へびあし。

サイト名通り、「蛇足」な日々を書き綴ります。
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_ マル秘 2005-05-24

Qちゃんのお友達から、CDに焼かれた写真が届いた。

関西で結婚披露会をした時のものだった。

私とQちゃんは、一緒に写っている写真が本当に、本当に、本当に少ないので、ありがたい。

つーか、仲悪い?

それについていたメッセージに「マル秘写真、オマケにつけときました」とあって、Qちゃんが激しく動揺していた。

そんなにヤマシイ映像が?

心当たりだらけなのか?

ちなみに中身は、私の心の恋人の写真でした。これこそ、本人が大きくなったら、マル秘の写真だ。

その時まで大切にしよう。ふふふ。

私も見られたくない写真というのが多く友人達の手元にあるかと思うが、くれぐれもうちに持ち込まないように。

私は君達とやった「交換日記」はもちろんの事、授業中にこっそり回した手紙の類まで、一つ残らず持っているので、もしうちにやばい写真を持ち込みを実行した場合は、覚悟しておくように(←脅し)。

特に、独身諸君、気をつけたまえ。

_ おみやげ。 2005-05-23

ちこさんがうちに来てくれた。

先日のQちゃんの東京出張のおみやげがあって、おみやげだから持って行くのが本来だと思うのだけれど、わざわざ取りに来てもらってしまいました。すんません。

しかも、上がってもらって、話し相手をしてもらってしまいました。

忙しいのに、ごめんよー。

ちこさんの話は毎回面白いのだけれど、今回おかしかったのは、こねつくん(息子さん、小4)の母の日のエピソード。

ママへのカードに、「育ててくれてありがとう」だって。壮大だ。

帰ってきたQちゃんに話したら「それは、旅にでも出るのだろうか?」との事。

ドラクエ?

こねつくんはすっごい真面目だし、頭のいい子なので、「らしい」と言えば、らしいなぁ、という感じです。

しかし、またそういう真面目さに対するちこさんの突っ込みに毎回笑わせてもらってます。

ほんっとに仲良しなんだよね、この家族。見習いたいなぁ。

また、お米をおみやげにもらってしまった。

このお米が、べらぼうにおいしい。本当に市販のお米なんて食べれなくなるよーと思うほど。

ありがたく食べさせていただきます。

_ DVDが観れるようになったり 2005-05-21

ホームシアターの機械が修理から返ってきました。

修理箇所を見ていると昔の職場を思い出したり。

見たいDVDはたくさんあるのですが、とりあえず、「デンジャラス・ビューティ」を観る。

久しぶりにサンドラ・ブロックを観ましたが、個人的な感想として、この人って、特別美人じゃないですよね?

そんな事ないのかしら?

どうも、オレの好みは一般的ではないので、何とも言えないのですが、やはりそう思います。

でも、好きです。スピードの時から。

中身は、簡単に言えば「ドリフ?」という感じ。

頭を使わずに、気楽に楽しむにはいいのでは。

特に「絶対ハッピーに終る」と確信できる作品は見ていて、心が安らぎます。

ちなみに頭を使わないという意味では先週見た「ブレイド3」と同じかも。

最近そんなもんしか見てないって事か。

なぜ、デンジャラス・ビューティを観たかというとデンジャラス・ビューティ2を映画館で見ようと思ったわけですよ。

でも、観て思った。「これは家で観ればいいや」って。

そういうわけで、今から観るなら、「ザ・インタープリター」かなぁ。

今日は一日のんびり過ごしました。行きたいところも、特にしたい事もなかったし。

そうそう、昨晩から通い始めた「カウンセリング講座」について少し。

社会福祉協議会主催の「カウンセリング講座」に受講希望を出したら、OKが来たので、昨晩から一週間に一度通う事になりました。

全6回コース。

どちらかというより、「カウンセリング受けろよ」って感じの、カウンセリングされる事はあっても、する事はないだろうという私ではありますが、済ました顔して受けてきました。

第一回は、本当に入り口。

「カウンセリングって何?」でした。仕事の関係で少しばかり勉強していたので、知っている事も多いのですが、一般市民向け講座としては分かりやすく、いい内容でした。

ドラマや本の影響で、とかく、カウンセリングとは「あなたの幼少の頃の経験が云々かんぬん」というものだという認識の人もいると思われますので、そうではないと初回に定義づけがあった事は好感が持てて、休まずに通うぞと思えてよかったなぁ。

一つショックだったのは、「挨拶」というのを自分が忘れているという事。

誰かと一緒の時はいいのです。割と緊張感があるので、忘れないんだけれど、昨日は完全に一人。

ハッと気付けば、会場で案内をしている社協の方に挨拶とかしてないよね、オレ、と気付きました。

うげー、最悪。

いかに引きこもりかって事です、これは。

知らない人たちって、本当に本当に苦手で仕方がないオレですが、これはいけない。

苦手と失礼は違いますから。これじゃ、ただの失礼な奴じゃん。

帰りに気付いて、がっくりしながら帰りました。Qちゃんはまたも飲み会だし。

がっくりした気分で一人で飲むビールは苦かったです。

反省のため、記載。来週は、挨拶するぞ!脱、ひきこもりしたいと思います。

_ 夜の思い出 2005-05-20

愚弟がまだ幼稚園の頃。

(多分私は、小学校にあがったばかりぐらい)

夜中に目が覚めた。

それはこども心に夜中だったのであって、本当は22時ぐらいだったのだろうと今は思う。

とにかく、目が覚めた。原因は、弟。

「どうしたの?」

「おかーさんがいないの」

狭い我が家だ。こどもの足で探し回ったって、さして時間は取られない。すぐに彼のいう事が本当である事が分かった。

ものすごい動揺。

弟が生まれてからというもの、母の口癖は「親がいなくなっても姉弟で仲良く生きていきなさい」だった。

毎日「今日はお母さんは生きているだろうか」と思って過ごしていたこどもの頃の私にとって、こんなに衝撃的な事はなかった。

血の気が引く。

でも、自分より幼い弟を不安がらせるわけにはいかない。だって、私はお姉ちゃんなのだ。

「何で起きたの?」

「喉が渇いた。お茶が飲みたい」

当時の我が家は、お茶葉で熱いお茶を入れるのが普通だった。

入れられるだろうか。入れたことない。

今思えば、難しくも何ともないことだけれど、本当に出来るかな、と思った。

でも見よう見まねで、お茶の葉をいれ、ポットからお湯を注ぎ、それを更に冷まして弟に与えた。

時間は分からない。でも夜中。お父さんはまだ帰ってきていない。

お母さんはどうなっただろう。

弟は、お茶を飲んだら満足したようだった。また、眠たげな顔になる。

「寝ようか」

声を掛けたら、頷いた。ホッとした。

なんでもない顔をして、ベッドに入った。ここで私が慌てたら、弟が不安がって泣き出す。そうするとどうにもならないような気がした。

お母さんは死んじゃったからいないのだろうか。

そう思いながら、布団の中で声を押し殺して泣いた。こんなに怖い夜はないと思った。

そして眠った。

朝、起きたら母はいた。

急須の様子を見て、どうしたの?と問われた。

「おかーさんがいなかったから、入れたの」

友達の家にちょっと用事が出て出かけていたのだと言った。実際にその日に友達が母が来ていた事を教えてくれた。

きっと、今までも私たちが寝静まった後(それは20時前だから)そういった、ちょっとした用事やちょっとしたお茶の時間が何度かあったのだろう。私が気付かなかっただけで。

それ以来、夜は眠れなくなった。ジッと息を押し殺して、母が動く音がしたら、何度もトイレの振りして起きたりした。

夜は遅くまで起きて、朝起きてから眠った事を後悔して、朝早くに飛び起きるようになった。

もう、知らないうちにどこかに行かれたりするのは嫌だった。

母はとっぷりと時間をかけて、私にそういった事を教え込んだ。いつかいなくなる大切な人たちの事。必ず戻ってくるかは分からない大切な人たち。

本当に、毎日親が生きている事が奇跡のように思っていた。学校から帰る道のりが一番怖かった。

誰かを失うなら、自分を失った方がマシだと、学校の帰り道に何度も思った。まだ、10歳にも満たないこどもが。

生きると死ぬ。その事ばかり考えた。これには、何の脚色もない。

だからこそ、まだ、親が神様だった時代に、神様から教え込まれたこの考えと私はどう付き合ったらいいのか、30歳を目前にした今でも悩む。

だから、夜は嫌いだ。

特に一人の夜は大嫌い。誰かを待って過ごす、一人の夜なんて最悪。

大切な人が指の間から零れ落ちていくような錯覚に陥る。学校の帰り道を思い出す。

そして、自分が泣いていたあの時間に、母が笑っていたかと思うと、今は少し痛い気分だ。

もちろん、そういう時間の必要性があると理性が分かっていても。

だから、夜は嫌い。

_ Qちゃんのいない一日 2005-05-16

Qちゃんは東京に出張。よって、本日実家泊。

中学時代の友人M子と会う。

お昼頃の約束して、すぐにランチに。

花うるしの豪華なランチ。

心の中でQちゃんに「私だけ贅沢してごめんね」詫びつつ、おいしく頂く。

(後で知ったが、Qちゃんもこの日、東京で豪華なランチを食べていたらしい。ちぇっ)

その後は、ドライブ。

助手席ですよ、助手席。

もちろん、運転するのは大好きなのですが、たまに助手席に乗ると、すごい贅沢な感じがします。嬉しい。

福岡に戻って、一度行ってみたかったダイヤモンド・ルクルに連れて行ってもらう。

でかい。本当にでかい。(最近こればっかり)

しかし、閑散としている。経営状態が心配になるな、コレ。

中は大好きな雑貨屋がいっぱい!!

何を買うわけではないのに、興奮して、あちこち見て回る私に付き合ってくれるM子。

興奮して鼻血を出さんばかりの私。

M子は、昔からいい奴だけど、本当にいい奴だ。そんじょそこらの男には嫁にやれない。

「通り過ぎた店でも、欲しいものがあったら戻っていいよ~」と声を掛けてくれて、その気配りに感動する。

文字で見ると大した事ない台詞かもしれないけれど、私にはこういう風に人を気配り出来ないので、本当に嬉しかった。

私もこんな風に、人を気遣えるようになりたいと思う。

日々、勉強だ。

結局、あちこちを見たけれど、何も買わなかった。

欲しいものがなかったのではなく、ありすぎた訳だが、あと本当に必要かという判断がつかなかったのだ。

三ヶ月たっても思い出すようなら、購入を考えようという所。

ただ、キッチンがもっと使いやすくなるような刺激とヒントを多く得る。

キッチンが使いやすく、きれいであるようにすることが私の目標。

誰の目に留まっても恥ずかしくないようなきれいなキッチンって、夢だ。

私はどうしてもすぐに散らかしてしまうので、たくさんのルールがないと駄目なのだ。そして、片付けやすいシンプルさ。

また気長に改良していこう。キッチンは私の大事な舞台だ。

帰りは車の中で色々と話す。

基本的に彼女は本当に真面目だ。

様々なお付き合いは全て「確信」がないといけないと思っているあたりに彼女の心のあり方がわかる。

そういう考え方は悪くはないけれど、「間違いない」事など、男女問わず、人間関係の中でどのくらいのものがあるだろうか。

「間違わない」「人を傷つけない」それは、出来ればそうありたいが、自分の心のままに正直に真摯に生きて行き、人と接する中で生じたものなら、仕方がないのではないだろうか。

むしろ、「間違わない」と自分を縛る事で、自分と相手の中に生じる可能性を潰してしまう事の方が勿体無いと思う。

素敵な出会いに巡り合う事を心から祈っている。でも、そこら辺の男にはやれないけど。

実家に帰り、父と母と三人で飲む。

何故か母が「飲むぞー」と張り切っていて怖い。

この人は本当にザルだ。

多くの酒飲みを知っているが、この人が一番だ。

しかも飲まなくても酔っ払っているような言動の人なので、どこで酔ったかが全く分からなくて性質が悪い。

というか、過去のどの場面でも結局は酔ってなかったと言う可能性が一番高いわけだが。

ただ、飲んでいる間中、TVがついていて、本当にうざい。

人と話をする時ぐらい、切ったらいいのにと思う。

母はいつもTVぐらい買えばというけれど、TVがある事が裕福な家庭の象徴だった時代は終ったと認識すべきではないかと思う。

むしろ、TVのない贅沢を満喫しているのだ、我が家は。

多分一生涯、我が家に置かれる事はないだろう、あれは。

情報が氾濫しているからこそ、垂れ流しにされる情報をぼんやりと受け取るのではなく、欲しい情報のきっかけをTV以外の媒体で得て、本当に必要なものだけ自分で拾い集めて、自分の判断で信用に足るかどうかを吟味する努力をするべきだと思う。

まぁ、お互いに余計なお世話なので黙っておく。