_ 距離。 2001-10-22
「娘が難聴かもしれない」
今朝、そういうメールが入った。
メールをくださったその方は、私に様々なことを教えてくださった大切な人なので、私はその方がどんなにか心を痛めているだろうか、同じぐらいの思いで、何か言葉を返さねば、と思った。
それでも、たいした言葉は、返せなかった。
結局、浸出性中耳炎を起していて、今現状ではなんとも言えない、という事であったらしい。
私には「難聴」である、ということをとてもリアルに想像できた。
それでも、親の気持ちにはなれない。
ただ、子どもの気持ちなら、わかるような気がする。
私は、小学生の時から右足が「血管腫」である。
はじめの頃、どこにかかっても病名もわからず、両親がとても必死だったことを覚えている。
今だから笑えるけど、実はお払いまでしてもらったのだ。
そのぐらい、特に母親は必死だった。
「どうしてこの子が・・・」そんな気持ちだったのかもしれない。
私自身、最初の頃は、ショックだった。
寒くなると、赤く、打ち身のような斑点の出る右足。
痛みはないことが、気持ちが悪かった。
いっそ、痛ければ救われるような気がした時もある。
痛ければ「病気」になる。
痛みのない「血管腫」は、私にとって、ただの気味の悪いあざでしかなかった。
私がふっきれたのは、
「レーザーをあてれば、消すことが出来ます。ただし、一生消えているかはわからないし、増えていくのを止めることは出来ません。2cm四方を消すのに十万ぐらいかかるでしょう」
と言う話を聞いてからだ。
今は保険がきくらしいが、当時はきかなかった。
しかし、2cm四方に十万単位のお金と言うのは、子ども心に衝撃的だった。
恐かったのは、それでもやる、と言いかねない母の勢いだった。
どうして、母がそこまで必死なのか。
私が嫌がるからだ。
私が隠したがるからだ。
両親にもらった体をみっともないと私が思っているからだ。
「そうじゃない」とは言えなかった。
だって、私はスカートをはかなくなっていたから。
足を隠すようにしていたから。
それ以来、私は足を隠すのをやめた。
見咎められ、指摘されれば「不治の病なんです。およよ・・・」と泣きまねをして見せた。
繰り返すうちに、自分でそんな自分に慣れてきた。
何より、私をホッとさせたのは「血管腫」を気にしなくなった(ように見える)両親の姿だった。
私のことで、両親を悲しませたくはない。
それが「子ども」の気持ちだ。
『勝手な言い分かもしれないけど、お願いだから、今はまだ深刻にならないで欲しい。
幼い子は親の不安を敏感に感じ取ってしまうから。』
私は、その人にこんなことしか言えなかった。
もっと、他に言葉がなかったか、ずっと考えている。
by ミズキ