へびあし。

サイト名通り、「蛇足」な日々を書き綴ります。
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_ 映画を観たり 2005-06-25

昼頃に朝ご飯を食べて、ドライブがてらクッキングシートとバターを買いに出掛ける。

帰ってきてから、QちゃんはPCへ。

私はキッチンで、パンを作る。

今日は、レーズンパンを。

レーズンを入れて丸くした生地にちょっと切り込みを入れて、グラニュー糖をまぶす。

このレーズンは、本当においしい。

レーズンって正直言って、あまり好きではなかったけど、これなら食べてもいいかな、と思う。

無事に焼きあがりました。

ストック用に作ったはずなのに、気がつけばほとんどなくなっていた。

6/25のパン

夕方から、近所の映画館へ、これを観に行く。

予習したから、それなりに楽しめましたが、しかし乱暴な展開だった。

人気映画って、「ここまでは知ってるだろう」っていうのに頼っていて、作りが乱暴になっているような気がする。

いきなりこれだけ観ても楽しめないだろうなぁ。

これだけの人気映画だから、それでもいいのかもしれないけど、釈然としなかった。

そして、戸田奈津子。またもや。

訳がおかし過ぎる。

オペラ座の怪人なんか、ただのストーカーのように訳されていたが、ここでも、また。

これは、否応なしに英語を勉強せねばならぬと言う罠?

でも、集中して字幕を見れないようなのは止めて欲しいです。マジで。

しかし、概ね楽しめた。

ショックだったのは、わざわざチケットを早めに買ったのに、ガラガラだったという事。

本当に人気映画だったのだろうか。気のせい?

_ クロワッサンを作ったり、相談にのったり。 2005-06-22

Qちゃんの熱烈なリクエストにより、クロワッサンを作る。

家事をして、親の会の簡単な仕事をして、11時からスタートしたのに、焼けたのは17時だった。時間掛かり過ぎ。

その間、様々な問い合わせが。

夫は、司法書士の知識はあるか?土地の事で聞きたいとか、松山の宿が知りたいとか。

そりゃ、調べれば分かる事は調べます。お答えしますとも。

(ちなみに夫は、司法書士ではありません。叔父は司法書士だけど)

たまーにこういう事がある。色々聞かれる事が。

Qちゃんに言うと「顔がでかいからねー」

間違ってます、それ。

クロワッサンは、こう暑くなるとねかしの時間がかかるので、本当に手間が掛かります。

でもね、やっぱりサクサクのたくさんの層が出来たら嬉しいのでした。

幸せ。

6/22クロワッサン

弟の誕生日だったので、夜に簡単なメールを。

早く大人になってくれる事を心から祈っているよ。

_ リンク 2005-06-21

ここは(別に意識していないけど、なぜか)完全にクローズなページですが、リンクを貼ってもらったようです。

すまんねぇ。

頑張って更新するよ、せめて。

リンクを貼ってくれたのは、この人ですよ。

私の妹分でやんす。

いつもいつも私に呼び出されて、走り回っているのです。

分かってくれると思うと、お願いもしやすくなるし、絶対に物事を悪く捉えない子なので、頼りになるのでした。

いつだって。これからも。

あと、そういえば、最近、前の前の会社の上司から、ブログ開設の通知が来ていました。

宣伝してくれと言われてけど、不適任だわ、あたし。

ちなみに、それはここ

この人とは、在職中は色々なケンカをしたものです。私はまだまだ連勝中の営業気分だったから、どうしてもこの人の手法を納得いかなくて、よく言いあったりしたなぁ。

でも、よく考えたら、そんなに本音で仕事が出来た事は幸せな事だったと今なら思えるのでした。

何だかんだと言いつつ、お世話になったしね。

どんな事も過ぎ去ればいい思い出ですが。

_ 人生を取り戻せ 2005-06-20

空梅雨です。雨、ちょっと恋しいかも。

今日は、午後から「熱い親の会」というのに参加してきました。

これはカウンセリング講座で仲良くなった方のお誘いで、どんな会かと言うと、そのままで「熱いお母さん達」が集まっているのです。

役所の生活支援課の協力も得て、運営がなされているようで、会議も生活支援課の会議室で行われました。

私を誘ってくれたS山さんは、学習塾の先生だと知っていたのですが、あとの人の事は何の情報もなく、まぁ、いきなり行って、いきなり参加です。

聞く限り、今までは割と自由に、現状の事を語り合う会だったようなのですが、これからは活動認知してもらおうという事で、小さなイベントを行っていくという事でした。

どの方も勢いがあって、本当にその人なりに現状を真剣に考えていて、そして積極的で、貪欲。

こういう主婦としての生き方もあるのだな、と感心したりしました。

そして、この場所がどんなに薬物の影響を受けやすい場所かという事やそれについての取り組みの多さ、そして、効果のなさというものも知りました。

当然、皆さんの意見も「薬物」「性教育」というところに集中しているように感じました。

あとね、不登校。

どの話も勉強になったけど、私の思うところとは違うというのが正直なところ。

でも、S山さんのいう事だけはわかった。彼女は、子どもというものを「不登校」とか「薬物依存」とか「学力」とか、そういうものを取り外してもっと大きな枠組みで見ているような気がしたせいだと思う。

どうしようかな、と思ったけど、仕方ないな、と思って「私、元不登校児ですよ」とカミングアウト。

いや、そんなに驚かれても困るし、いいネタのように見られても困るのですが。

言わなくてもいい事だったけど、でも、私は私の方法で子ども達へのアプローチをしている。そのための手法を探っている。

だから、言わなくてはいけないような気がした。

間違ってもらっては困るのだ。こういう風に子どもと接しようとしている人たちに。

全ての不登校児に規則性などない。ひょっとしたら、不登校に至る発端も原因もない子だっているかもしれない。

そう言ったら、驚くだろうか?

でも、考えてみて欲しい。

親の、もしくは大人になった今の自分ではなく、子どもの時の自分の頭に戻って。

嫌いな子に対して、理由付けをしただろうか?

あなたは、何が好きで、何が嫌いで、その理由を全て人に説明できただろうか?

私は出来なかった。

だから、これといって、発端なんてなかった。

嫌な事はたくさんあった。それを避けられたら、楽だと思った。でも、学校に行くのは「義務」だった。

なのに、ある日病気で休んだ時の自分の気持ちの開放感。明日への憂鬱。

それだけだったように思う。

そして、癖になった。癖になったら、それが病気になるのは簡単だった。

病気になったら、本物だった。「行かない」のではない、「行けない」になる。

避けられない場所で、何度かその理由について語ったようにも思う。でも、その場しのぎだ。

聞こえのいい理由を並べた。大人はそれで、勝手に考えて、勝手に納得した。

それを止めたのは、単純な理由だった。

続ける事が簡単だったからだ。

このまま、不登校をどこまでも続けられると感じた。心の底から。

だから、意味がないと思った。どこまで行っても、同じ毎日しかないのだ。

苦痛も喜びもない日々。

でも、始めたのは私だったから、幕も私が引かねばならなかった。

だから、止めたのだ。

止まっていた自分の時計のねじを自分の意志で巻いて、また人生を始めた。

不登校の事を思い出していて、今の自分の生活と似ていると思った。

自分の時間を自分で使い、自分の為だけに過ごす毎日。

でも、自分の人生を歩んでない毎日。私はQちゃんの腕にぶら下がり、Qちゃんに人生を歩んでもらっているようなものだ。

これは、私が専業主婦だからという事ではない。

私が、自分をすっかり見失っているから。

そして、気付く。同じように。

「人生を取り戻せ」

私は自分に思う。誰に取られたわけではない。

私が投げ出してしまった自分の人生を取り戻さなければ。

しっかりと歩こう。どうなっても。

このまま、失い続けるより、自分から手放した方がいいものだってあるのだ。

私は家族を得た。理解者を得た。

だから、これ以上欲張ってはいけない。

手放す勇気を持とう。11歳の私に出来て、29歳の私に出来ないなんて、そんな話はないはずだ。

だから、仕切りなおす。そして、人生を取り戻す。

私には、それが出来る。私だけでもそう信じよう。

_ 父の日 2005-06-19

花を持って、実家へ。

父に花を贈る。

弟も帰ってきて、弟は美術展のチケットを贈っていた。

憎いセンス。むぅ。

みんなで、お寿司を食べて、これから父が生垣を刈るという話になり、Qちゃんが手伝いを申し出る。

おおお!

都会っ子のQちゃんは、私が十年以上馴染んで過ごした庭に、最初はちょっと似合わなかった。

きっと、庭の方も緊張していたのだろう。

でも時間が経てば、庭もQちゃんを受け入れ、Qちゃんも庭に慣れ、Qちゃんは生垣を上手に刈れるようになった。

不思議な光景だった。見ていて、胸が痛くなった。

私は何度もこの庭で、様々な花を植え、柴を刈り、日曜日を過ごした。

その事を幸せだと感じる度に、もう一度この幸せを感じられる事が出来るだろうかと胸を痛めた。

いとおしい事は、手に入りにくく、失いやすいものだと感じていたからだ。

その気持ちを思い出した。同じ場所にいる、高校生の自分が感じられたのだろう。

高校生の自分、恐れないで生きていい。

高校生のその時間より、未来の時間の今はとても楽しい。

そう、思った。

私の抱えられる荷物には限界がある。

でも、可能な事はやろう。

弱ってきた父を見て、そう思った。

この人とは本当に色々な事があったし、私を一番傷つけた人は多分この人で、そして一番物事を教えてくれたのもこの人だった。

悪いことをなかった事に出来るほど、大人じゃないけど、学んだ事を忘れるほど、馬鹿でもない。

父の代わりにはなれない。支えにもなれないだろう。

でも、この人が残そうとしたものを、何一つ忘れないでいよう。

この人が守ったもの、大事にしたものを覚えていよう。

そう誓う。