へびあし。

サイト名通り、「蛇足」な日々を書き綴ります。
まぁ、ボチボチ、まったりと。
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_ 月曜日から、何ですが。 2004-05-31

上司が代休のため、何だかあちこちに謝ったり、確認したり。

うちの上司って、秘め事が多くてちょっと困ってしまう。

午後から、締切りが明日に差し迫っている二つの仕事をもりもりやっつける。

あー、火がつくのが遅すぎっていうか、準備に時間がかかり過ぎっていうか。

とにかく、ネタは出揃ったので、それを形にしていくだけなので、わき目も振らず、やっつける。

あんまり、真剣に仕事をしないがモットーなのになぁ。

夜にはメドが着き、とりあえず帰ってしまうことに。

帰らないとさー、これ以上やっても無理ジャン?って感じに頭の中がショートしてたので。

残業時間なんて、60時間を越えちゃったもんね。

そんな月曜日。

本当に持つのか、一週間?!

_ 我が家のご飯紹介。 2004-05-30

ちこさんに作った食事のUPをしてみたら?といわれたので、調子に乗ってUPしてみた。

今日は、朝は、家にあるものを載せたピザパン。

ピザパン

夕方にプリンを作り、

プリン

晩御飯はチキンの料理。

思いついて作ったので、名前はないけど。

写真は見えにくいけど、ご飯の横にチーズと薄切りのにんじんを挟んで焼いたチキンがあって、それににんじん・タマネギ・ピーマン・マッシュルーム・ホールトマトを入れて炒めてトマトジュースでソース状にしてご飯とチキンにかけたもの。

豆板醤なんかを隠し味にして、ちょっとピリリとすれば、もっとよかったかもな、などと思いました。

晩御飯

_ お出かけしてみたり。 2004-05-29

お給料も出たことだし、靴も欲しいしと銀座へ出る。

ふらふらと見ながら、プランタンで目が飛び出るような価格のスカートを衝動買いし、にわか成金気分を味わう。

安い女だわね、私。

本屋だの電気屋だのフラフラし、回るお寿司なんかを年単位の久しぶりさで食べて、帰宅。

あー、もう豪勢な気分を味わいましたよ。

たったこれだけで。

_ 百日目。 2004-05-28

あの夜から、百日経った。

私は、毎日を普通に過ごしている。

笑ったり、泣いたり、苦しんだりしている。

日常は何も変わらない。

それでも、思う。

「会わない事」と「会えない事」の違いを。

私は、祖父に二度と会えない。

長い闘病生活と入院生活とで、祖父はもうとっくに私を知っている祖父ではなかった。

私は、彼にとって、何者でもなかった。

でも、それが何だと言うのだろう。

私は、この人にとても愛されてきた事を十二分に知っていた。

何度も、この人に助けられてきた。

自分の人生に関わってきた人達のどの人が欠けても、今の自分がないことは十分に分かっているけれど、それでもそういった事を超えて、私の心の奥底にあるものを作ってくれた大事な人で、私に惜しみない愛情を与えてくれた人だった。

事実は、受け入れていかなければいけない。

「家」を出る時、私は何度も自問したはずだ。

大事な人を見送れない可能性を。

そして、私はその覚悟をして、ここに来た。

それは、よく分かっている。

それでも、もし、願いが叶うなら。

最後に一言でも言葉を交わせたら。

感謝を、せめて伝えられたなら。

そう思いながら、手を合わせた。

_ 東京にいる私。 2004-05-27

「東京に来て、どう?」

なんて、たまに思い出したように訊かれる。

東京に来て、色々なことがあった。

たくさんの人に出会った。

東京にしかないものもあった。

でも、同時に。

福岡で、たくさんの人としばしの別れをし、福岡にしかないものを置いてきた事実の上に成り立っている。

福岡には、つまらない話を聞いてくれる多くの友達がいた。

突然に訪ねてきたり、突然に訪ねていったり出来る人がいた。

そういうものを私は全て置いてきた。

それでも、私は口にして言える。

「東京に来てよかった」と。

具体的な理由など、答えられはしない。

得るものばかりでなく、失ったものだってあったのだ。

それでも、私は逆らいがたい何かの流れに乗って、ここに来ているのだと思っているし、その選択に後悔はない。

「ここで何かをなさねば」と使命感に燃えているわけでもない。

ただ、しっかりと目を開き、耳を澄まし、様々な情報を拾い上げ、口を開き、必要な発言をしようと思う。

どこにいて、何をしていても、私は私以外の何者かになる事は出来ない。

今私がやっているのは、「私」が「私以外」に変わる事ではなく、「私」が「私らしく」変わっていく為の作業なのだ。

もし、時間が遡っても、私は必ず東京に来るという選択をするだろう。

何を失って、何を得たか、そういう基準ではなく。

ただ、確信として実感している。