へびあし。

サイト名通り、「蛇足」な日々を書き綴ります。
まぁ、ボチボチ、まったりと。
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_ 一年を振り返って。 2001-12-31

今年は、「出会い」の多い年でした。

ネットでの出会い。

仕事での出会い。

プライベートでの出会い。

とにかく、色々な方と出会えた一年でした。

様々なことを教えてもらいました。

本当に、本当にありがとうございます。

来年もよろしくお願いいたします。

_ 空白の10年間と共に過ごした10年間 2001-12-30

昨晩、十年ぶりに友達に会った。

友達、といっていいものか、ちょっと迷う。

十年ぶりに会ったI君は、私の中学時代の憧れの君だ。

恋愛対象というよりは、尊敬していた。

そして、文字通り「憧れて」いた。

I君は、自分に正直な人だった。

中学生らしい無邪気さと実績に基づいた自信とを同居させている人だった。

十年ぶりに会ったI君は、あまり変わっていなかったように思う。

変わっていたところは、「守るべき人がいる」人になっていたことぐらいだろうか。

私の知る限りの彼らしい優しさで、彼女を守っているように見えた。

そして、青年らしい謙虚さが見え隠れしていた。

十年前の私の予想通り、彼はとても素敵な人になっていた。

短い時間だったけれど、私はとても楽しく十年という「空白の時間」を埋める作業を楽しんだ。

そして今夜、付き合いが十年になる友人達と会った。

相変わらずの様子に、呆れつつ、安心した。

明らかに、私達は変わっていっている。

でも変わっていく時間を一緒に過ごしている。

十年前は、私達は「疲れた」という単語を使っていなかったように思う。

「疲れた」という単語の意味を体が知らなかった。

今、私達はそれを知りつつある。感じつつある。

十年前は、私達は何でも出来た。何にでもなれた。

そして、そのことを知らなかった。その意味を理解できなかった。

今なら、わかる。

変わることが悪いことだとは、私は思わない。

おそらく変わらなければ、前に進めない事だってある。

私達は、誰かが「変わっていくこと」を受け入れてきた。

そうしながら、私達は十年という月日を積み重ねてきた。

今夜もまた、重ねた時間を振り返りながら、楽しく過ごした。

こうした友人達がいることをとても幸せに感じる。

ありがとう。

そして、これからもよろしく^^

_ 今だから言えること 2001-12-29

今、所有している携帯で、かれこれ8台目である。

最近でこそ、携帯電話は誰でも持っているが、私がはじめて持った当時は、かなりの贅沢品であった。

通話料金なんて、目ン玉が飛び出るような金額だった。

当時、学生でありながら、私がそんな贅沢品を所有していたのは、単に私が「全然つかまらない人」であったからである。

片道2時間半の通学に、アルバイトを3つ、ボランティア活動をこなしていた私は、寝る時以外に家にいたことは、皆無と言っていい。

故に、常に友人達に「捜索願い」を出されてしまう有様で、かなりのブーイングだったのだ。

「いや~ん、これじゃ、友達をなくしちゃう~」

って事で、急遽対策を練ることとなった。

そこで、ポケットベルを持った。

これは、かなり不便。

先方の「用事があるのよ」という意思は伝わるのだけれど、私の状況は伝えられない。

「あとで、連絡するから」のひと言を伝えられない。

ストレスになった。

そして、携帯電話になった。

一台目だけ、PHSだったけど、それも電波状況が良くない(当時)とかで、すぐに携帯にとって変わった。

今は、病人を抱えているので、携帯電話は手放せない。

自分がすぐにつかまってしまうことに、私は何の抵抗も覚えない。

(たまに、束縛されて嫌だ、と言う方がいらっしゃるが、そういう方は糸電話でも所有されると良かろう、といつも思う。)

ただ、携帯電話を持つようになって、いろんな人との距離を感じるようになった。

すぐに、話したい人と話せることはとてもありがたい。

でも、会える距離との人とまで「会った」気になって「話した」事になってしまう。

また、同時に「この人とは、電話を使ってしか話すことが出来ない」という事も感じるようになった。

手紙は、未来へ向けて送る。

手紙を書いている時間を共有することは出来ない。

相手の手元に届き、封を開け、読み始めた瞬間へと綴るものだ。

メールにも同じ事がいえると思う。

届く時間は早くなっても、書いている時間の共有にはならない。

電話は違う。

特に、携帯電話は違う。

自宅の電話なら、その人が「家」という空間の中に所属していることを知ることが出来る。

その人の家の中を知っていれば、どんな状況で話しているかを想像することも出来る。

(変な意味じゃなくてね)

それが、携帯電話となると、どこにいたって話す事が出来る。

それはつまり、どこにいるかわからない、ということであり、どこにいるか分からないので、この電話を切れば、その人とのつながりがなくなってしまうように感じたり、「それしか、連絡しようがない」事実に愕然としたり、距離を感じたりする。

普段は、携帯電話と仲良く付き合っている。

でも、突然に、その存在が恨めしくなることもある。

今だから言ってしまうが、今のように手放せない状況でなかった頃、少なくとも3台は自分で使えなくした。

ちなみに方法はいろいろあるが、実は投げつけたぐらいでは壊れない(ただし、コンクリなどに対してなら分からない)。

空いていた水槽に、水を張り、泳がせたこともある。

それでも、携帯電話とは仲良しだった。

ちなみに当時支払った最高金額N社へ¥56.487です。

本当に、今だから言える話なんですけどね(爆)

_ 続・マクドナルド論争 2001-12-28

あちこちに飛び火しております、マクドナルド論争。

昨日の日記にて、名古屋でのレシートの話で、「マクド」優勢か?!と思われましたが、ワタクシは、「マック」派に有利な物を入手いたしました。

いひひ。

レシートを手に入れる宣言をしておりましたので、「朝マック」しました。

差し出されたトレーに、「マック」派優勢になる物が!!

物は手元にありますが、スキャナにかけて、アップすると著作権上問題がありますので、文面だけでご勘弁ください。

マックに行かれる方はお分かりかと思いますが、商品をのせるトレーに、季節ごとの商品案内が刷ってあるペーパーが敷いてあります。

その日、私が受け取ったトレーには漫画家、植田まさしさんの『マクドナルド劇場その④「おいしさにも科学がいるんだ」の巻』が載っていました。

そこの、お母さんらしき女性のセリフに

『マックでは一番おいしく飲める飲み物の温度が~(割愛)』

これは、マクドナルドが販売促進の一環として作っているものです。

つまりは、社名・商品をアピールするものです。

私は仕事上、こういった販促用印刷物を取り扱いますが、そこに入る文字・ロゴなどにはどこの会社も非常に神経を尖らせます(当り前なのですが)。

誤った名称をアピールしても、何の意味も成さないからです。

つまり、これはマクドナルドが販売促進印刷物に使用しても、何ら問題のない(むしろ、積極的使用)マクドナルドの呼び名と言える物的証拠です!!

ふふふ。

「マクド」派の方、いかがでしょう?

しかし、そこに心を奪われていた私は、レシートをもらい損ねました。

何しに行ってるんだか・・・・

レシートの件は、後日報告致します。

なお、物的証拠が見たいと言う方は、ご一報ください。

「マック」派、優勢でしょう!!

ご意見、当ページの掲示板にて承っております。

よろしくお願いいたします(笑)

_ 揉め事 2001-12-27

社内で、大変揉めている。

仕事が手に付かないほど、揉めている。

マクドナルドの通称として、どちらが正しいのか!

会社の大阪出身のKさんは、「絶対”マクド”だ」と言い張る。

確かに、マクドナルドの頭を取って、”マクド”と言うのは、理解できるけど、どうしても納得がいかない。

「Macintoshが”マック”なら、Macdnald’sも”マック”でいいじゃないか。」というのが私の意見。

100歩ほど譲るなら、短縮形としてなら、「マクド」でもいい。

でも、愛称は「マック」だと思う。

だから、「マックシェイク」「マックバーガー」になっているのだ!

論議はかなり、白熱した。

ちなみにネット上で調べても、かなりの数がヒットする。

その中で、とんでもないものを見た。

名古屋のマクドナルドで出されたレシートに「マクド○○店」と入っているのだ!!

レシートは、正式な領収書となる。

・・・・ってことは?

悔しいので、明日はマックに行って、レシートをゲットしてきます><

今日、残業になったのは、決して論議が白熱しすぎたからではありませんので。