へびあし。

サイト名通り、「蛇足」な日々を書き綴ります。
まぁ、ボチボチ、まったりと。
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_ 山に登ってみたり。 2004-06-05

来週には梅雨に入るので、梅雨時期に入る前に運動不足を解消しておこうと山に登ることにする。

ハイキングコースだよ、と教えてもらった場所は、最寄の駅に着くまで1時間以上。

どんな田舎だよ、そりゃ、と思いつつ、ばっちり、山登りスタイルを気取ってみたり。

連れには「おっとこ前やなー」と言われる。

喜んでいいのか、それは。

ハイキングコースだからと横着をして、リュックも背負わず、向かう。

最寄り駅「軍畑(いくさばた)駅」。

なんだろう、一瞬過ぎる不穏な予感は。

歩き出して、自分の予感が的中していたことを知る。

「これが、ハイキングコースですって?!」と言いたくなる急勾配。

大体、登山口まで30分以上、がんがん焼けているアスファルトの上を歩き続けて、それでも、やっと「入り口?」

それでも「ドナドナドナ~♪」と口ずさみながら、登ってみたり。

山頂は、あれ?ここ?って感じで、征服欲を掻き立てることがなくて、全然盛り上がりませんでした。

夜には、筋肉痛が出てて、己の若さを再認識した感じです。

_ 例えば。 2004-06-04

思ってもみないことがトラウマになっていることがある。

幼い時から「かわいくない」と言われて育てられてきた。

母親が言うのだから、きっと本当なんだろうと思っていた。

そこまで「かわいくない」のならば、「かわいく生きていく事」を望まなければいいのだと思った。

自分の事を自分でこなす事。

自分の責任を自分で取る事。

可能な限り、自分をコントロールする事。

これらが、私の基準だった。

だって「仕方ない」じゃない?

そういう風にしか、私は私を守っていけない。

今日、人に比べられてしまった。

多分、こう言えば、比べるだろうと思っていた。

願わくば、いい意味で裏切られたかった。

でも、案の定、一瞬のうちに私は誰かと比較され、品定めをされた。

どうしても、自分を受け入れられているとは思えなくなってしまった。

悪意のない事なんて、充分過ぎるほど分かっている。

それでも、自分の中に確実に刺さってしまったトゲの扱いを、私は持て余している。

事実を受け入れられない自分を切りつけたい気持ちだった。

切り刻んで、抜き取ってしまいたい気持ちだった。

沈めてしまいたい自分。

ブクブクブク。。。。。。。。。。。。

_ 貸し。 2004-06-03

大した貸しではなかったのだけれど、先生に貸しがあって(いや、私は貸しと思っていなかったわけだが)夜、食事に誘って頂く。

会社の近くのビルの29階で、日の落ちる前から飲むという贅沢。

あー、幸せ。

料理もおいしくて、話も盛り上がる。

何度もご一緒させていただいているので、ちっとも気を遣わなくていい方だとわかっているので、余計にゆっくりと楽しむ。

様々に交わされた会話の中で「女は家を守ってくれ」なんて言う男は駄目よというのがあったけれど、つい、口を挟んでしまう。

「いやー、出来れば一度でもいいから、言われてみたいですよ」なんて。

先生はとても意外そうに「そうなりたいの?」

どう考えたって、私にそういう人はいないだろうと言うのが正直なところ。

父親も私を息子だと思ってるに違いないとすら思うことがあるぐらいなのに、何で赤の他人様がそう思ってくれるだろうか?

人は言われる可能性のある言葉に憧れたりはしないものだ。

そう話すと妙に深く頷かれたりして、また複雑だったりはするわけですけれど。

あー、まぁ、いいんですけどね。

どうせ「主婦になるより」「主夫にする」可能性の高い「イメージ」の女ですから、私は。

_ やっと一息ついたので。 2004-06-02

夜、ふらりと飲みに行く。

色々あったり、色々と考えたりしていたので、憂さ晴らしも兼ねて。

つらつらと思いつくことを話してみたり、聞いてみたりする。

「会話」って大事だなーと心底思う。

話題が「何であるか」というのは、あまり問題ではないと思う。

些細なことでいい。

「伝えたいこと」があって、「伝えたい相手」が聞いてくれる事。

私の話に言葉を返してくれる事。

これによってどれだけ救われることか。

そんな事に酔う。

ついつい調子に乗って、「本当につまらないこと」を話してしまったりもして、反省するわけだが。

一緒にいるだけで。

見詰め合うだけで。

触れ合うだけで。

それだけで、分かり合う関係があるならば、それはとても素敵だ。

でも、私はそういう関係を作れないと思う。

男女の関係だけでなく、人との関係でそんなものがあるとは思えない。

あるかもしれないという事を否定はしないけど、自分では無理。

そういう事を思ったりした。

_ 「今までで一番」という事について考察する 2004-06-01

私は、基本的に「今が一番」だと思っている。

過去を否定はしない。

それは、「その時点での一番」なのだと思っている。

ふとそんな事を考え始めると、「順番」ってどうなんだろうと思わずにはいられない。

全てに順位をつけられるわけではないし、順位付けしてどうするのだろうと思う。

一番になることは、とても嬉しく思ってしまう自分もいる。

それはそれで、肯定している。

でも、順位付け出来ないものも肯定している。

昔、とてもこどもだった頃に言われたことがある。

「あなたは、私の一番なのに、私はあなたの一番にしてもらえない」

彼女の一番なのは、とても嬉しいと思った。

自分が何と答えたか、私ははっきりと覚えている。

「私の一番の席には、私が座っているの」

自分が誰かの一番だったり、何かの一番だったりすると、本当に嬉しい。

そう望むことだって、ある。

そんな私の一番の席には、今でも私が座っているかは、私自身にも不明だ。

もしも、座っているならば、私はそれを誰に譲るのだろう?

譲る日が来るのだろうか?