へびあし。

サイト名通り、「蛇足」な日々を書き綴ります。
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_ さてさて。 2005-03-14

「前向きで、非常に真面目な方だと話し方で伝わりますね」とある場面で言われた。

褒め言葉で言ってもらったのかもしれない。

それでも、心のどこかで「面白みがないって事?」と聞き返してしまったり。

素直じゃないなーって思う。

たまに、他人から見た自分と自分が思っている自分に大きな開きがあって、戸惑う事がある。

そういう時の焦燥感は、例えようもないものだ。

そう評価してもらっているなら、そんな自分にならなければ。

思って生きてきた。

いつもいつも、穴埋めする生き方をしてきた。

だから、今、とても自由な開放された気分を味わう事がある。

家にいれば、誰も私を評価しない。

良くも悪くも。

後向きだろうか。

でも、そういう事に疲れてしまったのだ。

たった、29年ぽっちで。

さて、これからをどう生きる?

_ そらまめ会 2005-03-13

学生時代にずっと、子どもたちと関わるボランティアをやっていた。

県やら市やらから、お金を巻き上げて運営費を得て行っているものに参加していた。

三年ほど。

楽しかったし、これがなかったら、私の学生時代はもっと味気ないものになっていたかもしれないと思う。

色々な経験を積んだ。良い意味にも悪い意味にも。

ずっと日常生活のようにして、毎日三年間関わってきたので、抜ける時はとても辛かった。

ただ、もう私はここでやれる事は十分にやったと感じていたし、これ以上いても、それはただの馴れ合いにしかならないのではないかと思っていたのだ。

その判断が間違っていなかった事を今、確信している。

なぜならば、三年もやってきて、今でも付き合いのある人なんて、ほんの一握りなのだ。

つまりそれ以外の人とは、馴れ合いで付き合った三年だったと言える。残念だが、卒業できない人と付き合えない事も事実だったので、仕方ないと思う。

それでも、これらの経験は私に色々な刺激を与えてくれた。

そして、これをやめようと決心した時、私は「新しいものを自分で作りたい」と思っていた。

規模なんて小さなものでいい。

企画をしたり、会議をしたりといった経験のない大学生たちに参加してもらい、「企画して作る楽しみ」を味わってもらい、子どもたちには今はなくなってしまった「子ども会」を体験してもらうような事が出来ないか、と思うようになっていた。

やる以上は、全ての責任は私に掛かってくる。

それでもやれるだろうか、と何度も思った。最悪の事態もシュミレーションした。

それでもやりたいと思った。出来るというのはおこがましかった。

一番に考えたのは、一緒に責任を負ってくれる代表者が欲しい、という事だった。

心細かったのではなく、私が主催になったからといって私の意見が全て通ってしまうという事態を避けたかった。

誰の意見も平等に取り入れ、皆で検討するために、私を止めてくれる人が必要だった。

そう思った瞬間、一人の人が思い浮かんだ。この人しかいないと思った。

その人は説得に説得をして、参加してくれる事になった。

その時に彼が、事故の事を一番に考えてくれているのがわかって、この人がいいと思ったのは間違いではなかったと思っていた。

その後、少しずつ、少しずつ、メンバーを集めていった。

大した数ではなかったけれど、それが大事な事だと思った。何かがあった時に自分が統率出来る人数である事も重要な要素だったのだ。

集まっていく中で、まず最初に決めたのは、会の名前だった。

親しみやすく、忘れにくく、私たちの趣旨が伝わるものは何だろう。

「そらまめ」というのが会の名前になったのは、何回目の会合だったろうか。

空豆とも表記するという事(豆果が空に向かってつくという事から)を知り、音もかわいいし、何より「空に向かっている」というのは、私たちにとって意味があるように思ったからだ。

ユニークでかわいい名前になったと思う。

私の意図としては、この名前会議の中でスタッフの性格を見て、今後の方針を立てるという狙いと会に対する愛着や自分たちで一から作っていくという実感を持ってもらうという意図があった。

そういうものを経て、会は無事にサマーキャンプを無事故で終了した。

クールな顔をしてやってきた「イマドキ」の大学生だった子達が、感動で泣いているのは「シメシメ」という気分だった。

その後も簡単なイベントを一度行った。

いつも本当に楽しかった。

この度、福岡に帰ってきたという事もあって、久しぶりにそのメンバーと顔を合わせた。

全員ではなかったけれど、みんな相変わらずで、とても懐かしかった。

成長を見たな、と思ったのは、

「当時はただ付いて行けばよかったけど、今、色々な事が分かるようになったら、自分が先頭にたってイベントをするなんてことは考えられない」という声が上がったことだ。

怖さ、というものは、その時々で感じ方が違う。

当時もその大変さや怖さは分かってはいたと思うが、今のこの瞬間とは大きく異なるものだろう。

それが分かるから、思い出を大事にしてくれてると思うので、とても嬉しかった。

今、私はジッと冬眠している。

それ自体は決して悪いことではないけれど、いつかは冬が明ける。

その時に、私は胸を張って、どこかへ出て行けるだろうか。

ふと、そう不安になることがある。

きっとそんな時は、この時の思い出が私を支えてくれるだろう。

今はそう信じている。

_ お財布 2005-03-12

結婚してから、お財布がひとつになりました。

まぁ、これはそうおかしな事ではないわけですが。

結婚を期に、苗字が変わり、新しい印鑑が必要になったので、Qちゃんが印鑑をプレゼントしてくれる事になりました。

今日印鑑が届いたのですが、家のお財布からお金が出て行ったので、微妙に「何か違う。。」と感じてしまいました。

夫婦になるとこういうところが、今までと異なってくるのですね。

印鑑はとても素敵で、細めの字が「女性っぽい感じ」でとても気に入っています。

しかし、全ての名義を変える作業にただならぬ面倒くささを感じます。

Qちゃんの苗字を変えてもらえばよかった(本気)

その後はドライブをして、とても感じのいい雑貨屋へ。

気持ちよい接客をされると、本当に満足します。

どうして、最近はそういう店が少ないのかな、と思った時に、やっぱり「そういう体験をしていない」というのと「仕事の本筋が理解できていない」「会社の方針がそこにない」という事なのでしょう。

ただ、不況になって言われている事は、これからは精神的なものが社会で流行していくっていう事です。

(歴史的な流れから言って、という事らしいですが)

宗教とか占いとか。

その中で、精神的な満足感を与えるというのは企業の中でも課題になるのではないかと思うのです。

それはひいては「社員満足度」でもあるのではないでしょうか。

私自身は何度かの転職をして、そこでの経験は何一つとして無駄ではないと思っているので、後悔はしていませんが、離職率の高い会社はやはりサービスの向上もないと思うのです。

そうするとやりがいと評価の社員満足度がお客様満足度に繋がっていくのでは?と感じるので、それを改善できない企業が減っていくか、それを受容してサービスのない社会になっていくのか、興味のあるところです。

サービスのない社会は、きっとお金を使うことが嫌に感じたり、それなら少しでも安いところへと人が、お金が、逃げて行ったりして、本当に悲惨なものとなる事でしょう。

ずっと、貧しい国となるのでしょうね。

心の中まで。

私は出来るだけ、受けたサービスには金銭でお返しして、いいサービスが残るように努めたいと思います。

同時に、悪いサービスに使っていくお金はどんどん減らしていこうと思います。

心が豊かであるというのは、本当に難しい事です。

_ 本物 2005-03-11

私が始めてインターネットを始めた時からのネット友達のちこさんがうちに遊びに来てくれた。

よく考えてみたら、これで三度目。

しかも二年ぶり。

もっとよく考えたら、二人だけで会うっていうのは初めてだと気付いた。

いつも旦那様とお子さんも一緒だったので。

久しぶりだから戸惑うかな、と思ったけれど、全然そんな事はなく(私の方は)たくさんの時間をずっと話して過ごした。

ゆっくり話すのは初めてで、メールだけでは分からない事もあるし、毎日顔を合わせない相手だから言える事だってあると思っていたので、たくさん話せて本当によかった。

しかも、主婦としては大先輩だしね。

緊張しましたよ、お招きするのは。

お昼は、私の野菜だらけの食事。

この季節、野菜がおいしいので、ついいつもの調子で。

あまりお待たせしないで出来るものってことばかり考えてました。

私の友達は、みな放置しておいても勝手に遊んでくれるので、時間のかかるものも作ったりするのですが。

次回は手の込んだものにします。懲りずに来てくれるといいなぁ。

夜は、Qちゃんの仕事の関係で、コンサートに。

内容については多くは語るまい。

ただ、やっぱり「生演奏」というものはいいなぁと痛感。

贅沢は敵だけれど、もっと心に良いものを与えてあげないと、貧相な人間になってしまうと思う。

そういう贅沢か栄養か、というところの見極めがいつも難しい。

専業主婦になって「節約!」と心に固く誓っているけれど、本は惜しみなく与えてしまう。

両親が幼い頃から、本だけは惜しみなく与えてくれたので、我慢が出来ないのだ。

ただ、これに関していえば、これは心の栄養と思っているので、やっぱり贅沢だとは思わないでいる。

でも本だけでは感じられない事も多くあって、それをどうやって判断するか。

とりあえず、好むか好まないかはわからないが「世界一」とか「日本一」などと呼ばれている「一流」に触れてみるべきか。

歳の若い時は、偽物でもよかったが、歳を重ねるにつれ、身につけるものも教養も知識も「本物」でなければ恥ずかしいなぁと感じるようになってきた。

知識は必要性を感じてからしか身につかないので、それでよかったのかもしれない。

今からゆっくりと自分の知識を深めていこう。

死ぬまで勉強だし、何かを始める時に遅すぎるという事はないのだから。

帰り道、Qちゃんの会社の人と一緒だった。

「会社で突然に屈伸をしたりするのでびっくりする」と言われた。

会社ではあまり変な事をしないように言わなければ。

しかも人よりでかいので目立つと自覚してもらわねば。

会社の人はどの人もいい人なので、安心した。

みんな同じ匂いがした。そこにいるとQちゃんも同じ匂いだった。

私とは違う、と思った。

別にそれは悪いことではない。同じ会社に勤めるわけではないのだから。

距離を感じたけれど、久しぶりに夫である人物を「よその男」と感じたのでそれはそれで貴重な体験だった。

夜は博多で飲んだ。

やっぱり何を食べてもおいしい。

3/11お弁当

献立

・コーンスープ

・かまぼこ

・肉味噌入り卵

・アンパンマンポテト

・温野菜(ゆずポン酢味)