o> エッヘン!!

明々と照らされたお風呂場を見て、妙に贅沢な気分になった。

そんな些細なことで幸せになれたりする私は、まったく頭の中が春だなぁと思った冬の一日でした。